金沢の葬儀事情

父親が亡くなった事から、金沢の葬儀の事情に興味を持って情報を集めました

初七日

四十九日まで毎週日曜日に家族だけでお参りをするつもりだったのですが、突然、僧侶が訪れました。
初七日はお参りに来て、その後は四十九日までお参りに来ないと聞いていたのに、記憶に残っていなかったようです。

お参りをして、いろいろな話をしました。
僧侶と趣味が重なっていることもあり、その話もしたし、母の亡くなった翌日に伯母さん(父親の実家の兄の妻)が亡くなった事とか、話がつきませんでした。
お布施は、普通の月参りと同額で良いということでした。
以前は月命日のお布施は2000円だったのですが、最近は3000円にしてたので、5000円包みました。
父親が亡くなった時の出金記録を見ても同様でした。
後でネットで調べると、初七日のお布施は、葬儀のお布施とは別に3万円とか5万円とか包むと説明されていました。一般的にどうなのかは不明です。


預貯金をおろす

銀行の貯金や郵貯の預金は、名義人が亡くなると閉鎖されます。
名義人が亡くなってから、お金を出金しようとすると、相続権利者全員の捺印が必要など、大変な労力が必要になります。
それで母親の了解を得て、随分前から貯金を出金していました。

北陸銀行では、70歳以上で、かつ過去6か月間に20万円を超えるキャッシュカードでの出金実績がない場合は、1日の出金限度額が20万円に制限されているので、毎日20万円を出金して他の北陸銀行の口座に、その場で移しておきました。
でも、毎日20万円しか出金できないのに「過去6か月間に20万円を超えるキャッシュカードでの出金実績」って、どうやって作れば良いのでしょう。不思議です。
後で気づいたのですが、2日続けて20万円を出金すれば3日目からは20万円を超える出金ができたのかもしれません。 日本語って難しいです。
母親が亡くなってから、残っていた残高(5万円以下)で、お札で出金できる金額を出金しました。
1000円以下の小銭の分は面倒なので放置しようと思います。

郵貯の預金は、亡くなってから、ATMの限度額50万円を毎日出金しました。
郵貯は、比較的、そういうところは優しいので助かります。

預貯金の閉鎖による出金停止を避ける意味でも、おくやみ欄に掲載するのを遅らせるのは意味があるのだと思います。

ATMでの硬貨の引き出し手数料について確認してみました。
郵貯の場合は110円の手数料がかかるようです。
北陸銀行は無料のようです。
どこでも有料だと思っていました。



朝刊のおくやみ欄に掲載

新聞の朝刊のおくやみ欄に、母親が亡くなった事が掲載されました。
葬儀が終わってから掲載するように依頼していたのです。
母親の名前とふりがな、年齢、住所、通式終了、喪主の名前とふりがなが掲載されていました。

その日の11時頃、友人が訪れて香典を渡され、いろいろな話をしました。
家に入ってもらうように言ったのですが辞退されました。
香典返しを渡しました。

友人が帰ってからほどなく、親戚であり仕事でも関係がある妻の従弟が礼服姿で訪れて香典を渡され、いろいろな話をしました。
お参りしてもらうよう勧めたのですが辞退されました。
香典返しを渡しました。

香典返しは不足するかもしれません。
葬儀社の担当者は、追加はいくらでもできると言っていました。

夕方に娘が来て、職場からいただいた香典をもってきました。
香典がえしは、娘の希望もあって前もって渡してありました。

夜に、父の実家の従妹から電話があった。
偶然にも、父の実家の伯母(父の兄の妻)さんが、母親が亡くなった翌日に亡くなり、今日、葬儀が終わったとの事だった。
従妹も、今日の朝刊を見て初めて知って、びっくりしたとのことでした。
こちらも、びっくりしました。

新聞の朝刊のおくやみ欄が出てから仕事周りした最初の日に、新聞に気づいた人は、仕事先にはいませんでした。
会計事務所から香典が届けられた。

2026年11月3日

石材屋が営業のため訪れました。

手続きを始める

2026年10月30日

昨日、葬儀が終わって、今日から仕事を始め、通常生活に戻りました。
仕事の途中に市役所に寄りました。

市役所に行くのは面倒だし駐車料金もかかるので、1度で済むように、必要なことを綿密に調べて書類も揃えて行きました。

市役所に入った途端、総合受付の人が来て、必要なことはございませんか?と聞かれました。
母親が亡くなったので手続きに来たと伝え、戸籍とか、もう亡くなったことを反映してますかと聞くと、月曜日に亡くなって金曜日なので、反映されていない可能性が大きいと言われました。
入手しようとした書類の一覧を見せて、これみんな金沢市民センターで入手できますかと聞くと、入手できるというので、時間の余裕もなかった事もあり、今日は市役所での手続きが必要と思われる手続きすることにしました。

