金沢の葬儀事情

父親が亡くなった事から、金沢の葬儀の事情に興味を持って情報を集めました

父親が亡くなった

2007年1月15日

夕方お風呂が沸いたということで父親が事務所で「もう上がるよ」って声をかけてお風呂のある2回に上がっていった。
父親がお風呂から上がると夕食なので、そろそろかなと思い事務所を閉めて茶の間に上がりました。
食事の用意ができてたんだけど、父親がまだお風呂からあがってこなくて、最近父親のお風呂が長いねって話をしながら待っていました。
しばらく、そのまま待ってたんだけど、あまりにも遅いので母親が見にいきました。突然大声が聞こえて、あわてて行ったら尋常な様子ではなくて、とりあえず父親をお風呂の湯船から出して、人工呼吸をしながら、父親の体を拭いて毛布をかけて息子に救急車を呼ぶように指示しました。父親を見ると無表情で動かなくて、とても生きてるようには見えなかったので脈を診ると頻脈があったので、まだ生きてると思い、息子と2人で人工呼吸を続けて救急車の来るのを待ちました。
ほどなく救急車がきて人工呼吸や除細動器などの処置をしてたんだけど、心停止状況だと言われました。それでも人工呼吸を続けて状況を聞かれたりしたんですが、母親の説明してるのを聞いて初めて父親が浴槽に沈んでいたことを知りました。
病院に運ぶということで1人同行してほしいと言われ俊が救急車に同行しました。
娘が学校から帰宅してなくて携帯電話でも連絡がつかず妻は所用で県外から戻る途中で連絡がつかないので母親は息子と一緒に娘が帰宅するまで自宅で待機することにしました。
救急車の中では人工呼吸が続けられお腹の水の吸引をしたんだけど、そんなに水を飲み込んでなかったようで、少量の水しか吸引できませんでした。
病院の救急部に運ばれて待合室で待機するようにということでした。とりあえず弟にすぐに病院に来るように連絡しました。

看護婦さんから、身内の者を呼んでおいたほうが良いとのことでしたので、自宅に連絡し母親に病院に来るように連絡しました。娘がまだ帰宅してなく連絡もつかなかったので、1人でタクシーで病院に来ることになりました。

救急部の看護士に呼ばれて中に入ると父は人工呼吸器がつけられていて、脈は回復したけど、体が回復する見込みは無いと言われました。モニターの心臓の波形は人工的な波形で、呼吸も人工呼吸での波形で自発的な呼吸ではなく血圧が下がってきているとのことでした。

血圧が下がって、医師から延命治療はどうするか聞かれたので、母親と弟が来るまでは息があって欲しいけど、不自然な延命処置は希望していないと答えました。

母親が病院に来たので今までの詳しい状況を説明しました。
母親が父方の親戚に連絡をとりました。

かなりしてから弟が来て、母親と弟と相談して、最終的に延命処置をしないことに決めました。

しばらくして、親戚のおばさんが来ました。

娘が帰宅したということなので、弟が息子と娘を迎えに行ってくれました。

父が亡くなった原因がはっきりしないということで、頭部のCT検査をしました。

CT検査の時に、弟が息子と娘を連れてきました。

その後集中治療室に運ばれました。

ほどなく父は意識が回復することなく家族に看取られて亡くなりました。

2007年1月16日

看護婦さんから、葬儀屋をどうするか相談されました。
病院の病室ごとに契約した葬儀屋さん(一休さんの米永)が決まっているけど、遺族の方でどこの葬儀屋を使うか希望があれば別にこだわらないとのことでした。
ただ病室と契約した葬儀屋以外の葬儀屋を使う場合は自分で連絡する必要があるということでした。
ちなみに父が亡くなった県立中央病院では各病室ごとに定期的に順番に葬儀社が入れ替わって公平を保っているそうです。

父親の死が急死で原因がはっきりしないということなので警察の検証が必要という事で警察の検死が行われました。死亡した浴槽の検証も必要ということで母親と警察が先に自宅に帰ることになりました。警察の事情聴取は結構時間が長かったようです。

警察の検死が終わって病院で父親の遺体をきれいにしてもらい裸で運ばれたので病院の浴衣を着せてもらいました。看護婦さんという仕事は本当に大変な仕事です。ちなみに亡くなった人の体を綺麗にしたり、つめものをしてくれたり最後のお世話をする役目をエンゼルというそうです。

病室と契約した葬儀屋は自宅から一番近い葬儀屋ではなかったのでどうしようか、かなり迷いました。
葬儀屋は、あくまでも病院から自宅に遺体を運ぶだけの請負で必ずしもその葬儀屋の式場を使わなくてはいけないという訳ではないようでしたが、やっぱり遺体を運んでいただいた葬儀屋に葬式を任せたいと思ったのです。米永さんはリーズナブルに葬儀をしてくれるというのは聞いていましたが、米永さんの葬儀場の場所も知らなかったし場所だけいえば金沢駅近くの葬儀社のほうが交通の便が良いと思っていたので、すぐには決めることが出来ませんでした。

母親が母方の親戚に連絡してから再び病院に戻ってきました。

父方の親戚が全員、病院に揃いました。

弟が自宅で遺体を迎える準備のため息子と娘を自宅に連れて行きました。

親戚と母親で相談して、最終的には、葬儀屋を病室と契約した米永さんに頼むことにしました。
病院から連絡をとってもらいました。

ほどなく米永さん(葬儀屋)が病院に到着しました。葬儀屋から宗派の確認がありました。一応、浄土真宗の東ですと答えました。
葬儀屋は絹っぽい化繊の布団をかぶせてくれて遺体をストレッチャーで車へ運びました。俊は救急車で病院に来たので葬儀屋の自動車に乗って遺体と一緒に自宅へ帰りました。

自宅について、葬儀屋が葬儀はどこでされますかと聞かれたので葬儀もお願いしますと答えました。

葬儀屋は遺体を3階の座敷まで運んでくださり、その後南無阿弥陀仏の掛け軸も持ってきてくださり、人形のケースに大きい紙を貼り人形を隠し、布団の配置をしてくれました。絹のような化繊の白装束を着せられ、ドライアイスで冷やされました。祭壇の組み立てをして、ろうそくと線香の用意もしてくださり、焼香しました。

親戚が続々と集まり、今後どういうふうにするかを相談しました。

父親の実家のお世話で、僧侶の手配をしていただきました。僧侶は夜中にもかかわらず、おいでになってくださることになりました。

葬儀屋から布団の処分をどうするかと、受付を誰に頼むかなどを考えておいてくださいと言われました。
葬儀屋から葬式の祭壇のクラス(料金など)、参列者の予定人数と葬儀の部屋の大きさ(100人、200人、それ以上)、花の種類などの相談がありました。
また棺おけに入れる故人の思い入れのある品を選んでおくよう、また、おくやみの言葉を考えておくように言われました。祭壇に飾る写真も選んでおくように言われました。病院で渡された死亡証明書を葬儀屋へ渡しました。
それから親戚名簿を渡され、親戚の通夜・葬式・火葬場・中陰の食事での出欠の記入の依頼をされました。会場の大きさとかは、何人の人が参列されるか想像もつかないので、途方にくれましたが、まずは親戚の人がどれくらい参列されるかという事から数えていかないと前に進まないという感じみたいです。

しばらくたって僧侶がおいでになり、葬儀屋の布団の位置が間違っていたので直して、お経をあげてくださり焼香しました。

親戚の方に通夜・葬式・火葬場・中陰の食事での出欠の記入をお願いしました。

とりあえず、当日は親戚は帰宅しました。

亡くなったのが夜なので翌日に通夜は無理ということで、お日柄も考えて通夜は亡くなった2日後の17日にすることになりました。

親戚が帰ってから、祭壇に飾る父の写真を選びました。写真を選んでいると父親が元気なころの事が思い出されて初めて悲しみを感じました。父が亡くなったのは、あまりにも突然で次から次へと決めなければいけないことがあって全く気持ちの余裕が無かったんです。

父親はあまり写真を撮られることが好きでは無かったようで、最近撮った父親の写真が少なくてなかなか良い写真が見つかりませんでした。親戚の結婚式での写真で良い顔の写真があったんだけど、顔が小さくしか写ってないしネクタイも白だし無理だろうと思っていたんですが、写真はくっきりと写っていれば、小さくても大丈夫なんだそうです。背景はコンピューターで消しますし、ネクタイの色も修正できるので、おめでたい席での写真でも対応できるということでした。おかげで良い表情の写真を使えることになりました。

ちなみに写真代は葬儀の基本料に含まれています。

父親が亡くなった日、母親は一睡もしないで父親を見守っていたようです。

俊は、疲れてしまっていて、ぐっすり眠りました。

翌朝、普通に会社の事務所をあけて、まずは、仕事上の関係が深い会社に社長である父親が亡くなったことを、通夜と葬式の予定も含めてFAXで連絡しました。

町会の会長にも父親が亡くなった事を連絡し、通夜と葬式の予定を伝えました。

急ぎの仕事も済ませました。

父親が亡くなった翌朝、親戚からの助言もあって、朝一番に銀行と郵便局の父親の預貯金をおろしに行きました。最初に銀行に行って普通貯金のほぼ全額をおろしました。父親の実印と通帳と保険証と自分の印鑑と身分証明書を用意していきました。

郵便局は定額貯金、定期貯金の全額と普通貯金のほとんどをおろしました。最近法律が変わって、キャッシュカードで1日におろせる金額の上限が決まってしまったので、窓口で特別な手続きが必要でした。

郵便局は結構甘いので、本人が亡くなっても、すぐには口座をロックされることは無いんですが、銀行の場合は、本人が亡くなったのを感知するのが早く、すぐに口座をロックされるので、葬儀にかかる費用を故人の口座のお金で賄う場合は、いち早く口座のお金をおろしておかなければ、葬儀に使うお金を工面できないということになりかねません。

父親が亡くなった夜に、親戚といろいろ相談してたのですが、親戚に仏壇屋さんの知り合いがいて、製造元で誠実な人なので、安くて良い仏壇を世話してくれるということなので、来てもらうように頼んであったのですが、翌朝に来てて、俊が銀行や郵便局に行っている間に買う事に決まってました。その時には、仏壇屋さんを紹介してくださった親戚の人も来てくれてました。
最初200万円ということのようでしたが母親が仏壇には150万円しか予定していないと言ったようで、結局150万円で納めていただけるようになりました。

仏壇は当日中に届きました。俊には仏壇の良し悪しは分からないのですが、葬儀屋も含めてみんなが、りっぱな仏壇だと驚いていたので、りっぱな仏壇なのだと思います。
それを仏壇屋さんに言ったら、興奮して、「そうでしょう、これは横安江町のお店だと500万円で売っているくらいの、りっぱな仏壇なんです」と胸をはって言ってました。なんでも、この仏壇はお店を開店するときに飾るため誠心誠意つっくったもので、どこに出しても恥ずかしくない仏壇やと言ってました。

仏壇が届いたので、さっそく僧侶に連絡して仏壇の仏入れをお願いしました。僧侶から花と赤い蝋燭を用意するように言われました。赤い和蝋燭(白い和蝋燭も)は仏壇屋さんが用意してくださっていたので、花屋さんに行って仏壇用の花を買ってきました。

祭壇には普通の蝋燭を使いますが、仏壇には和蝋燭しか使わないようです。

飯椀に盛るご飯ですが、お銚子などを使って山盛りでしっかりぎゅうぎゅう詰めにして盛ります。

僧侶が来て仏壇を見て、配置がちょっと違っていたので、並び替えてくださり、花も普通の仏壇の花ではなく樒(シキミ)か、青木の枝(榊でも可)のことだったようで祭壇に飾ってあった樒(シキミ)を半分仏壇にお供えしました。樒(シキミ)は毒性のある植物で劇薬に指定されているそうです。
仏壇に上卓が不足してると僧侶から指摘がありました。
上卓って何であるか全然わからず、仏壇屋さんに聞いてもわからなかったので、後日再び僧侶に聞いたのですが、飯椀を乗せる小さい卓のことでした。後日仏壇屋さんが無料でくださいました。

結局、仮通夜と仏壇の仏入れが一緒になったのですが、当然のことながら、仏入れは葬儀のお布施とは別ということで、仏壇の仏入れのお布施2万円を包みました。.

