今日は石川県自然解説員研究会主催の「晩秋の七尾城址に登る」に参加しました。週間天気予報では時々雨だったので、行くのを断念していたのですが、昨日のお昼の段階で、9:00以降は曇りに変わったので行くことにしました。
7:00に家を出て、コンビニ(デイリーヤマザキ)で食べ物を購入して、吉野家で朝食をとって、集合場所の七尾城山グランド駐車場(七尾市営プール側)には8:40に着きました。集合時間の9:00には余裕で着きました。
石川県自然解説員の人はもう来ていて、さっそく名簿に名前を記入しました。石川県自然解説員研究会主催のイベントには何回か参加したので、知った顔がぽつりぽつりいました。今日の参加者は石川県自然解説員の人を含めて20名でした。その内、石川県自然解説員の人は3分の1以上だと思います。
全員の自己紹介(ほとんど市町村と苗字だけ)とストレッチをして出発です。
田んぼのあぜ道を通り、登山道に入っていきます。花が咲いていたり、めぼしい植物があると、その都度止まって説明があります。俊は後から花の名前を調べるのが面倒なので、石川県自然解説員の人に、あれこれ名前を聞きます。その都度、きちんと名前を教えてくれます。
葛の葉が3つに分かれているのは太陽に向かって陽の光を集めやすくするためで、あまりに陽が強すぎると完全に上向きになって光を遮るんだということなど教えてくれました。途中で木の実を食べたり、ムカゴを生で食べたり、噛むと辛い草も体験しました。
二の丸ではカエデの葉を集めるゲーム、本丸では宝探しゲームもしました。途中見える展望はとても美しかったです。
本丸で昼食をとりました。デイリーヤマザキのおにぎり(梅干しと昆布)は思いの外美味しかったです。セブンイレブンなどの他のコンビニより美味しいのではないかと思いました。
本丸では七尾城の専門家の話も聞けたし、駐車場ではボランティアによる七尾城の歴史も聞けました。
七尾城へは何度も行ったことがあるのですが、七尾城の歴史は何ひとつ知らなかったので、話を聞いてびっくりしました。
七尾って昔は、物凄く栄えていて、日本でも有数の町だったそうです。それだけ栄えたのは、食物が豊かで、京都市にも、食物を運んでいたそうです。室町時代には将軍の3大役人府中守護である畠山氏が応仁の乱で、京都から守護を務めていた能登へ移り、守りのために築城したものが七尾城だということでした。上杉謙信などが攻略を企てるものの攻めきれず、最終的には上杉謙信が、畠山家の内乱を引き起こすことによって攻略したということです。畠山家さえ一致団結してれば、攻略されることは無かったであろうということでした。それほど良く出来たお城だったようです。
その後、織田信長から能登一国を与えられた前田利家が七尾城に入城するものの、七尾城が山の上にあるということで、住みにくいために、小丸山城を築城して移住したそうです。このまま七尾城を残しておいて、七尾城が敵に占領され拠点として使われたら困るということで、全部壊してしまったということです。石垣は残したのですが、石垣は近くにあった石を平積みにして造ったもので壊れやすく何度も修復したそうです。それでも、ここまで残ってきたのは、七尾が地震などの震災に合わなかったからだということでした。
この季節には花は少ないです。キノコがあちこちで見られましたが食べられないものばかりだそうです。