まずは、保険年金関係の部署に行くことにしました。
案内の人に、聞いたのだと思うけど、頭に入っていなかったようで、最初は保険年金の相談窓口で順番待ち券を出力しました。
しばらく待って、1人の時間が長くて、なかなか順番が来ないので、係の人にこの手続きは、ここでよろしいですかと聞くと2階の保険年金課だと説明されました。
どうりで、それらしい部署が見当たらないはずです。
2階に上がって、保険年金課で、後期高齢者保健の手続き、埋葬費の請求は完了しました。
介護保険証も返却しました。
前もって埋葬費請求の書類をいただいて記入しておいたので、すんなりと手続きが完了しました。
埋葬費の請求について、送金先の名義人が喪主である証明になるものが必要だと言われました。たまたま鞄に、香典返しの会葬御礼があったので、それで大丈夫でした。
身分証明書の提示も求められました。
後期高齢者保険証の返却も求められたけど、見つからなかったと言うと、マイナンバーカードで後期高齢者保健との紐づけがされていますかと聞かれて、いつもマイナンバーカードで受診してますと言うと、それなら後期高齢者保険証の返却は必要ないですと言われました。

市民課窓口(市役所に入って、一番目立つところ)へ行って、死亡の記載がある戸籍謄本や住民票の発行をお願いしたのですが、確認してくれたのですが、死亡の記載がある戸籍謄本や住民票は、まだ処理が終わっていないので来週以降になりますと言われました。
市民課窓口で印鑑登録証の返却をしました。
必要書類は金沢市民センターで入手できるという事なので、市役所に再訪する必要はないようです。

厚生年金関係の手続きについて、改めて調べたのですが、死亡後10日までに受給権者死亡届の提出が必要ですが、日本年金機構にマイナンバーが収録されている場合は手続きが不要という事なので、年金事務所に電話で問い合わせしました。
マイナンバーの番号を伝えると、母親の情報が出てきたようで、年金の一部が支給されるので、その手続きが必要ということでした。受給権者死亡届の提出は不要だったようです。
ただ、年金事務所は予約制で11月上旬は予約で埋まっているというのです。
受給者の戸籍謄本などの書類も必要で、郵便での手続きも可能という事でした。
戸籍謄本などは返却していただけるんですかと聞くと、返却が希望とメモをいれると郵送で返却してくれるそうです。
郵送した書類の記入と必要書類を添えて持参すると、予約なしで手続きが可能で、必要書類もコピーして、すぐに返却してくれると言うので、そちらでお願いすることにしました。
これで、年金関係の手続きも早急にする必要がなくなりました。

夕方に、北陸中日新聞社と北国新聞社から、おくやみ欄の掲載内容の確認の電話がありました。
北陸中日新聞に連絡すると読売新聞と朝日新聞にも掲載されるそうです。
翌日の朝刊に掲載されます。

2026年11月2日

県民共済に電話して、引き落とし口座の変更の電話をした。
同じ金融の口座だと郵送だけで手続きが変更できるそうです。
変更の書類を送ってもらうよう依頼しました。

母親の告別式

告別式の開始時間13:00の1時間前には式場に待機するようにと指示があったので、早めに式場に入りました。
1番最初に入場できたので安心しました。
間違えて重複して出したと思われる香典は、伯母さんの家の近所に住んでいて、普段から交流のある従兄から伯母さんの娘さんに返却してもらうようにしました。
前日に会葬御礼を渡しそびれた親戚に会葬御礼を渡しました。
基本的には前日の通夜の列席者と同じだったのですが、母の知人がおいでない代わりに親戚の娘さんが列席してくれたので列席者は合計18人でした。
告別式の少し前に僧侶に挨拶に行き、お布施と法名料を渡しました。
普段からなじみのある僧侶で趣味も似ているので、いろいろな話をしました。
今後の法要の日程の説明がありました。
四十九日までの毎週のお参りは家族だけでお経をあげる事にしました。
四十九日は、お寺の住職がおいでる予定だと言われましたが、できれば今まで月命日に来てくれていて通夜と告別式をしてくれた僧侶にしてほしいと本人に言うと、1週間延期になる12月20日に四十九日の法要をすることになりました。
四十九日は遅くても良いそうです。
四十九日の日に納骨をする場合も多いという事だったのですが、積雪があったらどうなるのでしょうかと聞くと、納骨は積雪が終わる春にしても良いと言われました。
月命日はどうするって聞かれたので、月命日は母親がしたいからということでしていたけど、自分は信心深くないので、月命日はしませんと伝えました。
僧侶は笑っていました。今は信仰心が少ないけど、年を重ねるといろいろと思うところが出てくるかもしれないよって言っていました。