葬儀社がお昼に来て、打ち合わせにきました。最初に決めるのは、会場の大きさと、葬儀の祭壇や花をどの程度のものをするかです。前日はどれくらいの人が参列されるのか検討もつかなかったのですが、親戚の人の人数を調べてみただけで、そこそこの人数が参列することがわかり、100人の会場では狭いということで200人の会場にしました。米永の葬儀場は1日に1組しか葬儀を行わないので、1つの大きな会場を仕切って小さな会場にしたり大きな会場にしたりするようです。そういう訳で中くらいの200人の会場にすることにしました。米永の葬儀場の場合は会場の大きさによって、そんなに料金が違うということでも無いようです。
親戚と相談して、祭壇はそんなにりっぱなものにする必要はないけど、花は多少りっぱにしたほが見栄えが良いということなので、祭壇は最低クラスの80万円のものにしました。
米永さんの場合は会員制(入会金1000円で会費無料)をとっていて俊は会員になっていなかったのですが、最初から会員価格でさせていただきますということでした。ちなみに80万円の祭壇というのは会員価格で一般価格は130万円ということでした。

米永さんの場合は祭壇の料金80万円というのは葬祭の基本料ということで祭壇の貸出料の他に霊柩車、寝台車、棺おけ、額入り写真(標準は白黒だけどカラーにしてくれた)、枕飾り、後飾り。ドライアイス(1回分)、高級仏衣、祭壇盛物、御供え蝋燭、檀花、お別れ花、消耗品セット、司会(通夜・葬儀)、式場看板、案内立て看板、役所手続き代行、式場奉仕係、駐車場係、町会の送迎バスが含まれます。

会館使用料は別途かかり会員価格15万円(一般価格25万円)です。

祭壇生花は30万円のをお願いしました。30万円の生花はクラスとしてはそんなに高いクラスではないんですが、米永さんが30万円のでも結構りっぱだというのでそのようにお願いしました。花は白色と黄色だけの花にするか、華やかな色の花も混ぜるか聞かれたのですが、華やかな色の花を使うことも多いというので、華やかな色の花をお願いしました。

通夜や告別式の僧侶は3人で勤めていただくことにしました。金沢では3人が一般的ということのようです。

火葬場へのバス往復の料金は別途47250円かかります。

追加のドライアイス料も別途5000円程度かかる場合もあります。

葬儀のほとんどの費用は、後ほど葬儀社から請求書がきてから支払いするのですが、斎場の費用は先に葬儀社に支払わないといけません。斎場の費用は地域によって料金が違いますが、金沢の場合は、火葬炉使用許可申請書5000円、斎場待合室使用許可申請料5000円、霊柩車運転手寸志5000円、寝台車運転手寸志、バス運転手寸志3000円(タクシーを使う場合はタクシー運転手寸志2000円、納棺係寸志10000円、布団を処分する場合は布団処分料5000円の合計33000円を葬儀社に預けました。
その他に、斎場で骨壷の料金10000円程度、斎場のロビーでの飲み物代は、火葬の際に自分で支払わなければいけません。

死亡広告を北国新聞に掲載するということで葬儀屋さんが各新聞社と広告会社に連絡をとりました。

当日のうちに北国新聞の死亡広告担当の広告会社がきました。
死亡広告は行数によって料金が決まるということでした。
文章と掲載する名前を決めたのですが、俊と弟と会社名だけを掲載することにしました。一般的には親戚一同というので1行入れることが多いということでしたが、親戚一同の掲載をしなくても苦情言う親戚はいないだろうし、親戚一同を入れることによって何かを伝えられるものがあるとは思えないので、無理言って省いてもらいました。

最近、会葬御礼の広告を目にするけど、新聞社の儲けになるだけで、あまり意味があるとも思えないので、掲載を依頼されたら断ろうと思っていたのですが、それについて何も言われなかったので断る手間が省けたとホッとしました。
ちなみに北国新聞の死亡広告は高さ6cm(12段)で約38万円でした。死亡広告が高いのは聞いていましたが、あまりにも高額です。

死亡広告って一般の人は見ない人がほとんどです。死亡広告を見る人は、おくやみの欄も見るので、仕事関係で営業を休まないといけない場合以外は出すだけの効果は少ないです。仕事関係で営業を休まないといけない場合でも、死亡広告を見る人が少なくて効果は少ないけど、一応出しておいたという気休めにしかなりません。

仮通夜は、平服で行います。もちろん仮通夜の日の食事は精進料理です。寿司屋に魚無しの寿司を頼み、お菓子とおつまみを用意しました。

仮通夜にも親戚が大勢きてくださり、いろんな事を相談しました。

中陰の食事まで残ってくださる人の確認し、親戚が出してくださる生花の籠、お菓子の籠、果物の籠の数を確認しました。ちなみに果物の籠盛りは10500円、菓子の籠盛りも10500円、生花の籠は12600円でした。生花の籠はもっと大きな高いのもありましたが統一することにしました。

受付や会計をしてくれる人の分担も決めました。

お通夜と告別式の挨拶を誰がするかも相談しました。お通夜と告別式の挨拶を誰がするかはなかなか決まらず、結局、お通夜の挨拶は弟が、告別式の挨拶は俊がすることになりました。
中陰の挨拶は必ず喪主が行うのですが、通夜と告別式の挨拶は喪主でも良いし、その他の親族、親戚でも良いのです。

仮通夜には、もちろん僧侶のお経もあり全員での正信偈の唱和もしました。

巻き線香と蝋燭の火は常時つけておき、焼香の種火も絶やさない様にしておかなければいけません。

2007年1月17

仮通夜から朝まで、母親が遺体につきそっていたのですが、やっぱり、ほとんど寝れなかったようです。俊は、ぐすり眠れました。

通夜の日の朝には、告別式の挨拶の言葉と中陰の言葉を考えました。通夜の挨拶、告別式の挨拶、中陰の挨拶については、葬儀屋さんから例文が渡されていたのですが、中陰の挨拶は例文通りで良いと思うけど、告別式の挨拶については通り一遍の挨拶で済ますのもどうかと思うので自分で文を考える事にしました。

朝から親戚の方が来てくださり、棺おけに入れるものを決めたりしました。父親が釣りが好きなので釣り道具を入れようと思ったのですが、釣り竿はカーボン製なので焼却ができないということで、いろいろ探して釣りの時にかぶる傘帽子と釣りの糸を入れることにしました。最近買ったカーディガンも入れました。父親はお酒が好きだったので、紙パックのお酒も入れました。

お通夜の祭壇には父親が浮きなので箱入りのお酒と釣り竿を飾ることにしました。

生花の籠と、菓子折りの籠と、果物の籠を誰のをどの位置に置くかを決めました。
中陰の食事のテーブルの座席について誰がどの位置に座るかも決めました。中陰の食事には僧侶も席に着きますので、忘れないようにしないといけません。

葬儀屋さんが午前中に来て、菓子籠、生花籠、果物籠の数を注文しました。
菓子籠より果物籠のほうが多かったのですが、果物は中陰の後に、中陰の出席者に配るくらいしか用途がなく4つくらいで良く、菓子籠は告別式に出席した参列者に配るので、菓子籠の数を増やして、果物籠の数を増やしました。また会社関係から生花籠が多く届いたので、親戚の生花籠の数を減らして菓子籠の数を増やしました。

葬儀屋さんから、金沢市の市役所に提出する葬祭費請求用紙を受け取りました。葬祭費請求用紙を提出すると金沢市から5万円の支給があるそうです。

通夜当日も出棺までは平服で良いです。

通夜当日も仕事の電話があり、急用は対応しました。

食事は、もちろん精進料理です。

自宅からの出棺予定は16:30ということでした。

父が亡くなった翌日である昨日、葬儀屋さんから新聞のお悔み欄に掲載するため各新聞社に連絡するから最終的な確認の電話があると言われました。
昨日、最初に北陸中日新聞社から電話がありました。丁寧な応対の電話でした。
それからしばらくして読売新聞社からも電話がありました。こちらも丁寧な応対の電話でした。
夜になって、北国新聞社から電話がありました。電話で、いきなり死亡広告は出していただけましたかと言われてびっくりしました。「申し込みしました」と言うと、ありがとうございましたと言って、最終的な確認になりました。夕刊に鎮魂歌というのがあるのですが、死亡広告を出していただいた人には掲載しますからということで、その文の内容についての打ち合わせもしました。
朝日新聞社からは今日になってやっと連絡がありました。朝日新聞社は葬儀社からの連絡ではなくて、市役所からの連絡だったのかもしれません。朝日新聞社の地方版は、お悔やみ欄に関わらず、他の新聞社より記事になるのは1日遅れになるようです。
北陸中日新聞と北国新聞と読売新聞のお悔やみの欄はお通夜の朝刊に掲載されました。
北国新聞の死亡広告もお通夜の朝刊に掲載されました。

中陰の挨拶は米永さんの例文通りにおこなうことにしました。

告別式の挨拶の内容は自分の気持ちを正直に伝えるものにしようと、いろいろ考えました。
精神状態が正常では無く、1行の言葉すら覚えることができないので、文書化して当日は文を読むことにしました。

告別式の挨拶文を考えていると父とのいろんなことが思い出され自然と涙が流れてきました。子供の頃にいろんなところに連れて行ってもらった時の楽しかった事や感謝の気持ち。父親という存在は息子にとっては、いつも尊敬できる存在でいて欲しいという気持ちがあって、年老いてから酒ばっかり飲んでいる父親を見てついイライラして冷たく接したことについての後悔の気持ちなど、次から次へといろんな気持ちが溢れてきました。

礼服に着替えて、出棺の時間を待ちます。自宅から葬儀場への出棺の予定は16:30だったんですが葬儀社の人が来たのは16:50でした。
棺おけやお供え物は全部、葬儀社の人が運んでくださいました。俊の家の座敷は3階なので結構大変なのです。

葬儀場へついて、葬儀社の式場担当の方から、僧侶さんへの挨拶や、焼香の仕方など、いろいろ説明を受けました。葬儀式場を見てみると仕事関係の花輪がいくつか飾られていました。後からお礼をしないといけないので写真を撮っておきました。

17:30から受付を始めました。18:00には最初の参列者がおいでになりました。
18:00から司会者との打ち合わせが始まりました。

18:30には葬儀式場に着席しなければいけないということですが、参列者が早めにおいでになりましたので早めに着席してました。

金沢のお通夜はお経が始まる前にお焼香を済ませ、遺族に挨拶を済ませておくのが通例なのです。

電報は控え室に届けられ、香典は金銭の管理者である叔父さんのところ(こちらも控え室)に届けられます。届けられた香典は香典記帳用紙に住所、氏名、金額を記入してもらいます。金銭の管理者は実際にある金額と香典記帳用紙の金額の合計が合っているか確認しないといけません。香典とかのお金は葬儀社で管理してくれるわけではなくて、自分たちで管理しなくてはいけません。お通夜の香典は控え室の金庫にいれて保管することになりました。

予定通り19:00からお通夜がはじまりました。僧侶の入場の祭には遺族は立ってお迎えしなくてはいけません。もちろんお辞儀が必要です。

お通夜でのお経について、仏説阿弥陀経と正信偈を唱えるのですが続けて唱える場合や、仏説阿弥陀経と正信偈の途中に僧侶の休憩をとって、その間に、焼香を済ませる場合があります。正信偈は参列者で唱和できる人は一緒に唱和してもらうのですが、正信偈の本を参列者にお預けする場合やそうでない場合があったり、まちまちです。

今回は、仏説阿弥陀経と正信偈を連続して唱えて、正信偈の時には正信偈の本を参列者にお預けして全員で唱和しました。

仏説阿弥陀経と正信偈が終わってから、焼香の終わってない人の焼香がありました。

お通夜が終わって、挨拶とかしてて落ち着くのは20:00過ぎになります。
香典の集計とか香典帳への記帳は、なかなか大変で夜遅くまでかかります。

お通夜が終わると棺おけは控え室に運ばれます。控え室には祭壇が用意されています。蝋燭や線香は火を絶やさないようにしなければいけません。

通夜の日には親戚の多くが控え室に一緒に泊まってくれました。

米永には15畳くらいの和室の控え室が3つあって、1日に1組しか葬儀をしないので全部の部屋を自由に使えます。お風呂もあるし、無料の飲み物自動販売機もあります。歯ブラシもタオルも用意されています。

葬儀式場に頼んでおいた夜食のお寿司とオードブルが用意されてました。お通夜の前には食事をする時間が無いので軽くしておいて、基本的には食事は通夜後になります。お寿司やオードブルはほとんど残ってしまいました。お葬式場の案内の人は遅くまで本当に親身にお世話をしてくださいました。お葬式場の案内の人はその式場専属というわけではなく、葬儀のある米永の各地の式場に、いろいろ周っているのです。毎日通う職場が違い朝早くから夜遅くまでお世話して大変な仕事です。子供は深夜保育のある保育所に預かってもらっているそうですが、式場と保育所の場所が離れている場合など大変みたいです。お寿司やオードブルがたくさん余ったので案内の方に持ち帰っていただきました。

親戚の生け花の費用は金銭の管理者である叔父さんが回収していただいたのですが、そのお金とか香典のお金は控え室の金庫に保管します。金庫といっても小さくて持ち運びできそうな大きさで、誰もいないところに放置しておくのは、ちょっと不用心です。葬儀の間には、葬儀式場で預かってもらうことにしました。