告別式のお経はそれほど長くはなく、僧侶が正信偈をあげている時に参列者の焼香がありました。
その後、電報の読み上げ、喪主である自分の挨拶をして告別式が40分ほどで終了しました。その後、みんなで棺桶に飾ってあった生花を添えました。

葬儀社の担当の方から中陰のお経は別の部屋(少し大きい部屋)に移って行いたいのですが、よろしいですかと聞かれました。
今まで使っていた部屋に急に次の通夜が入って、その準備を先に行いたいという事でした。
特に問題ないので了解しました。

男性の列席者みんなで手をかけ棺桶を搬送車に入れ、火葬場に向かいました。
搬送車には喪主と、もうひとり親族が乗って、残りの参列者はマイクロバスで金沢市東斎場に向かいました。
喪主が遺影を持ち、もうひとりの親族は法名立てを持ちます。
通夜にも告別式にも参列した人は全員が火葬場に向かいました。
火葬場でも僧侶のお経があって火葬が始まりました。火葬には70分かかるということでした。
すぐに、骨壺を選ぶよう案内されました。
金沢のお墓だと、それほど大きな骨壺が入らないので、大きさは最初から決まっていました。
分骨をするのか聞かれたので、分骨はしないと答えました。
分骨する場合は小さい骨壺も必要になります。
骨壺を入れる袋は選べるので、ピンク色の華やかな袋を選びました。
みなさんが待っているロビーに行きました。
ロビーでは待機時間に飲む飲み物の注文を受けていました。
お菓子はいっぱい出されていました。
火葬場のロビーでは、お菓子は持ち込み可能ですが、飲み物は持ち込み不可です。
ロビーでは参列者とたくさん話せました。本当にいろんな話ができ密度の濃い時間でした。
火葬が終わると、呼ばれて、骨壺にみんなで骨を入れました。
骨壺が小さいので全部の骨は入りきらないので、残りは散骨にするのでご了承願いますと言われました。
最初は足のほうの骨、次に頭のほうの骨、喉仏をいれ最後に頭の骨で蓋をして蓋をしました。
帰りは全員でマイクロバスに乗り葬儀場に戻りました。
葬儀場に戻り、最後のお経(中陰)が行われ、すべての日程が終わりました。
僧侶に聞かないといけない事があったので、急いで送料の控室に行きました。
少し話して、会場に戻ると、もうみんな帰って、家族だけがロビーに残っていました。
参列者に最期の会葬のお礼を言いそびれました。
火葬場で余った大量のお菓子は小学1年生の孫に持って帰ってもらったと妻より報告を受けました。
葬儀場の担当者から預っていただいてたものを受け取りました。
市役所で行なう手続き一覧と、おくやみ手続きガイドの案内、後期高齢者医療葬祭費支給申請書の用紙を渡されました。
落ち着いて、無料の自動販売機で熱いココアを飲みました。
最期に、仏壇の横の床の間の前に置いた祭壇(遺影や骨壺が置いてある)の飾りつけをしにきてくれました。
これで、すべての事が終わりました。
困ったことや分からないことがあったら、いつでも携帯電話に連絡してくださいと言われました。
すべてにおいて満足できる葬儀でした。
一休さんの米永葬祭にお願いして良かったと思いました。