お通夜が終わってから、いろいろ決めないといけない事があります。香典帳の記入が終わってから、それをもとに焼香の順番を決めないといけません。名前と住所見てもどういう関係の人か判らない人もいたりしますが、親戚の多くが残っていたので、親戚の人に聞いて、参列者全員がどういう関係の人であるか確認できました。後々のため、どういう関係かわからないひとについては、どういう関係の人か記入しておくと良いです。

その他にも、電報の順番をどうするかとを決めないといけないです。特に政治家(議員)の電報の扱いをどうするかは、いろんな意見があって揉めます。俊は政治家(議員)の電報は無視したかったのですが、反対意見が多くて困りました。

2007年1月18

夜中にも告別式の挨拶の文を修正してたりしたのですが、あちこち修正したら原稿がぐちゃくちゃになってきたので、自宅に帰って、パソコンで原稿をつくりなおすことにしました。

家に帰って自分の部屋に一人でパソコンに向かって原稿を考えていると、今までの緊張がぷっつり切れたようで、急に涙がでて止まらなくなりました。自分にこんなに涙があったのかと思うくらいです。永い間、涙なんて流すことが無かったので自分の事ながらびっくりしました。

そうこうして告別式の挨拶の文を修正し、プリントして葬儀式場へ戻りました。

葬儀式場に戻ってからは、このブログをつくるために今まで起きたことを整理してノートに書いておきました。このブログはそのメモを元に、記憶をたどって投稿しているものです。

結局、お通夜の夜は一睡もせずに朝を迎えました。
母親から今夜は兄弟で見守りなさいって言われえたので寝てはいけないのかなと思っていたのですが、そいういう意味では無かったようです。見守りなさいと言われて、ただ近くで起きていれば良いのかなと思っていたんですが、線香の種が消えかかっているのを気づかずにいて、親戚が見に来て火種を追加してもらったりして、なんのために起きていたのかって感じだったんですけど。

告別式の挨拶は以下のようなものにしました。
本日はご多忙のところ故人のために御会葬くださいまして、誠にありがとうございました。

故人生前中は皆様より格別な御厚情、御愛顧をいただきまして誠にありがとうございます。

父は、負けん気が強くて仕事熱心な人だったという印象が強いのですが、思い返してみると、若いときはスキーが好きで、よくスキーに連れていってくれました。
その他にも、子供の頃、旅行や遊園地などいろんなところに連れて行ってくれた父でした。
また佐藤先生からアユ釣りを教えていただいてから、アユ釣りに行くのが楽しみになって
アユ釣りの季節には岐阜の宮川や富山の神通川、福井の九頭竜川によく出かけていました。
でも体力に自信が無くなりアユ釣りに行かなくなってから、急に気力が衰え元気でなくなりました。
ここ数年は朝に掃除をして日中には事務所の横の和室で寝ていて、夜にはひとりでお酒を飲んでいる事が多かったです。時々元気なさそうな表情を見せる事もあり、家族として、もっと優しく接してあげられれば良かったのにと思います。

15日月曜日の夕方、父はお風呂に入るため、いつものように、事務所で「あがるよ」って声をかけて
2階にあがり、母親には「はいるよ」って声をかけ、寝室で夫婦の布団を敷いてからお風呂に入りました。いつものように食事の準備をして父がお風呂から上がるのを待っていたのですが、なかなか上がってこないので母がお風呂場に見に行ったところ、父は浴槽のなかですでに心臓が止まっており意識のない状態でした。
救急車で病院に運ばれ一旦蘇生したものの、そのまま意識が戻らず、15日20時28分79歳で、永眠いたしました。
本日、かように盛大なお見送りを受けまして、故人もさぞ満足していることと存じます。
皆様方の故人に対する御厚意を重ねて御礼申し上げますと共に、残された遺族一同にも同様の御厚意を賜りますよう、ひとえにお願い申し上げます。
誠に「そじ」ではございますが、遺族感激の胸中を皆様に「ひれき」して、御礼の挨拶とさせて頂きます

告別式は葬儀式場で親戚の方々と宿泊したので、葬儀社に朝食を用意してもらいました。
朝食を終えてから告別式までの時間は、することが多く大変です。

朝8:30から司会者との打ち合わせがありました。
前日から電報を預かっていたのですが、電報の名前を読み上げる順番を詳しく決めいなかったので、ちょっと焦りました。結局、政治家の電報の名前は読まないで無視するという俊の希望は受け入られなったのですが、仕事関係の電報の名前を先に読むという事と、政治家も実際に関係のある政治家から読み上げて国会議員の電報は後に読むという事で妥協しました。他の人の告別式で、政治家の電報は名前を読まなく、他の電報も一部だけしか読み上げないという例が結構あるのですが、今回は最初から全部読むのが当然という感じになっていたのが、ちょっと残念でした。
それから、焼香順の確認もありました。こちらのほうは前日に決めておいたので問題無かったのですが、電報と違って香典袋には読み仮名が書いてないので漢字の読み方がわからない人もあったりして、親戚に聞いて周ったりしてました。焼香順は基本となる順番は、お通夜の香典を記入した香典帳をもとに順番を決めるのですが、お通夜においでなくて、告別式においでる方もいますので、告別の受付で香典をいただいた人をどの順番に焼香してもらうか、その都度、司会者に指示しないといけません。その都度司会者は読み上げる台本に付箋をつけたりして読む順番をわかるようにします。
焼香の人を読み上げるのも、お通夜においでた人も、香典を預けて届けてもらった人も、全部名前を読み上げるのが当たり前というような感じで打ち合わせがあったのですが、他の人の告別式では、親戚は全員の名前を、そのほかの人は一部の方だけ読み上げて残りは座席順に焼香してもらう方式をとる例もあります。全員の名前を読み上げると途中参列していない人が続き間延びした感じになってしまうので、親戚以外は一部だけ名前を読み上げるほうが良いと思いました。

告別式には遺族は、早めに待機してないといけないのですが、お通夜と違い、告別式へは、そんなに早くおいでになる方はいません。

前日の通夜での香典は早めに葬儀式場の事務所で預かっていただきました。
当日の告別式の香典も、事務所で預かってもらいました。

告別式の30分前には僧侶がおいでますので、僧侶がおいでた時に会場の案内の方が呼びにこられます。葬儀社の方に案内されて、僧侶控え室に行き、3人分のお布施と院号法名料を僧侶に渡します。導師のお布施は15万円で、その他の僧侶にはその半額ずつだと葬儀社の方に聞いていたのですが前日に僧侶から導師に15万円から20万円、その他の僧侶には6万円ずつだということでしたので、導師に17万円、その他の僧侶に6万円ずつ包みました。
この時のお布施は、亡くなってから最初のお経である枕経から仮通夜、通夜、告別式、斎場での法要、告別式の日に行われる中陰の法要までのお布施です。
院号法名料は8万円と僧侶から聞いていたので8万円を包みました。法名料は通常の法名の場合は3万円、院号法名の場合は8万円のようです。
院号法名は白木の位牌に名前を書いてもらって祭壇に飾ります。
浄土真宗の場合は後日に、院号法名を書いた札(紙)をいただけるのですが、その札を掛け軸に装飾して仏壇に掛けておきます。浄土真宗ではその掛け軸(院号法名軸)が位牌となります。

告別式は10:00からはじまりました。親戚以外でお通夜と告別式の両方に列席される方は少ないのですが、それだけにお通夜と告別式の両方に列席していただける人というのはありがたく感じるものです。
僧侶入場の際には親族は起立して一礼をしてお迎えします。
読経、僧侶による焼香の後で、弔辞をする場合は、弔辞が行われ、その次に弔電を読み上げます。弔電は普通は数件だけ内容を読み上げ残りは弔電の差出人の名前だけを読み上げます。弔電の差出人の名前の読み上げは省略する場合もあります。
その後に、焼香が行われます。焼香は喪主から始めてその後、親族、親戚、その他の会葬者の順番に焼香します。焼香の順序は名前を呼ばれてから焼香する場合と座った席順に焼香する場合があります。
焼香の時には左手で数珠をもち最初に僧侶に一礼し、2,3歩前で遺影を正視してから一礼し、焼香台の前に進み出て、数珠を両手にかけて、合掌したあと、右手の親指と人差し指、中指の三本で、香箱の香をつまみ、そのまま、香炉におとします。浄土真宗大谷派(東)の焼香は2回で香を額にかざすことはしません。終わって、ふたたび遺影に合掌し、うしろ下がりに三歩ほどさがってから、席に戻ります。
一般の会葬者は席に戻る際には遺族に一礼します。遺族は会葬者の一礼の際には座ったまま応じます。
焼香が終わると僧侶は退席します。僧侶の退席の際にも遺族は起立して一礼します。
僧侶退席後に遺族からの挨拶があり、閉会の辞が行われ告別式は終わります。

告別式が終わると、会葬者のお帰りの際に菓子盛りのお菓子を会葬者に配ります。
会葬者の人で出棺を見送っていただける方はロビーに待機しています。
出棺する際には、親戚が祭壇の花を棺おけに入れます。この時が遺体を見る最後の時になります。
出棺の時には涙が出て止まりませんでした。本当にどうにかしてしまったような感じです。
棺おけを霊柩車に乗せて、喪主ほか近親者が一緒に乗ります。他の親戚はバスもしくはタクシーに乗って火葬場に同行します。一部の会葬者は残って、出棺を見送っていただきました。出棺を見送っていただいた会葬者は、やっぱり遺族にとっては印象が残るものです。

斎場につくと棺おけを斎場の待合室に運び、僧侶による読経があり、棺おけの周りを右回りに周って最後のお別れをします。
それからいくつか並んでいる火葬炉の中で自分の苗字の書いた火葬炉のほうに運び、火葬します。

火葬が終わるまで70分程度かかりますので、まず骨壷を選びます。大きさや袋のデザインに何種類かのものがあります。あまり大きな骨壷を選ぶと納骨の関係で支障があるということなので、ごく一般的な大きさの骨壷を選びました。骨壷は大きい骨壷と、小さい骨壷がセットになっています。骨壷のお金はその場で支払います。1万円でした。

控え室(ロビー)で火葬が終わるのを待ちます。その間、飲み物を注文し、持参したお菓子をひろげたりしてました。お腹がすくということで葬儀社でおにぎりを用意してくれました(後で請求されてました)。
火葬が終わると、連絡があり、飲み物の会計を済まし(料金は喪主が一括して支払います)、火葬炉の中に入ります。

当然ですが、身体の各部分の骨は、その位置に置かれていますので、焼かれた骨はどの部分の骨か一目瞭然です。

最初に、喪主が喉仏の骨を小さい骨壷に入れます。喉仏の骨の入った小さい骨壷は分納する場合に、その小さい骨壷を寺に預けることになります。必ずしも分骨しなければいけないということではなくて、大きい骨壷と一緒に墓に入れてもかまいません。

喉仏の骨を小さい骨壷に入れた後は、全員で上半身の骨を中心に大きな骨壷に入れます。大きい骨は割って骨壷に入れます。最期に頭蓋骨の綺麗な部分で蓋をします。

遺影と骨壷をもってバスで葬儀場に戻ります。

斎場から葬儀場へ戻ると、今度は中陰の法要があります。中陰の法要は近しい親族と、生前故人と特に親しかった人とで執り行われます。お経があげられご焼香をしました。

中陰の法要が終わって中陰の宴席があります。中陰の宴席の最初に喪主の挨拶があります。
中陰の食事は当然精進料理です。
適当な時間に僧侶の席から挨拶に周ります。
中陰の時には締めの挨拶はないので、適当な時間に、親戚に帰るきっかけをつくって貰います。
中陰の食事が終わったら帰るときに中陰の列席者に残った花や籠盛りの果物を分けて持ち帰ってもらいます。その他にもお土産品を用意しました。
タクシーで帰られる人には、タクシーの運転手にタクシーチケットを配るように葬儀社の人に頼んでおきました。

中陰の参列者が全員帰ったら、葬儀社の事務室に預かっていただいた香典のお金をいただいて帰ります。もちろん遺骨と遺影も持ち帰ります。

葬儀社の人は、余った花や、余った果物、お菓子、香典袋、香典帳などを持ってきてくれます。それから自宅の祭壇の飾りつけもしてくれます。

忌中の紙を玄関に貼ります。

中陰の食事は、なかなか美味しかったです。

葬儀が終わって、とりあえず近所の会葬者に挨拶周りをすることにしました。挨拶の際に残った花も配りました。全員の分の花が無かったので適当に配分しました。夕方なので在宅の人も多く、効率よく周れました。
明日からの仕事関係の挨拶回りをしないといけないので香典帳を見ながら予定をたてました。

香典を見ると、近所や遠い縁の人は5000円ですが1万円というのが多く、近しい親戚は5万円でした。
親戚以外で5万円とか3万円とかいう高額な香典もあってびっくりしました。

2007年1月19

今日の朝刊に会葬御礼の広告が掲載されました。
広告代理店との打ち合わせで、全く話が出なかったので、会葬御礼の広告を断る手間が省けたと思ってたのに、なんの断りも無く広告を出されてしまいました。38万円ってめちゃくちゃ高いと思ってたのですが、会葬御礼の広告代も含まれていたと思うと悔しいです。
広告代理店の説明不足なのか、北国新聞社が死亡広告と会葬御礼の広告をセットでしか受け付けなくしてるのかわからないけど、広告主になんの説明も無く勝手に両方の広告を掲載するのは不公正だと思いました。

昨日、近所の挨拶を済ませたので、今日は仕事関係の挨拶回りをしてきました。仕事柄、礼服で行くのは差しさわりがあるところがほとんどなので、紺色のスーツで周りました。
親戚以外で花篭を送っていただいた方や、通夜と告別式の両方に会葬していただいた方や、特に普段お世話になっている方を中心に周りました。
普段お世話になっている方のところに周ることは仕事の内容と重なるので実質的に告別式の翌日から仕事したようなものかもしれません。

新年会と旅行のお断りの連絡を入れました。

葬儀屋さんに死亡届を出していただいて火葬許可をとってもらっていたのですが、その他に自分で手続きしないといけないことは、いろいろあります。
それで、さっそく市役所へ行ってきました。
生命保険の手続きをするため、死亡証明書(350円)と父親の戸籍(全部事項証明450円)の書類を請求しました。葬祭料5万円の小切手もいただいてきました。市役所内の北國銀行だとすぐに現金に換金できます。

市営墓地の管轄は保健衛生課です。保健衛生課で市営墓地がどこにあるのか、墓地の費用と空いている墓地について問い合わせして資料をもらいました。
市営墓地は卯辰山と野田山と内川にあるとのことです。

卯辰山は洋式墓限定の場所が5平方メートルで457,500円、自由な墓を建てられる場所が、3平方メートル274,500円から20平方メートル1,980,000円までありますがいずれも空きが無かったです。

内川は洋式墓限定の場所のみが空いていて4平方メートル400,000円でした。

野田山は従来の墓地の空いている場所と新しく造成した場所がありますが従来の墓地の空いている場所は1平方メートルあたり72000円で新しく造成された墓地は1平方メートルあたり111000円でした。従来の墓地の空いている墓地は安いのですが段差がきつくて足が悪くなると行きにくいのでお勧めしないということでした。
新しく造成した場所はトイレ・駐車場があり、水道も各墓地近くに整備されているので良いのですが、最も小さい場所で10平方メートルなので最低でも1,110,000円します。

市営墓地って申し込んでもなかなかあたらないって聞いていたので、空いてる墓地があるとは思っていなかったのですが、幸いにも前田利家の墓地の近くの墓地が空いていました。どうも環状線道路をつくるにあたり、墓の引越しがあって、そのための代替地として用意してあったの墓地が余ったのではと思われます。

市営墓地の場合は、墓地は自分の土地として購入するのではなくて、永代借用ということになりますが、民間の墓地のように管理料はかかりません。

市営墓地は、墓地に入る人が亡くなってからでないと申し込みはできませんし、3年以内に墓を建てないといけないとか、墓地によって、墓の高さや土地を露出しなければいけない割合などの制限がありますので確認が必要です。
市営墓地は安いという思い込みがあるかもしれませんが必ずしもそうとは限りません。いろいろな墓地を調べて比較検討してから申し込みするのが良いでしょう。

挨拶回りをして、いろいろ話をしたんですが、米永さんにお願いした葬儀は、とても評判が良かったです。家族や親戚も、本当に職員の人が親切だったと感謝の気持ちでいっぱいで満足していたのですが、列席者の人も、真心の行き届いた対応だったという意見が多かったです。
弔旗なども、ちゃんと片付けて届けていただいたり、葬儀当日は少し雨が降っていたりしていたのですが、参列者が帰る際には自動車のところまで傘を差していただいたり、他では経験したことのない事だったということでした。
祭壇も、そんなに高い料金の祭壇で無かったのに、りっぱな祭壇だと言っていただいたり。
本当に米永さんにお願いして良かったと思いました。

自分のホームページの掲示板で父親が亡くなった事をお知らせしました。

2007年1月20

墓石や四十九日の法要の料理などのダイレクトメールがいっぱい届きました。あまり気持ちの良いものではありません。

今日は土曜日だったので、母親と野田山の市営墓地の現場を見てきました。駐車場から近く、水道設備も整っているので気に入りました。駐車場から1番近い墓地は、1段上に背の高い墓があって影になりそうな感じだったので避けました。そういう訳で、その隣の墓地を申し込むことにしました。

四十九日は葬式後に行われる法要の中では大きな行事です。
親戚の人が集まってお経をあげて、精進明けの食事をします。亡くなった父親の兄弟と、父親の配偶者である母親の兄弟、それと父親の子供の家族と、父親の子供の配偶者の実家あたりが対象です。
料理の場所の確保も必要なので、予約は早いほうが良いということで今日(父親が亡くなった5日後に)近所で美味しいと評判の料理屋に下見に行きました。法事の料理に対応できるということだったのですが、座敷が2階にあり階段が狭く急だったので断念しました。
親戚に足の具合が悪い人が多く四十九日の法要はバリアフリー対策が整った施設でないと対応できなく、お経自体も自宅ではできないということに気づきました。

四十九日関係のダイレクトメールも何通か来ていたので参考にして検討することにしました。

今日は土曜日で仕事が休みでした。父親が会社の看板のペンキのはがれを気にしていたので、ペンキや錆落しの工具などを買ってきて自分で塗りました。高いところは脚立が揺れたりして怖かったのでできませんでしたが、結構綺麗に塗れました。最近はホームセンターに行くとなんでも売っているので、やってみるとなんでも出来ちゃいます。

2007年1月21

通夜と告別式に出席されなくて、生花の籠や電報を送っていただいた方や会社で礼状を送らないといけない数をチェックしました。政治家とかの電報には礼状は必要有りません。

今日は初七日の法要がありました。
金沢では初七日の法要は家族だけで行うことが多いのですが、親戚の方も随分列席していただきました。みんなで正信偈を唱和しました。
仏壇に上卓が揃い、僧侶に見てもらったのですが、上卓に乗せる幕が必要だということでした。

葬儀社から、葬儀以外の月忌(毎月の命日)などのお布施は2000円で良いと聞いていたので、お布施は2000円包みました。
後ほど、いろいろの人に聞いたら、月忌などのお布施は3000円というのが多いようです。
四十九日や一周忌など大きな法要のお布施の金額は、それなりに高額になります。

初七日の法要後にお寿司をとって用意しました。この時には魚も入った普通のお寿司を用意しました。

2007年1月22

希望の墓地(野田山墓地)が決まったので、なるべく早く申し込みをしようということで、さっそく金沢市役所の保健衛生課に申し込みに行きました。
市営墓地を申し込む場合の基準として金沢市内に住所を有するということと、墓地に入る故人がいるということが条件です。火葬証明書と、申請者(故人ではない)の住民票と市役所の所定の誓約書を提出しないといけません。火葬証明書は確認だけして、すぐに返却されます。火葬証明書は納骨時に墓の管理事務所に提出しないといけません。
概ね2週間程度で墓地使用許可証が届くそうです。

この墓地使用許可証は大切なもので無くさないようにしなければいけません。

墓地の申請者が亡くなった場合は墓地使用権の継承手続きが必要です。

市役所に墓地の申し込みに行ったついでに、その他に市役所でしないといけない手続きを済ませてしまおうということで、保険・年金の手続きに行ってきました。
前回、葬祭費をいただく手続きの際に、保険年金課に行ったのですが、その時に他に必要な手続きがあることを教えてくれれば良かったのにと思いましたが、まあそんなことを言っても仕方ありません。お役所とはこういうものなのです。
市役所の市民課が発行している死亡届を提出した人が今後必要になる手続き一覧の書類には、葬祭費の請求の手続きの他、国民健康保険の加入者の名義の変更(従来、亡くなった父親の名義だったのが自分の名義に変更しないといけない)の手続きが必要と書いてあり、必要なものは国民健康保険証ということだったので、国民健康保険証を持参して手続きをしました。
国民健康保険の引き落とし口座の変更の手続きもしました。
父親名義の1月分の国民健康保険料の納付書も渡されました。引き落とし口座を変更してすぐにその口座から自動引き落としができるというものではないようです。
市役所に何度も手続きに来るのは困るので、担当の職員に、もう手続きする必要のあるものは無いですねと念を押したら、年金未支給請求というのが必要だと言うんです。その手続きには住民票と全部事項証明の戸籍の書類が必要だと言うのです。先に渡された必要な手続き一覧には掲載されてなくて、先ほど墓地の手続きの際に住民票を請求したばかりだったのでムッときて、市役所で手続きが必要なもので住民票や戸籍の書類を提出する必要なものは無いですかと確認したら、他の課にも電話で確認してくれました。
こういうのは、身内の者が亡くなった時に、市役所で必要な手続きの正しい一覧を書類にして渡すようにして欲しいと思います。何度も何度も市役所に来ないといけないのは本当に困ります。
そういう訳で年金未支給請求の手続きも完了しました。

新聞広告の請求書と葬儀社からの請求書が届いたので、さっそく振込みしておきました。

2007年1月からATMでの現金支払いの制限が厳しくなったので、窓口での送金を強いられました。ATMでの送金を制限しといて、窓口の送金料を高くふんだくるって銀行って本当にあくどいです。

救急車で運ばれた石川県立中央病院にも支払いに行ってきました。夜に病院に入って、その日のうちに病院を出たので治療費は当日には支払えなかったです。
病院の支払いは12193円でした。死亡診断書が実費で4180円なので医療費は8000円程度です。3割負担なので実質2万6千円程度の治療ということになります。短い時間でしたが、ちゃんと入院料も含まれており、病院の経営努力もされています。遺体を綺麗にする作業は看護婦さんがしてくれたのですが、そういうものの報酬は入っていません。実質ボランティアのようなもののようです。大変なお仕事です。どの看護婦さんがしてくれたのか、顔を合わせてちゃんとしたお礼もしてなかったんですが、頭が下がります。葬儀社の人に看護婦さんへのお礼をどうすれば良いのかと聞きましたが、石川県立中央病院では職員さんは謝礼を受け取らない事になっているので特別なお礼はしなくても良いということでした。

2007年1月25

墓地の使用許可はまだおりてないのですが、墓地の使用料は先に支払わないといけないということで、払い込みをしました。払った墓地の使用料は返金されないということなんですが、万が一、使用許可が下りない場合はどうなるのでしょう?

中央郵便局で簡易生命保険の手続きをしてきました。印鑑と保険証書と住民票、死亡届のコピー(自分でコピーしたものでは無く、市役所でコピーしたもの)を持参して行きました。
住民票、死亡届のコピーについては、確認した後返却してもらえました。
手続きしたその場で生命保険のお金が給付されました。お金は、母親の口座に入金しました。

父親が亡くなって、真っ先に銀行と郵貯に預けていた父親名義の貯金をおろしておいたのですが、残っていたお金が下ろせるか試してみました。

銀行の貯金は死亡者名義の口座ということで引き出しにロックがかかってました。

郵貯はATMで引き落とししてみました。なんの障害も無く、すんなり引き落としできました。ただしATMでは999円以下の小銭は引き落とせないので935円が残金になりました。

万が一のために貯金は郵貯に入れておくのが良いと切実に思いました。亡くなった時に、お葬式とかにかかる費用を亡くなった本人の貯金からおろして使おうと思ってもおりなかったら悲惨だと思うし。

四十九日の場所をいろいろ検討したのですが、親戚に足の不自由な方が多いので自宅での法要はできません。それで仏壇があって、なおかつバリアフリーの会場で判りやすい場所という選択になるので、対象が限られてしまいます。
葬儀をお願いした米永さんも四十九日などの法事を行う会場をもっているということだったので、場所が松任ということで少し遠かったのですがお願いしようかということになりました。米永さんにお願いすれば、引き出物の心配もいらないし、全部取り仕切っていただけるので安心かなと思ったんです。
松任と言っても国道8号線で場所が判りやすいし、金沢に近い位置にあるんです。昔、サントスというレストランがあった場所です。
そういう訳で、米永さんに、相談したいので1度寄って欲しいと連絡しました。

他に会場の申し込みがあると具合悪いということで、とりあえず会場をおさえておいていただけるということになりました。

米永さんは葬儀だけではなく、仏壇(こっちが本職?)や墓、法事もやっています。そういう事業もやっていますとは言いますが、営業がそんなに強引ではなく、こちらのほうから相談すれば親身に相談にのってくれるという感じで、とても好感が持てます。

2007年1月26

父親にかけていて母親名義の第一生命の保険金の手続きをしました。

必要な書類は第一生命所定の死亡保険金請求書と第一生命の保険証券と被保険者(故人)の戸籍謄抄本もしくは住民票(死亡の記載があるもの)、死亡診断書が必要です。いずれも原本が必要ですが、確認した後に返却して欲しいと申し出れば返却してもらえます。