夜に、明日から始まる諸手続きの確認をしました。
母親の通帳の入金の確認をすると、厚生年金とコウキコウレイコウガクリというのがありました。
厚生年金関係の手続きは年金事務所で行う必要があります。
コウキコウレイコウガクリというのは後期高齢高額療養費の事で、毎月の医療費が一定金額を超えた場合の返金です。
後期高齢者健康保険は市役所での手続きが必要になります。
後期高齢者医療被保険者証(資格確認書)、限度額適用・標準負担額減額認定証を持っていく必要があります。
出金ではかんぽ生命と県民共済がありました。
かんぽ生命は母親の生命保険、県民共済は息子の保険です。
かんぽ生命は死亡受け取りの手続き、入院の保険金の受取手続きが必要です。
県民共済は払い込み人の変更手続きが必要です。
それ以外には定期的に入出金している項目は無かったです。

とりあえずは、市役所へ保険関係の手続きと、年金事務所に厚生年金関係の手続きをしないといけません。

母親のお通夜

通夜の日の朝、母親の生前親しかった人(1人)に、母親が亡くなられたことを知らせました。
葬儀は家族葬で、限られた親族だけで行うことにしたけど、その人だけに連絡したと知らせました。
ちょうど出かけるところで、電話してくれて良かったと言ってくださいました。
ひと目、顔を見に来たいとの希望だったので、15:00過ぎに、母親の遺体を迎えに来るので、それまでは自宅にいる旨を伝えました。

開店の時間に合わせて、芝すしに笹ずしを購入しに行きました。
包装をお願いしましたが、6個入りのパック用の包装用の紙がないので包装できないと言われました。
6個入りの笹ずしを1ケースずつ渡しても食べきれないから、当初12パックで予定して、1パック増やして13パック購入しました。
でも見た感じが、みすぼらしいので5パック増やして、18人分の用意をしました。

すぐに、笹ずしを葬儀社に届けました。
交代した担当者に挨拶して、葬儀前に来場者の紹介をしたいので配慮してほしいと依頼しました。
死亡診断書のコピーと母の遺影の画像を入れたUSBメモリを受け取りました。
香典返しも受け取りました。
娘が朝から来てくれて、留守番をしてくれました。
娘から職場の人からご香典が渡されるかもしれないので、香典返しを数人分用意してほしいと言われました。

お通夜も告別式も列席者は17人の見込みになりました。

葬儀社の都合で納棺に迎えに来るのが14:30になりました。
搬送される前に家族にアルコール綿をわたされ、手の甲をふきました。
会場での納棺の際には、家族も手を添えました。
会場の祭壇は、とても美しく飾られていました。なんの不満もありませんでした。
葬儀社の人に、誰が宿泊して線香とか消えないようにしないといけないのですかと聞くと、そんことはないですよと言われました。
それで宿泊はしないでおく事にした。
棺桶には着物と帯と帯どめを入れてもらいました。
納棺が終わって一度、家に戻りました。
会場のトイレの近くには飲み物の無料販売機が置かれていました。

母親の生前親しかった人は都合で納棺時までに来ることができなくて、その後に電話があって、お通夜に列席していただくことになった。
もともと葬儀は母方の親戚と、その人だけを呼ぶことにしていたのですが、親族だけの葬儀に1人だけ知人が列席するのは居心地悪いかなと思っていたので、連絡だけして葬儀への列席は要請しなかったのです。

最終的にお通夜の列席者は18人の予定になりました。

お通夜が18:00と早めだったのでパンを1個食べて行きました。
父親の葬儀の時には1時間以上も前から列席者がおいでていたので1時間前より早く行くつもりをしてたのだけど、家族の準備が遅くなって、すでに母方の親戚が全員集まっていました。
遅刻です。

葬儀場に隣接して8人掛けのテーブルが置かれた部屋があったので、早くおいでた親戚の人たちも、リラックスして話をされていて良かったです。
いろいろな話をしていたのですが、生前着ていた服や着物などを親戚の人達に貰っていただくことにしました。

前に自分が撮って遺影として使うと母と決めてた写真は、とても評判が良かったです。
遺影はデジタルで、会場に複数表示されていました。

お通夜が始まる前に、列席者全員の紹介をしたことにより、知らない人同士が話ができて、なごやかなお通夜になりました。
最初に、紹介する場をもうけたいと言った時に、葬儀社の人がちょっとびっくりしていたけど、絶対に良かったと思います。
通夜は1時間で終了しました。
受付は設置しなかったのですが、香典は直接渡す人もいたし、祭壇の横の電報などを置く台に置いていく人もいました。
母方の親戚の人は、みなさんで相談したようで、全世帯が香典5万円でした。
その他に、親戚の方の娘さんや息子さんの香典も置かれていました。
通夜の列席者は予定通り18人でした。