追伸.
第一生命は子供の時の学資保険の時も感じましたが、本当に割に合わないです。たまたま担当者が頼りなかったのかもしれませんが、書類に不備があるということで何度も出しなおしをさせられましたし、対応も遅いし、いただける金額も少なくて割に合わないし、もう二度と使うまいと思いました。
他の民間の保険会社はどうかしりませんが、県民共済や郵政の簡易保険と較べると本当に馬鹿馬鹿しいです。

葬儀の時に葬儀社の見積書に布団の廃棄という項目があって、なんで故人の布団を廃棄するのか判らなく、葬儀社の人に聞いても、はっきりとした返事が返ってきませんでした。
別に、あの世で使うために一緒に布団を処分するって意味合いでもないようです。

葬儀社の人が別に布団の廃棄は葬儀社に頼まなくても金沢市で処分してもらっても全然問題無いというので、金沢市で布団を処分するのに必要なシールをコンビニで購入しました。
ちなみに葬儀社に処分を頼むと5000円で、金沢市の処分料は500円です。

葬儀社の人に、布団は故人が普段使っていたものか、亡くなってから寝かせておいた布団か、どちらを処分するのですかと聞くと、どちらでも良いということなので、普段使っていた布団を処分することにしました。亡くなった時に寝かせておいた布団は新しい布団だったのです。

父親が幽霊になって会いに来ても、なんら困ることなく、却って、生前言えなかったいろんな事を話せるので嬉しいと思っているくらいなので、別に亡くなった時に寝かせておいた布団を自分で使う事になっても全然平気です。

父親が亡くなり母親が一人になることが多くなるので、自宅の全階でインターネットができるように無線LANのための工事をしました。
これからは、インターネットは茶の間でするようにして、なるべく母親と一緒にいる時間を増やそうということです。母親もインターネットできるように教えようかなと思います。

今日、仕事関係の団体の総会があり、会葬のお礼を含めた挨拶の時間が与えられたので社長交代の件も公表しました。

2007年1月27

挨拶状を自分で印刷しようと思ったのですが、葉書みたいな大きさの厚紙(葉書より厚い紙)ってなかなか売っていなくて、それに合った封筒もなかなか売っていませんでした。

紙が厚いとプリンターで印刷できないし、あまり安っぽい紙は具合悪いし。

maxellの「高級マット紙タイプ」スーパーファイングレード両面印刷A4 IJSFDA4-20A (20枚入りで600円程度)を使って葉書4枚分印刷してから4つに裁断機で切って使いました。
それを入れる洋2型封筒もなんとか見つけて宛名と自分の住所を印刷しました。
ちなみにmaxellの「高級マット紙タイプ」の用紙はジェットプリンター用なので、レーザープリンターで使用するとレーザープリンターの感光ドラムが破損する可能性があるので注意が必要です。

さっそく郵送しました。礼状は四十九日が終わってから送る場合も多いらしいです。

仕事関係の組合にも社長の交代の正式な連絡をFAXで送りました。

2007年1月28

今日は夕方に二七日法要をしました。
家族だけでの法要で平服でした。2000円包みました。

法要が終わってから、父の貯金から、俊の子供たちと弟の子供たちには20万円ずつ、俊の嫁と弟の嫁には10万円ずつ、弟にはそれなりの額を配りました。

法要が毎日曜日なのでみんなが出席できるので良かったです。

2007年1月29日

今日、米永さんと四十九日の会場の打ち合わせをしました。

仏壇の確認をしたら仏壇が2階にあるということで、それでは都合が悪いと言うと、その日は仏壇を1階に降ろしておいてくださるということになりました。

足の不自由な親戚が多いので食事はテーブルでしていただくことにしました。
また、同じ理由で、法要の時には座椅子をあるだけ用意していただくように頼みました。

一応、11:30から四十九日の法要をする予定にして、最終的な時間は僧侶の予定を聞いてからということにしました。

僧侶が食事の時に列席されるかとか、親戚の出席者数がはっきりわからなかったので、正式な人数は直前でも良いということでした。

四十九日の法要には骨壷と、遺影(故人の写真)と白木の位牌を持参するのだそうです。

四十九日の服装は礼服です。

四十九日の日に墓ができていれば納骨も一緒の日にする場合も多いそうです。

法事の料理の料金はどこでも結構が高いです。料理は7000円、お土産の籠3000円、お土産の豆のおこわ1000円のをお願いしました。

米永さんに聞いたら、僧侶が食事の時に列席さえれない場合は布施とは別に御膳料として5000から10000円を包むそうです。
四十九日のお布施は30000円だということです。

2007年1月30

今日、税理士さんが来ていたので、いろいろ聞きました。

相続の財産は相続対象者が3人の場合、全員が受けとる総額が8千万円までは無税だそうです。
父親の財産は8千万円以下なので相続しても税金はかからないそうです。
ちなみに、相続時に無税な遺産の額は 5千万円+相続人数×1千万円 のようです。

課税かかる場合も、告別式後の中陰までにかかった費用は非課税として控除されるそうです。

2007年2月1日

今日、市役所の墓地使用許可証が届きました。

注意事項がいろいろ書かれてました。

使用者の住所が変わった時には届出が必要です。
使用者が亡くなったりした時には届出が必要です。
お骨を納めるとき、ましくは骨を他に移すときには届出が必要です。
お墓・囲い・生垣を設ける時に、また治す時には届出が必要です。
お墓がいらなくなった時には、届出が必要です。
許可証を紛失した時、届出が必要です。

墳墓の設置以外の目的に墓地を使用したとき、使用許可を取り消します。
使用権を譲渡した時、または転貸した時には、使用許可を取り消します。
使用許可の日から3年以内にお墓を建てない時、使用許可を取り消します。
使用者が死亡し、祭しを継承するものがない時、使用許可を取り消します。
使用者の所在が不明となって20年を経過した時、使用許可を取り消します。

この使用許可証は、墓地の使用権を証明する唯一のものなので大切に保管しないといけないそうです。

ちなみに、同じ市営墓地でも、場所によって墓の建て方の制約が違うので、そのあたりの規則をよく理解してから墓の大きさや種類を決めないといけません。

2007年2月2日

墓地の使用許可証がきたので、いよいよ墓を決めないといけないということでインターネットでいろいろ調べました。
墓石は硬くて、吸水性が少なく、肌理が細かい材質のものが耐久性がよく見栄えが良いそうです。
囲い石(外柵)は中国産の「623(ろくにいさん)」という石材が圧倒的に多く使われているそうです。

最近の墓石は中国やインドで採れる石材を、中国やインドで加工してから輸入して、日本で文字を入れるという行程の墓石が多いようです。
金沢でも北陸石産という会社は、中国やインドに工場をもっていて自社で一貫生産をしているので安く墓を販売できるという情報も得ました。
北陸石産はゲートウェイというパソコンメーカーも買収している大きい会社のようです。ただ北陸石産はもともと石材を販売する業者だったようで、今は直売を主にしている業者だけど石材製作の会社というより流通業者という面が強い会社のようです。

2007年2月3日

墓をどこに頼もうかというのは、ちょっと頭の痛い事なのです。

友人に石材屋さんをしている人がいて、もともと、その友人にお願いしようと思っていたのです。
でも本家の隣が石材屋さんをやっていて、その石材屋さんが亡くなった父親と子供の頃から親交があるんです。去年のお盆にも実家に寄ったついでに、その石材屋さんに父親が顔を出していたのです。その石材屋さんから本家のおじさんが墓をお願いしますと言付かって香典を持ってこられていました。そういうこともあってむげに断れなくて。

とりあえず、友人の石材屋さんに墓について、いろいろ教えてもらいました。

墓の石材の値段は品質が良いから高いとか、品質が悪いから安いとかいうのではなくて、
露天掘りが出来るとか採石がしやすかったり、中国やインドのように人件費が安かったり、たくさん採石しても墓に不適な石材が混ざらないなど採石にコストがかからない石材が安いそうです。
また輸入業者が流通を独占できる石で、そんなに市場に出回っていない石は高く値段設定する場合が多いようです。そういう訳で、墓を作る時に貴重な石材で高く購入しても、将来的に、いろんなことろから入手が可能になったりすると石材の価格が暴落するということになったりすることもあるそうです。つまり高いから良いだろうと石材を選んでも将来的に安っぽく見られる墓になる場合もあるそうです。

一般的に中国で作った墓は見る人が見るとすぐにわかるそうです。中国で作ったものが粗悪というのではなくて、日本で凝った形や細かい細工の墓をつくらせると、工賃が高くなり、とんでもない価格になったりするので、日本でそのような凝った墓を作らせることは一般的には少ないそうです。つまり、ちょっとシャレたデザインの墓っていうことになると、ほとんどが中国とかインドとかで作ったものということみたいです。
中国やインドで墓を作る場合は、デザインや細工の内容がどうであれ、1つの墓でいくらというように価格設定がされているそうです。つまり中国やインドの加工料は石材の価格と較べて微々たるもののようです。

墓は地域によって形が違い、金沢と能登と加賀でも全然違うそうです。

また墓には共通して定価が決まっているものではないので、業者がこの墓の定価はいくらと言えば、それがその墓の定価になるので定価の何割引とかいうのは、あまり意味が無いそうです。特に石材の組合に入っていない業者の場合、全国で統一した価格のおおまかな目安というものもないので、なおさら定価の根拠は無いようです。

石材の吸水性を調べるにはぬれた手で触ってみて手の跡がつく石は、吸水性が大きいと判断できるようです。
石材の耐久性を調べるには、墓には建立の日時が彫ってあるので、その年からどれだけたっているかと傷み具合を見ると判断できるそうです。

2007年2月4日

午前中に、三七日の法要がありましたが、主要な法要以外はお手つぎのお寺の住職以外のお坊さんがおいでているので、お寺の住職に電話で四十九日の予定をお伺いしました。

法要の時間と住職が食事にもおいでいただけるのかの確認です。
法要は11:00からで食事の席にもつくけど、当日は他に法事があるので途中で退席されるということでした。
墓が出来てないので、納骨はできないのですが、分骨の小さい骨壷はどうするのかも聞きましたが、墓ができていないので、四九日に分骨しないで、また別の日に分骨するということでした。

四十九日の時間が決まったので、親戚に時間を電話連絡をしました。

一応、出席できるかどうかの確認もしました。当初出席予定の人で、出席できなくなった人もおいでました。参列する人のほうも、いろいろ考えると思いますが、執り行う側としても、参列をお願いしてよいものか、お願いしないほうが良いのか、どのあたりの関係の親戚まで呼ぶのかとかいろいろ考えて大変なんです。なかには遠慮して出席を控えたいと言う親戚もおいでるんで、そういう場合は無理強いもできないです。

とにかく僧侶も含めた最終的な人数を米永さんに連絡しました。
仏壇を1階におろしていただく件も、間違いの無いよう確認しました。


親戚の方もおいでくださいました。
お坊さんが、仏壇の線香の置き方を教えてくださいました。
2本の線香を3つに折って三本ずつ交差して置きます。浄土真宗の場合は立てたりはしないそうです。

葬儀の際、従兄弟に受付や香典の精算をお願いしたのですが、親戚の方に心だけのお礼(1人2000円)を従兄弟に渡してもらうよう託けました。

祭壇がまだ残っている場合、僧侶の座布団は祭壇の前と、仏壇の前と、その他に1枚と合計3枚必要です。
法要で仏壇で焼香する場合、僧侶が座る座布団へは僧侶以外は座ってはいけません。僧侶以外が仏壇で焼香する時には座布団を入れ替えることが必要です。

墓を購入しないといけないということで、墓にどういう種類のものがあるのか見るために北陸石産の展示場に行ってきました。自分は知らなかったのですが北陸石産は営業員が何回も訪れていたと母親が言ってました。ダイレクトメールも何回か送られてました。インターネットで安いという情報も得ていたし、たくさんの墓石が展示されているので下調べには良いかなと思ったんです。

最初、金沢港いきき魚市場前店の展示場に言ったんですが、日曜日は休みみたいで誰も係員がいませんでした。でも、展示してある墓で、すごく気に入った墓があったんです。
それで、いくらくらいするのか興味があったのですぐ近くにある湊店の展示場に行きました。
湊店の展示場は屋内の展示場で金沢港いきき魚市場前店より多くの墓が展示されていました。いろいろ見たのですが、それでも金沢港いきき魚市場前店で展示してある墓より気に入った墓がなくて、係員に相談しました。
気に入った墓は中国産の森林緑という石材でできていて、蓮華型(蓮の形の台の上に石碑が乗っている)の8寸の大きさのものだったようです。ろうそくの火が消えない扉付の花立になっていて、花立の正面側に鳳凰の彫刻が入っていました。森林緑の石材の色は、かなり濃い色だけど、黒ほどは色が濃くは無く、ほんの少しだけ緑っぽい石なんです。その色と、彫刻のところの白い色とのコントラストがとても美しかったので気に入りました。

北陸石産の人と、いろいろ話をしてたのですが、野田山墓地の場合は9寸の墓がほとんどなので、8寸だと見劣りするということだったので、8寸と9寸の両方の墓を基礎や取り付け費を含めての総額で見積していただくようお願いしました。外柵は623ということでお願いしました。
北陸石産はチラシを持って行ったり、四九日までに建墓のかたには特別価格50%OFFで販売ってことを売り文句にしており、今回の場合も四九日前という事で特別価格100万円くらいで出来るだろうと言ってました。ただ、森林緑の石材は入手量が少ないので2ヶ月の納期がかかるそうです。
他に世話になっている石材屋さんがあって、そちらのほうが本命なんですっていうことは言っておきました。

北陸石産の一押しはインド産バングレイのようです。

森林緑のお墓を気に入ったのですが、どういう石材なのか聞いたりして調べて見ました。
森林緑は新しい石材で人気があり、吸水性が小さくて、硬くて耐久性があるのですが、加工時に傷やひびが入りやすいということでした。
中国とかで加工して傷やひびが出たりするとワックスとかを塗ってしまうので、よっぽど注意して見ないと気がつかないそうです。それで3年ほどするとひびが目立ってくるとかいうのがあるそうです。

そんな心配がある石材だと、やっぱり信頼できる石材屋さんでお願いしたほうが無難のように思いました。

2007年2月6日

今日、北陸石産が墓の見積書を持ってきました。見積書と、設計図と、コンピュータグラフィックで作成した出来上がり予想図と墓地の写真を持ってきました。なかなか手際が良いです。

9.5寸角の蓮華型墓石(中国産最高級御影石森林緑)  1式    650,000.
   ろうそくの日が消えない石の扉付き
囲い石 10平方メール用              1式    192,000.
物置台                            サービス
キリコ台                           サービス
文字彫刻、花立の鳳凰の彫刻                  サービス
基礎・土間工事                        100,000.
土間、黒砂利仕上げ                      サービス
墓及び、囲い石据付費                     85,000.
値引き                           -67,000.