喪主なのに撮影もして、弁当も配って、列席者の紹介もして、愛想よくして、喪主らしくないふるまいだったかもいれないけど、良い通夜になったから良かったです。
帰るときに、葬儀社の方から、自分でよければ、電報の読み上げはしますよと言ってくれたのでお願いすることにしました。
明日は骨壺を購入したり飲み物を購入したりしないといけないので2万円ほど持ってきてくださいと言われた。
葬儀社の担当の人から用事があれば夜中でもよいので携帯電話に連絡してくださいと言われました。

通夜が終わって、ほどなく家に帰りました。
夕食は、帰りに配った笹寿司を食べました。 6個入りは、1人分としては多いかなと思ってたけど、ちょうど良い量でした。昔から比べると1個の大きさが随分小さくなっていました。
久しぶりに食べた笹寿司は美味しかったし、笹寿司にして良かったと思いました。

香典の記載や、使った金額の記載をしました。
香典の記載の時に、認知症が入った伯母(母親の兄の妻)から前日に香典を5万円、通夜当日も香典5万円を受け取っている事がわかり、叔父(母の弟)に電話して相談しました。
その人から香典1通を返却していただくことにしました。

告別式での挨拶の内容も決めました。
覚えられないので原稿をつくって読むことにしました。

いろいろ決めないといけない事も多かったのだけれど、冷静に対応できていると思っていたけど、スマートフォンの充電は忘れるし、携帯電話を忘れて出かけたり、精神状態が通常では無いことを認識させらた一日でした。

打ち合わせと仮通夜

前日の夜、携帯電話に母親の妹から留守電が入っていたので、朝、母親の妹に電話しました。
母方の親戚へは、全部連絡してくれたそうです。
母親の妹は自分で運転しないので、バスの便の関係もあって朝のうちに来てくれることになりました。
母方も親戚は、ひとりが身体の検査があり、それが終わってから4人で母親の顔を見にきてくれるそうです。
さすがに、お昼に予定していた小松での仕事は断念しました。

ケアマネージャーに連絡しました。

母の妹さんは朝から来てくれて、後からおいでた親戚4人と一緒に帰るまで、ずっと母親を見てくれていました。
1時間近くかかる場所からの親戚も含めて母方の親戚4人が自宅においでました。
思い出話も含めて、いろいろな話をしました。
菓子かごや花かごなど必要ならなんでもするって言ってくれたけど、そういうのは無しにしてもらいました。
お昼は、おにぎりを買ってきて、味噌汁を用意して、みんなで食べました。

15:00に葬儀社の方が来て、詳細な打合せをしました。
葬儀は基本的な家族葬(643,500円)にすることにしました。
見栄や体裁をつくろうような余計なものは省くことにしました。
高齢者が多いので、火葬場へのマイクロバスはお願いしました。
オプションの祭壇の生花の飾りは頼みました。この生花は棺桶に入れます。
生花は菊にするか、華やかな花にするか聞かれたので、華やかな花でお願いしました。
その他のオプションの飾りは全部無しにしました。

香典返しはビール券にしました。ビール券だとヤマヤなどでいろんなものを買えるので、選べるカタログよりも良いと思ったんです。
香典返しには会葬礼状がつくとの事です。
会葬礼状の文面は父親の時のデータを保存してくれていたようで、それを参考にしました。
香典返し(令状)は49日までは返品可能ということで、出席予定人数18人(自分を除いて8世帯)に対し30部頼みました。
寝具の処分は自分ですることにしました。
市に頼むと1/10の費用で回収してくれるし、そもそも捨てる必要も無いと思います。

ちょっと違和感を持ったのは、プロの司会者を使うかという点です。
プロの司会者を使わないと、焼香の時の名前の読み上げはしなくて順々にご焼香をお済ませ下さいと言うだけらしいです。それと、電報を送ってくれた人の名前は言ってくれないということでした。
プロの司会者を頼まないほうもせこいけど、100万円近くの料金をとっているのに、そこまで徹底する葬儀社のほうも相当せこいと感じました。