総額                            960,000.

インド産アーバングレーは3万円引き
インド産バングレーは10万円高

100万円以下で、希望の墓が出来るということで安心しました。但し、森林緑は貴重な石のため入荷が出来上がるまで2ヶ月程度かかるということでした。

希望の墓が出来るのなら、多少遅くても良いと思っていたので、これで良いかなと思っていました。

ただ、石材屋さんについては友人の石材屋さんや、親戚や父親との関係の石材屋さんの件もあるので、同じようなものが、そんなに違わない価格でできれば、そちらのほうにお願いしたほうが良いとは思ってました。
後々の手入れやメンテナンスなどを考えると、石材の流通業者より昔からの信頼できる石材業者に頼んだほうが安心だという気持ちもありました。

でも北陸石材は安いって感覚があったので、この見積に近い価格で他の石材屋さんが請け負ってくれる可能性は少ないとは思ってました。

2007年2月7日

昨日、北陸石産から見積書が来たので、その資料と見積書を持って、親戚から紹介の石材屋さんへ行ってきました。こういう墓を希望してるんですが、父親もお世話になっていたので、この価格に近い価格でできるようならば是非、お宅にお願いしたいと言いました。
そしたら、あっさりと引き受けますと言われて即決です。
珍しい石材だし、多分価格が安いので断られる可能性が大きいと思っていたので、ほっとしたと同時に、友人の石材屋さんにお墓を頼めなかった事は、ちょっと残念だったという気持ちもあって、複雑な気持ちでした。
ここで断られたら、友人の石材屋さんに相談に行こうと思っていたのです。

親戚から紹介の石材屋さんといろいろお墓の話をしていて、ろうそくの日が消えない扉付きの花立の場合、蝋燭の火の位置が低いので、そこに蝋燭を灯しても、霊が来たときに暗くて蝋燭の役目を果たさない。また蝋燭の火が風で消えないようにする工夫はいくらでもあるというのでろうそくの日が消えない石の扉付きはやめて蝋燭が消えないような筒状の容器を取り付けることにしました。ろうそくの日が消えない石の扉の件は、別にこだわって無かったので良かったんです。

また、花立の正面の側の彫刻に白い塗装をすると最初は綺麗だけど、花の水がこぼれたりすると汚れるって言われました。確かにそれは自分でも心配していたのですが、それは、最初気に入っていた一番のポイントだし、これをやめたら、ごく平凡な墓になってしまうので、ちょっとめげました。
そこで花立自体を卓のような形のものにするというプランを提示され、これなら見栄えのある素敵な墓になると思い、了解しました。
それで北陸石産の見積書と同額にするというので了解しました。一応正式な見積書を提出するということでした。

2007年2月8日

今日、北陸石産の営業の人が来ました。北陸石産の営業の人は、とても熱心なんです。

北陸石産の営業の人に親戚から紹介された石材屋さんにお願いすることになりそうだと言いました。

友人の石材屋さんにも親戚から紹介された石材屋さんにお願いすることになりそうだと連絡したのですが、親戚づきあいを良くしたほうが後々良いよと言ってくれました。また10平方メートルだと、かなり広いので灯篭をつけたほうが良いのではというので、親戚から紹介された石材屋さんに灯篭をつけたセットで見積書を出してくれるよう連絡しました。

会社関係の登記手続きは税理士が紹介してくれた行政書士にお願いすることにしましたが、その手続きに必要な証明書の一覧を税理士から受け取りました。
なんやかんやで市役所に書類を取りにいかないといけない事が多いです。

北陸銀行から父親名義の定期預金の解約と、会社の代表者変更の手続きについて、必要な書類にどんなものがあるのか説明を受けました。

会社関係の手続きや父親の口座の残金をおろす手続きにまた市役所に証明書をもらいに行かないといけません。父親の原戸籍抄本と自分の戸籍全事項証明をもらって来ました。原戸籍抄本は自分が生まれてから結婚して子供が生まれて、その子供が誰と結婚したとかいう記載がある証明書で発行には750円かかります。印鑑証明書も必要です。故人の銀行口座の残金をおろすには、遺産相続の権利をもっている人全員の同意が必要で、故人と相続人との関係を示す証明書と、相続人本人を示す証明書が必要なんです。
本当に大変で面倒です。
銀行の貯金は、早めにおろしておくか、最初から郵貯に預けておくに限ります。

2007年2月9日

親戚から紹介の石材屋さんから見積書が届きました。

9寸角の蓮華型墓石(中国産最高級御影石森林緑)     1式    620,000.
囲い石 10平方メール用              1式    188,000.
物置台                            サービス
キリコ台                            サービス
基礎・土間工事                         81,200.
敷石バーナ仕上げ                        30,000.
灯篭                             100,000.

総額                             1,070,160.

でした。北陸石産の内容に灯篭が加わっています。

行政書士に依頼してあった会社の代表者変更の手続きが完了し、変更済みの会社の謄本(全部事項証明書)が届きました。

北国銀行で会社の口座の代表者の変更手続きをしました。
北国銀行所定の届出事項変更届と北國銀行所定の印鑑表と会社の登記簿謄(抄)本の提出が必要です。登記簿謄(抄)本は確認後、返却を依頼したら手続き後返却してくれました。
手続きは簡単です。

父親の銀行口座の残金をおろすにあたり遺産相続者全員の印鑑証明書が必要ということで、近くの保健所にある市民センターで印鑑証明書をもらってきました。
印鑑証明書を発行してもらうには印鑑証明カードが必要です。新しい印鑑証明カードでしたら自動発行機で発行できるのですが、昔の印鑑証明手帳では、窓口発行しかできません。

2007年2月10日

親戚から紹介の石材屋さんの見積書に添付された図面を見ると、土の露出部分が北陸石産のものより多く、雑草が生えたりするのが気になったので、相談に行きました。
野田墓地の場合は、土の露出部分の比率に制約があるので仕方ないとの事でした。

2007年2月11日

今日はお昼に四七日の法要がありました。

2007年2月13日

野田墓地では土の露出部分の比率についての制約が大きいと言われたので、市役所の衛生保健課に確認に行きました。市役所の衛生保健課でもはっきりと判らなかったので、野田山墓地管理事務所に確認してもらいました。そしたら土の露出部分が1/3程度あれば良いということでした。

ついでに野田墓地の他の墓も見てきました。結構、土の露出部分が少ない墓もありました。

さっそく、親戚から紹介の石材屋さんに相談に行きました。土の露出部分が少ないと水はけが悪くなるので感心しないと言うんです。そこで、水捌けが良くて、雑草が生えない新素材の砂を使おうという提案がありました。その素材は、野田山墓地管理事務所の前に実験的に敷いてあるというのです。
それで、野田山墓地管理事務所へ行きました。野田山墓地管理事務所で、その素材を墓碑の周り全体に敷く事の許可がとれるかどうかを聞いたら、あっさりと、いいだろうという事になって話が決まりました。新素材の砂は墓地全体に敷くのではなく、墓碑の周りだけで、手前の部分は敷石の部分以外は普通の墓用の土を敷きます。
費用のほうは、最初の見積のままで良いということでした。
これで気になってたことが全部解決しました。改めて正式に墓を注文しました。

2007年2月15日

今日は午前中10:00頃から立日の法要がありました。
父は1月15日に亡くなられましたので、翌月の同じ日である2月15日ということです。
仕事の都合で参加できませんでした。

2007年2月23日

四十九日が近づいてきたので、出欠の確認と、場所の確認の電話をしました。

お坊さんに四十九日に行われる事の確認もしました。
お寺さんに預ける小さいほうの骨壷は、四十九日とは別の日(四十九日以降)に納骨の日を設定して納めるということでした。お坊さんも四十九日の法要の後の食事にも出ていただけるということでした。

だいたいの人数も決まったし、席順と、食事の数とお土産の数を決めて米永さんに連絡しないといけないです。

父親の郵便局の総合口座にキャッシュカードでおろせない半端な953円残っていたので、通帳と印鑑をもって窓口でおろしてきました。
いつまでも口座を残しておくのも無駄なので口座の解約を、しようとしたんですが、本人の保険証を持っていくのを忘れていたので、解約できませんでした。代理人の場合は本人の委任状が必要ということでした。
もちろん、本人が死亡したことを通知すると相続に関わる全員の印鑑証明書などの書類が必要になり処理に多大な労力が必要になるので絶対に言えません。

今日、駅西の合同庁舎3階にある法務局の登記相談に行ってきました。

会社関係の登記は行政書士に任せたのですが、個人的な遺産などの手続きは急ぐ必要も無いので自分でしようということで資料を貰ってきました。法務局では質問に対して的確な答えがいただけなかったり、ちょっと不親切な対応でした。
会社関係の登記は志望してからすぐに臨時総会を開き、2週間以内に手続きしないといけないそうです。2週間以内に手続きが終わってなかったような気がするけど。

父親の遺産の土地建物の登記に関しては同じ金沢市でも地域によって駅西の法務局と神田の法務局で管轄が違うということで2度手間になるようです。この件に関しても、必要書類の一覧を書いた書類があったら欲しいと言ったら、ちょうど相談が多かったので書類をきらしているといってたんですが、きつく要求したら出してもらえました。

会社の父親の分の株式の名義変更についても相談したんだけど、管轄外だからわからないし、どこに相談すれば良いのかもわからないとケンモホロロノ応対でした。

2007年2月25日

法人の代表者が変更になった場合の普通貯金口座の届出は
 北国銀行所定の届出事項変更届
 北國銀行所定の印鑑表
 登記簿謄(抄)本
が必要です。

当座勘定口座や融資取引がある場合は
 北国銀行所定の届出事項変更届
 北國銀行所定の印鑑表
 印鑑証明書
が必要です。

北陸銀行の代表者変更については
 北陸銀行所定の届出事項変更届
 北陸銀行所定の共通印鑑届  当座預金の場合は別の印鑑届
 商業登記簿謄(抄)本(履歴事項全部証明書)
 印鑑証明書

個人の貯金の相続にかかわる手続きについては
 相続関係届出書
   相続関係者全員(相続しない者でも相続の権利のある者全員)の実印が必要
 相続関係者全員(相続しない者でも相続の権利のある者全員)の印鑑登録証明書
 北陸銀行所定の領収書
   相続者全員(相続する者)の実印が必要  
 故人の原戸籍謄本(生まれてから結婚、こどもなど全部掲載されている)
 故人の貯金通帳
 遺言書(ある場合)

融資の変更にかかわる手続き
 借金の保証になる者全員(2人以上)の戸籍謄本(全部事項証明)
 借金の保証になる者全員(2人以上)の印鑑登録証明書

今日はお昼に五七日の法要がありました。

2007年2月26日

銀行の口座の代表者の変更をしたので、官公立の入札参加資格申請の変更手続きもしないといけないということで、インターネットから書類をダウンロードしました。

代表者変更の書類は記入項目が少ないので楽です。
どこの官庁も 商業登記簿謄(抄)本(履歴事項全部証明書)が必要です。
ただし商業登記簿謄(抄)本(履歴事項全部証明書)はコピーでも良いので助かります。

2007年3月4日

四十九日は故人の霊が来世でどこに行くかが決まる日ということで重要な日だそうです。四十九日の当日行うのが良いようです。当日行えない場合は、どうすればよいのか、いろんな人に聞くと早めにするのが良いという意見が多かったのですが、お坊さんはできるだけ当日にして下さい、どうしても無理ということでしたら、四十九日の週末にして下さいということでした。四十九日だけは早めに行うと良くないそうです。

四十九日は家族や親族が集まり法要を営み、忌明け(きあけ)の会食を開きます。
四十九日は、喪に服していた遺族が日常生活にもどる日で、忌中の張り紙を外します。
四十九日までは結婚式の出席や神社への参拝はいけないようです。

親戚に、足の不自由な方が多かったので、自宅での法要はやめにして、法要も食事も米永の会館を利用することにしました。仏壇でのお参りや法要、食事も全部1階でできるようにしていただきました。

結構早くから、親戚の方がおいでていたのですが、ぎりぎりの時間においでる親戚もおられて、僧侶を待たせることになりやしないかと気をもみました。当日、人数の変更(増えた)が必要になって、焦ったのですが、米永さんはなんとか対応して下さって助かりました。当日は大人は、皆さん礼服でした。

米永の会館は国道8号線のレストラン「サントス」を利用して改装した会館で、美しい庭にはびっくりしました。僧侶の控え室から見える庭の景色は見事です。米永の会館には、ほかにもう1つ庭があるそうです。

親戚の何人かは、お供えするお菓子を持参されました。
親戚の方が、1人当たり10000から15000円程度を包んでこられました。そういう風習も知らなかったのでびっくりもしましたし、親戚に負担をかけて申し訳ないと恐縮もしました。親戚づきあいも大変だなと思ってしまいました。

庭の見えるロビーで、いろんなことを話しながら僧侶のおいでになるのを待ちました。家から持参したお菓子を出したりもしました。お茶とかは会館で出してくれました。

白木の位牌は仮のものなので、四十九日の法要までに本位牌を準備しないといけないのですが、院号法名の札(紙)ををまだ受け取ってなかったので祭壇に飾ってあった白木の位牌を持っていきました。でもお坊さんが、そうされるくらいですから、それでも問題ないのだと思います。遺影の写真と骨壷も持って行きました。

僧侶がおいでになったのでお迎えに玄関に出ました。
僧侶より、骨壷を僧侶控え室に持ってくるように言われて持っていきました。
お布施をいつ渡せば良いのかわからなかったので、僧侶控え室に入ってからすぐに渡しました。30000円を包みました。
骨壷を袋から取り出して、骨壷に院号法名を記入なさいました。記入の後、骨壷の袋に戻すよう言われましたが、これが結構難しくて、危なっかしかったので、結局、お坊さんが戻してくださいました。
院号法名の札が届いたということで、受け取りました。院号法名料の領収書も渡されました。
院号法名の札は掛け軸にして本位牌として仏壇の中に仏様に向かって右側に掛けておくのだそうです。

僧侶の準備が整い、会館の座敷で法要が始まりました。足の不自由な方が多いと伝えてあったので座椅子を4台用意していただきました。線香やろうそくの火も、会館の人がタイミング良くつけて下さいました。

お経や焼香が終わって、食事の時間になりました。
最初に喪主があいさつして食事になります。懐石風料理なので、料理は少しずつ出されます。葬儀社が経営する会館なので、食事についてはそんなに期待してなかったのですが、どの料理も珍しい食材を使ったりして凝った料理でした。味も申し分なく美味しかったです。四十九日に列席していただいた親戚の方々も美味しい美味しいと言ってくださり、誰も残さずに食べていただけました。本当に満足でした。四十九日は精進料理ではありません。

食事もだいたい終わって、お互いが様子を伺いながら、ざわざわしだし、会館の人も、もうそろそろみたいですねっていうことだったので、最後の挨拶をしようと思ったのですが、席を外している人がなかなか戻ってこなかったので挨拶ができませんでした。
そうこうしてると、やっと全員が揃ったので、お礼の挨拶をしてお開きとなりました。

お供えに、いただいたお菓子も配ってお土産と一緒に持ち帰っていただきました。

しないといけないと思いながらなかなか出来なかった代表取締役変更の挨拶状の作成がやっとできました。
挨拶状は葉書みたいな大きさの厚紙(葉書より厚い紙)に文章を書いて洋2型封筒に入れて送るのですが、これを自分の家のパソコンで作るのは結構難しいです。
紙は厚いのが必要なんですが紙が厚いとプリンターで印刷できないし、厚い紙自体がなかなか売っていません。厚い紙と洋2型封筒のセットって基本的に売ってないんです。
そういう訳で苦労したのですが、便利な用紙を見つけました。
maxellの「高級マット紙タイプ」スーパーファイングレード両面印刷A4 IJSFDA4-20A 20枚入りで600円程度ですが1枚で葉書4枚分作れるので1枚あたり7円程度です。厚さ0.24mmで写真用以外では一番厚いと思います。同じ0.24mmの厚さの紙と較べて両面光沢っぽくなっているので、しっかりした触感があり、安っぽさを感じません。ジャットプリンターでもレーザープリンターでも綺麗に印字できます。もちろんA41枚を4つに切るには裁断機は必要です。
これを洋2型封筒に入れて送るのですが洋2型封筒はインクが滲むのでジェットプリンターは不向きです。レーザープリンターが必要です。差出人の住所氏名は封筒の裏の左側に縦書きで印刷します。
折り目に文字がかかると拙いので印字の位置の調整を慎重にしましょう。裏側に郵便番号の記入位置の枠がない封筒のほうが使いやすいです。表と裏と両側に印刷しますので、封筒が変形しない排紙方法を使いましょう。

会社関係の代表取締役変更の挨拶状を郵送しました。

2007年3月6日

今日、お墓の出来具合を見てきました。
まずは墓地に行ってきたんですが、外柵や基礎などは完成してました。
お墓のほうは、まだ中国から届いていませんでした。

2007年3月8

3月5日に会社の代表者が変わったという内容の手紙を出したので、父が亡くなったことを知らなかった仕事関係の人から香典をいただきました。

今日、四十九日の請求書が届きました。
料理代の他に室料とサービス料がかかってました。

総額25万円くらいでした。お布施とかいろいろ含めると30万円くらいかかりました。

2007年3月10

四十九日にお坊さんからいただいた院号法名を院号軸に装飾して仏壇に飾らないといけないのですが、仏壇を購入したところで、していただいたほうが統一性があってよいということで昨日、院号法名の紙を仏壇屋さんに届けたんですが、3万円と1.5万円の2種類あるということでした。

現在の仏壇に飾ってある仏様の軸の装飾と同じ装飾だと3万円と言うことなので、3万円のでお願いしました。
浄土真宗の場合は院号法名軸が本位牌となります。今まで中陰壇(後飾り壇)に飾ってあった白木の位牌は仏壇屋さんにお願いして引き取ってもらうか、片つけておくかにするそうです。

2007年3月12

父親が亡くなって、年金関係の手続きも、なにがなにか分からないまま、してたんですが、社会保険業務センターから国民年金の未支給年金・保険給付送金通知書が送られてきてました。
年金は2ヶ月に1度、後払いとして支給されています。それで前回支給されてから亡くなった月までの年金が支払われます。
配偶者である母親に父親の国民年金 老齢基礎年金の亡くなった月までの年金が支給されます。実際にはいつもは介護保険料を差し引かれていたので、いつも支給されている年金額より多い金額が支給されます。
年金は2か月分をまとめて支給されますので、亡くなった日と支給される予定の日と関係で支給額が1か月分だったり2か月分だったりします。

お金を受領するには受取人の印鑑証明書と身分を証明するものが必要です。
印鑑証明書を取り寄せるには印鑑手帳か印鑑カードと認印が必要です。

母親の口座に振り込んでもらいました。

ちなみに遺族が国民年金の老齢基礎年金を請求するのは6ヶ月以内にする必要があります。

2007年3月14

四十九日後の初めての法要(亡くなった15日の日に毎月行うの法要)は坊さんの都合で1日早く行われました。午前中ということで、誰も都合がつかなかったのですが、母親だけ同席しました。

いろいろ聞いたのですが、四十九日が終わると、祭壇へのお参りはしなくてもよく、仏壇だけのお参りでよいそうです。
まあ遺族の気持ちにしてみれば、父親の遺影(写真)や白木の位牌、遺骨がある祭壇のほうが仏壇より大切な気もするのですけど。ましてや本式の位牌がまだ仏壇に設置されていないですし。

座敷の人形に紙をかぶせてあったのも四十九日が終わると外すそうです。
もちろん、玄関に貼った喪中の紙も四十九日が終わると外します。

2007年3月15

会社の代表者変更の通知も出して1週間たったので、もう香典返しは必要なくなったので、葬儀社に余った香典返しの返却について相談しました。
さっそく商品券と箱代の返金処理をしてくれました。

2007年3月21

今日は彼岸の中日ということで、通常は墓参りをするんですが、まだ墓が出来ていないので自宅に家族で正信偈を唱和しました。

ちなみに、石材屋さんに連絡したら4月4日ごろに中国から墓石が届くそうです。中国から、どんな形で届くのか見に行こうと思います。

四十九日が済むと、父親が亡くなった毎月の15日にお坊さんがお経を唱えにきます。その他には毎週日曜日に家族で正信偈を唱和しています。

2007年3月30

院号法名の掛け軸が届きました。院号法名の紙を届けてから、かれこれ3週間かかりました。
浄土真宗の場合は院号法名の掛け軸は位牌と同等な位置づけがされます。
院号法名の掛け軸は仏壇に向かって右側面に掛軸台を設置して、そこに掛けておきます。仏壇に安置する故人全員の院号法名掛け軸を一緒にかけておきますが、亡くなった順番に日の浅い人の院号法名の掛け軸を手前に掛けます。法事の時には、その対象となる人の掛け軸は手前にかけるそうです。

りん(仏壇でお参りする時にチーンと鳴らすもの)とかは床に置くのは良くないということで、経机というものを購入しました。仏壇の前におき花台や香炉、火立などを置くようです。ただし経机は本来は経本を置く為のもののようです。36000円でした。

2007年4月2日

墓石が届いたと石材屋さんから連絡があったので、見てきました。
蓮華型の蓮の台座はまだ加工してない状態で届いてました。蓮華型の蓮の台座も中国で加工するんだと思ってたので、意外でした。これだけでも大変な手間だろうと思われます。
お願いしたのが森林緑という珍しい石だったので、来るまで自分の思っているのと違うんじゃないかと不安でしたが、綺麗な色で安心しました。ただ木目が粗かったので、北陸石材で見た見本と同じか確認してこようと思います。2週間程度で出来上がるそうです。

2007年4月3日

お墓が出来上がる予定の日が判ったので、お寺に納骨などの打ち合わせをしようと、お寺に連絡しました。お墓が出来上がる日が百か日に近いので、百か日と、お墓への納骨と、喉仏の骨のお寺への納骨を一緒に出来ないかと相談したのですが僧侶が不在のため返事待ちということになった。

2007年4月4

百か日を少し早めて土日に納骨と一緒に済ませたいと思ったのですが、百か日はちゃんと当日に行い、納骨はその後の土曜日に行うとお寺から連絡が入りました。
そういう訳で、百か日は夜にすることになりました。
いろんな人に効くと百か日は、そんなに大げさにしなくても良いという事なんですが、お寺さんは四十九日と同様だと言うんです。
とりあえず俊の家と弟の家族だけ揃ってお勤めしようと思います。

2007年4月8

墓ができる日も近くなり、百か日も近づいてきたのですが、四十九日までは葬儀屋さんがお布施の金額とかを教えてくれてたのですが、葬儀屋さんもそれ以降の法要については詳しくないということでちょっと困りました。
他の人に聞いても言うことがバラバラで一貫性が無く、仕方が無いので知り合いの浄土真宗のお坊さんに教えてもらいました。
同じ地方で同じ宗派でも、そのお寺さんによって、金額の違いがあるので、はっきりとした相場というものはないとのことでした。
それでも、大まかな金額を教えてもらいました。
百か日の法要は1万円ということでした。
新しくお墓を建てたときのお払いは1万円、お墓への納骨は1万円で合計2万円ということでした。
喉仏の骨を入れた小さな骨壷は京都本山へ納骨する場合は12万円、金沢の東別院に納骨するする場合は5万円、いつも法要をお願いしているお寺に納骨する場合は2万円ということです。
ちなみに1周忌の法要のお布施は2から3万円ということです。

2007年4月10日

納骨の日が決まったので、手落ちが無いか墓関係の書類を確認してみました。
墓の手続きとしては、施工届けと埋蔵届けがが必要なんですが、施工届けは、工事前に石材屋さんが、ちゃんと手続きしていただいてました。
埋蔵届けは、死体・火葬・火葬炉使用許可証を添えて納骨時に提出するのですが納骨が土曜日なので、休日後に改めて提出しなければいけないそうです。それで書類を全部そろえてから石材屋さんにお預けして手続きしてもらうことにしました。