火葬場で出すお菓子も頼みました。火葬場ではお菓子の持ち込みはできるけど、飲み物の持ち込みはできないそうです。

通夜振る舞いは親戚の人と相談してお弁当を渡すだけで早めに帰ってもらうことにしました。
親戚の助言で帰りに芝寿司を渡すのにしました。
ご高齢で、遠方から自動車でおいでる方が多く、帰りが不安なため早めに帰っていただこうというのが理由です。
ほぼ全員が通夜、葬儀、火葬まで同行するので、ゆっくりと紹介するのや話をするのは、火葬場ですれば良いと判断しました。
挨拶をどうするか聞かれたので、告別式だけ挨拶をすることにしました。

おくやみ欄の掲載は最初はしないことにしていたたけど、通夜の3日後の31日(土曜日)に掲載して、通夜と葬儀は終了と掲載してもらうことにしました。
宿泊は4人まで可能という事でした。

遺体の葬儀場への搬送は15:00以降にするということでした。
納棺は葬儀場で行うので、搬送時に一緒に葬儀場に来てくださいということでした。

お布施は告別式の前に渡すと葬儀社から言われ、僧侶に渡すお布施をいれる袋が渡されました。

市役所への死亡届の手続きは葬儀社のほうでしてくれます。

16:00に僧侶が来て枕経と仮通夜のお経をあげてもらいました。
月参りに来てくれていた僧侶ではなく住職がおいでたので緊張しました。
通夜や葬儀は僧侶1人でということでお願いしました。
通夜や告別式は月参りに来てくれていた僧侶が担当するとの事でした。安心しました。
院号の法名を勧められたので母親の希望でもあっでお願いしました。
僧侶のほうからお布施が15万円、院号法名料が8万円だと言われました。
葬儀社から一般的にお布施は15万円程度と聞いていたので普通の金額だったようです。
お布施の袋の書き方や、院号法名料の袋の書き方の説明もありました。
院号法名料の袋は、普通の封筒で良いのか聞くと、葬儀社からもらうように言われました。

葬儀社から、芝寿司は指定の時間に配達もしてくれるという事だったので、安心していました。
ネットで笹すしのセットを選んで、電話したら翌日の予約はお昼の12時までだという事でとりおきもできないということでした。
他の弁当を葬儀社に頼もうかとか考えたのですが、葬儀社に問い合わせしたら、弁当を購入して葬儀社に届けたら保管していただくことが可能だということでした。
日持ちの問題もあり、母親も好きだったこともあって、通夜が行われる明日の開店時間に芝寿司のお店に購入しに行き、そのまま葬儀社へ届けることにしました。
それで、朝から仕事で能登へ行く予定をしていたのを取りやめにしました。
芝寿司では1店での入荷の数が限られていて、平日という事もあって、必要数の販売を行っていない可能性もあるということなので、違う種類のものを混ぜて購入することにした。場合によっては複数店で購入する事も選択肢にしました。

葬儀社の見積とお布施と、お弁当を加えると100万円を超えました。

夜に葬儀社から電話があって、担当者の世話になった人の葬儀が急に入って担当が変わるということでした。

母親が亡くなって入院先の病院から自宅に搬送

2026年10月26日

夜に入院先の病院より、呼吸が弱くなって止まりそうだと連絡があって、よりあえず弟に電話して、急いでかけつけましたが、もう呼吸が止まっていました。
連絡があった時には、もう呼吸が止まっていたのだと推測されます。

医師立会いの下に臨終の確認があり19:40に死亡となりました。

看護師から葬儀社の話が出たのでに一休さんの米永葬祭に電話して、今後のおおざっぱな打合せをしました。今から死後処理(エンゼルケア)などがあるので、すぐに来てもらっても困ることも伝えました。
生前に母親と、どういう葬儀にするか決めてあったのです。
弟が病院に来てから身体をふいたりの死後処理をしてくれるように看護師に頼みました。
母親と普段から交流のある叔母(母親の妹)にも電話をしました。
母方の親戚は叔母がしてくれました。
娘にLINEでメッセージを送りました。
葬儀社より1時間後の21:00頃に病院に行けるとの連絡がありました。
弟が来たので、しばらくしてから看護師に死後処理を頼みました。
弟はいったん帰りました。
遺体を寝かせる布団の準備(ベットではダメらしい)のため、いったん自宅に帰って妻をおろして病院に戻りました。
病室の私物を袋に収納しました。
葬儀社に死亡診断書を渡し、一緒に自宅へ向かいました。
遺体の寝かせる場所の確認をして、人手が足りないので、もう一人呼ぶことになりました。
仏壇は3階だけど2階の母親の寝室に運ぶことにしました。
自分を含めて3人で2階へ母親を運んで、祭壇の準備と仏壇の準備をして、神棚や人形に紙をかけ、南無阿弥陀仏の掛け軸をかけました。
葬儀社との打ち合わせで、改めて家族葬にすることを伝え、通夜は翌々日の18:00、告別式は次の日の10:00で決めて、火葬場の予約を入れてもらいました。
枕経と仮通夜をどうするか聞かれましたが、夜だということもあって、すぐに来てもらうのも悪いので、翌日に枕経と仮通夜を一緒にすることにしました。
お布施の一般的な相場も確認しました。15万円程度だと教えてくれましたが、葬儀社から聞いたと言わないで欲しいと言われました。
僧侶は一人で良いと希望を伝えました。
新聞のおくやみには掲載しない事にしました。
夜遅いのでお寺への連絡は控えようと思っていたのですが、葬儀社の人が、お寺と連絡をとってくれました。
結局、お寺の都合で告別式の時間は13:00になりました。
改めて火葬場の予約の変更をしてくれました。
娘と弟家族が自宅に来ました。
義妹に母親の口紅を塗ってもらいました。
葬儀社の打ち合わせを翌日15:00 枕経と仮通夜は16:00にしてもらうことにしてもらいました。
携帯電話に叔母から留守電が入っていたので、母親を家に連れてきたことと、家族葬にする事、お通夜と告別式の時間と場所などをCメールで伝えました。
死亡の手続きなどのための認め印を葬儀社に渡しました。
火葬場の費用5000円と5230円の用意と、遺影の写真を用意するように言われました。
遺影は母親と事前に相談して決めてあったので、その画像をUSBメモリで渡すことにしました。

翌朝、叔母に電話をしました。
母方の親戚へは、全部連絡してくれていました。
叔母は自分で運転しないので、バスの便の関係もあって朝のうちに来てくれることになりました。

母親が病院で亡くなった

2025年3月31日

母親が3回目の入院をしました。
5年前に間質性肺炎との診断があって、余命5年と言われていました。
最近は在宅酸素療法で普通の生活ができていたのですが、1週間前にインフルエンザB型にかかり、今日微熱が続くという事で、かかりつけ医に受診し、血液検査をしたら感染の数値が上がっていたので、病院に時間外受診をすることになりました。
病院で肺炎を起こしているとの事で入院する事になりました。

高齢で間質性肺炎で肺のダメージがかなり進んでいることもあり、回復は難しいという事でした。
いざという場合もありえるので心構えをしておいて欲しいと言われました。
医師より、延命の希望を聞かれ、本人も極端な延命も希望しないという事で、そのように答えました。

終活の必要があり、葬儀は知り合いのところで寺葬をしたいと伝えると、父親の葬儀の際からの月参りしていただいているお寺さんとの関係もあるので、それはやめてほしいと言われました。

2025年4月9日

母親が入院している病院から、明日退院だと電話がありました。
インフルエンザB型の感染歴のため面会は出来ないけど、数日前に病院に行った時に、
また発熱があったと聞いたばかりだったので、びっくりしたけど、回復して何よりでした。安心しました。

2026年1月2日

1月1日のお正月は元気で食欲もあったのですが、急に食欲が無くなった。

2026年1月5日

発熱があったので、かかりつけ医に受診し、そのまま大学病院に入院になった。
大学病院での検査の結果、発熱の原因は帯状疱疹だということだった。

2026年2月5日

大学病院は急性の病気しか対応しないということで、長期入院は難しく、金沢西病院に転院になった

2026年4月7日

金沢西病院を退院した。
長期入院のため、すっかり体力がなくなり自力では歩けないようになっていた。

2026年10月14日

その後、家の中を介護用にDIYで住みやすいようにして、歩行車などを使って、ある程度移動もでき、食欲もあり普通に生活していたのですが、急に食欲が無くなったので、訪問看護と相談して、救急車で金沢西病院に搬送して、そのまま入院になった。

2026年10月26日

午後に病院より心臓が弱っていたので、中心静脈カテーテル処置をしたとの連絡があった。
面会に行くも普通に会話できていた。
夜に病院より、呼吸が弱くなって止まりそうだと連絡があって、急いでかけつけたが、もう呼吸が止まっていた。