お墓の進み具合も見てきましたが、とても素敵になっていて、石材を森林緑にして良かったなあって思いました。

2007年4月14日

石材屋さんから、墓が出来上がったので1度見に来て欲しいと連絡があった。
明日は月のお勤めがあるので、それが終わってから見に行こうかな

2007年4月15日

お墓が出来上がったというので墓地に行ってきました。
とっても素敵になってました。石材屋さんにお礼を言ってきました。

百か日が近づいてきて、百か日に納骨の件で僧侶さんと相談するということだったので、今後、お寺さんとどう付き合っていくのか、決めないといけないので、いろんな人に聞いたり調べたりしました。

喉仏の骨を入れた小さな骨壷をいつも法要をお願いしているお寺に納骨する場合は2万円ということだったんでんですが、お寺に納骨すると、永代経とか、お寺といろんな付き合いが必要になるようで、骨は必ずしも分けてお寺に預ける必要がないとも聞きました。

永代経とは、お寺が永遠に存続するために行う寄付のようなもので、故人を弔うということに直接は関係ないようで、金額も相当高額になるようです。父親に感謝の気持ちを持って供養する気持ちと、お寺の門徒としてお寺とつきあっていく希望があるかどうかということは自分の中では別問題の事なので、ちょっと困っています。

今日は月のお勤めでお坊さん(月のお勤めは僧侶とは別のお坊さんがおいでるんです)がおいでたので、いろいろ聞きました。
百か日というのは、やっぱり当日に行うもので日を早めたり遅めたりするものではないそうです。
四十九日も同様で当日に行うもので日を早めたり遅めたりするものではないという事です。
たまたま父親の四十九日は日曜日だったから当日にしたけれど、四十九日の当日が平日だったら、親戚を呼んで四十九日をするなんてことは出来ないと思うけど、みんなどうしてるんですかと聞くと、そのお寺の門徒さんは、みんな仕事を休んで当日にしてるということでした。
まあ百か日は夜にしてもらえることになったから、四十九日も夜にすれば良いのかもしれませんが。

四十九日がどうしても当日に出来ない場合はその週の週末、つまり後にするほうが早めにするようりは良いそうです。四十九日以外の法要は当日できない場合は遅くするより早めにしたほうが良いとのことでした。

2007年4月16日

今日、知り合いの浄土真宗のお坊さんに、分骨、永代経、門徒について聞いてみました。
俊は父親に対して感謝の気持ちをもって、供養をきちんとしたいと思っているけど、自分自身が仏教の門徒になってお寺を支えていく気持ちは無いんです。
いろんな人の話を聞くと分骨は必ずしも、しなければいけないというものでも無いようで、分骨するとずっとお寺でお経をあげてもらえるというのは安心というのもあるんですが、分骨すると人質をとられているような感じで、永代経やその他のお寺の行事や寄付など義務が一生付きまとうのも困るという気もするんです。
永代経自体がお寺によってするお寺としないお寺があるというようですが、永代経というのはそのお寺が永遠に存続するための寄付という意味合いが強く、その額も30万円とかするらしいので、とても対応する余裕は無いので、避けたいと思うのです。そいうのに参加すると、もう門徒も同然なので、後戻りできなくなっちゃう。
それで、分骨、永代経、門徒との関連性と、父親は丁重に弔いたいけど、門徒にはなりたくないんだけど、どうすればいいのか聞きました。
分骨と永代経と門徒というのは微妙に関わってくるので、分骨だけして永代経に関わらないとかいう例もあることはあるけど、知り合いとは言え、浄土真宗の僧侶という立場上、好ましいとは言えないということでした。
かといって、浄土真宗で葬儀をした場合、みんなが、そのお寺の門徒になるわけでは無く、四十九日までで法事をしない例も結構あるようです。
これから納骨が終わって、1周忌とか、またそれ以後の法事を続けるのであれば、永代経やその他のお寺との関わりを保つほうが好ましいということでしたが、知り合いの浄土真宗のお坊さんも答えづらそうに難しいなあ難しいなあと連発してました。知り合いということと浄土真宗の僧侶という立場の板ばさみになって返事しづらかったんだと思います。
母親に永代経というものがどういうものであるかを説明し、分骨をどうするか相談したのですが、とりあえず分骨だけはしたいということだったので、とりあえずは分骨して、その後の事についてはどうするか、また検討しようということにしました。こうやって、だんだんなし崩し的に門徒になっちゃうのかなって不安に感じます。

2007年4月24日

今日は百か日でした。仏壇には赤い和蝋燭を灯します。いろんな人にいろいろ聞いたんですが、聞く人によって言うことが違うんですが、一応、黒っぽい服を着ればよいというので黒のトレーナーで出席しました。家族と弟だけで営みました。
法要が終わっていろいろ聞いたのですが、百か日は礼服にする必要はないけど、黒色にこだわることはないけど、カジュアルな服よりは背広などの正服のほうが望ましいということでした。

仏壇のご飯を乗せる上卓の幕を横にはみ出た部分を折っておいたのですが、横は出したままで良いということで僧侶が直してくださいました。幕の上卓より前側はアイロンがけするかして折り目をつけておいて下に垂れるようにしたほうが良いとのことでした。
参列者全員の焼香もありました。

僧侶さんに和菓子とお茶を用意して、お経が終わると出します。

週末に納骨があるので、そちらのほうの打ち合わせもしました。まず新しいお墓なので「おあたまし(開魂式)」をして、その後に納骨をします。「おあたまし(開魂式)」はおめでたい行事で納骨は法要なので、使う花が違います。「おあたまし(開魂式)」は松を入れて、色のついた花を混ぜても良いそうです。納骨の時には白と黄色の花を使います。
お寺に分骨する場合は喉仏の骨の入った小さな骨壷は僧侶に持ち帰ってもらうようです。
必ずしも分骨しなければいけないというものでもないですが、毎日お経をあげてもらえるのが良いと母親が言うのでお寺に分骨することにしました。
納骨すると祭壇は片つけないといけないのですが、白木の仮の位牌と骨壷の袋は石材屋さんに燃やしてもらうのが一般的だということでした。
納骨の時間が決まったので、一応親戚に連絡しました。親戚を揃えないといけないというわけではないけど、何も知らせないというのもどうかというので、連絡しました。
石材屋さんにも納骨の時間を連絡しました。お墓に遺骨を入れるのは石材屋さんがしてくれるそうです。白木の仮の位牌と骨壷の袋の焼却も石材屋さんがしてくれることになりました。
祭壇は、葬儀社に処分してしまうことになっているので納骨が終わってから連絡しないといけないです。

ちなみに百か日のお布施は1万円にしました。「おあたまし(開魂式)」と納骨のお布施は1万円づつで2万円にしようと思ってます。袋は1枚で「おあたまし(開魂式)」と納骨のお布施を一緒に入れても良いそうです。分骨は2万円で収骨料と書いた袋に入れるそうです。
納骨の時は礼服で営むそうです。

祭壇に飾ってある父親の写真は、片付けても良いし、欄干に飾ってもどっちでも良いそうです。

細木数子が亡くなった人の写真を欄干などに飾るのは良くないって言っていたけど、根拠の無いことだそうです。細木数子は神社の作法や葬儀の作法とかで、いろいろ言っているけど、実際の作法と違うことを言ったりするので混乱が起きている場合もあるということでした。

2007年4月28日

今日、おあたまし(開魂式)と納骨がありました。

天気予報はまあまあだったけど、前日から雨が降っていて、おあたまし(開魂式)と納骨の時間は雨が降ってました。その他の時間は雨が降っていなかったので、普段の行いが悪いのかなって思ったりもして。

最初に、おあたまし(開魂式)ですが、お供え物を供えて、花は松の入ったカラフルな花束を飾ります。蝋燭は赤色の和蝋燭です。線香も灯します。参列してくださった親戚が、お菓子のお供え物を持ってきてくださいました。黄色と白のリボンのノシのうえから地味な包装紙で包んでありました。

おあたまし(開魂式)が終わったら、遺骨を墓に収納し花を黄色と白の菊に入れ替え、蝋燭も白色のものに入れ替えます。墓に遺骨をどうやっていれるのかなって思っていたのですが、石材屋さんが花とか蝋燭を置く台を引いて倒すとお墓の中が空洞になっていて、そちらのほうに収納するようになってました。結構広くて、多くの骨壷を収納できるようでした。

お寺に分骨する事にしたので、喉仏の骨の入った小さな骨壷は僧侶に持ち帰ってもらいました。
白木の仮の位牌と骨壷の袋は石材屋さんに引き取ってもらいました。

「おあたまし(開魂式)」と納骨のお布施は1万円づつで2万円で袋は1枚で「おあたまし(開魂式)」と納骨のお布施を一緒の袋に入れました。分骨は2万円で収骨料と書いた袋に入れました。

親戚の方も皆さん礼服で参列されてました。

雨天だったので、せわしなかったのですが、僧侶さんに仏壇のご飯はどうすればよいのですかって聞いたら、朝に炊き立てのご飯を供えたら、お昼にはさげて、食べてくださいって事でした。

2007年5月1日

納骨が終わったので、葬儀社に祭壇の引取りをお願いしました。

祭壇の香入れ、鈴、香炉は残しておきました。

2007年5月5日

納骨が終わって石材屋さんから請求書が届きました。
納骨に来れなかった息子が帰省してきたので、一緒に墓参りに行くついでに石材屋さんに寄る事にしました。
お墓の花は、まだ綺麗だったので、水だけを交換してきました。
名前を記入したキリコ架を墓の後に置いてきました。線香と蝋燭をつけてお参りしました。

石材屋さんに墓の代金を届けて、いろいろ墓の事を聞きました。
墓の手入れは、1年に2回か3回、濡れた雑巾で拭くと良いそうです。金沢ではお墓に水をかける習慣は無いそうです。水をかける場合は、その後でちゃんと水気を拭いておいたほうが良いそうです。これは石材のためというより、顔を洗った後は人間も顔を拭くでしょうということでした。
お墓にお酒をかけるのは厳禁だそうです。これはお墓の色が変色するからだそうです。
お墓が高いので、手が届かない場合は、お墓に乗って拭いても良いそうです。但し、靴や靴下は脱いで裸足で上がってくださいということでした。
家紋を彫っていある位置の周辺は、ざらざらにして白くしてあるのですが、そこが汚れている場合は歯ブラシで汚れをとると良いとの事でした。
キリコ架はお墓の後に置いておいても盗まれることは無いけど、カラスがいたずらしてつっついて穴を空けたりするので、お盆の2週間前くらいに設置しておく方が良いとのことでした。
蝋燭が消えないように、ステンレスとガラスでできた筒を設置してありますが、そこは蝋燭が消えないで最後まで燃えて、ろうが下に貯まってしまうので、時々自動車のキーの金属部分で取り除いておかないといけないそうです。またガラスは経年すると黒っぽく汚れるので、洗っておくと良いそうです。
1ヶ月に1度程度はお参りして、枯葉などのゴミを拾っておくと、なお良いとのことでした。

2007年5月11日

父親名義の資産として弟が住んでいる家の土地建物と俊が住んでいる家の建物の一部があるのですが、父親の口座を解約したので市税の自動引き落としができなかったという通知がきました。

金沢市税務課市税口座振替担当に電話で問い合わせしました。まあ弟の住んでいる家の土地建物は弟が相続して、俊の住んでいる家の建物の一部は俊が相続ということにするつもりですが、具体的には何も決めてないし、手続きもしてないのです。
こういう状態で誰が市税を払うのですかと聞いたら、相続権利を持っている人の誰かが代表して納付して下さいということでした。

正式に決めてないので、自動引き落としの手続きはしないで、振替用紙が届いた時にその都度支払う事にしました。

もうそろそろ相続の手続きの書類を作成しないといけないんだけど。

お墓の花がもう枯れてるかなと思って、お墓に行ってきました。4本のうち2本はまだ綺麗だったので2本だけ捨てました。花の水は変えときました。
少しずつ落ち葉や松の葉が落ちているので、拾っておきました。
100円ショップでチリトリ付の小さいホウキと雑巾と収納ケースを買ってきました。収納ケースは蓋がついていて桶にも使えそうな感じです。収納ケースに入るような蝋燭、線香、ライターを入れれるような小さいケースも今度買ってきて、墓参セットにしようと思います。

2007年5月15日

今日は月命日のお経があげられました。午前中は仕事で同席できませんでした。

2007年5月21日

会社関係の入札資格の手続きは終わっていたのですが、肝心の営業許可関係の手続きを忘れていました。県関係が2件と市関係が2件。急いで手続きしたのですが、県のほうは遅延理由書を書かされてしまいました。

2007年5月27日

今まで相続の事については放置してたんですが、少し時間の余裕が出来たので、何が必要で、どういう書類を作らないといけないのか調べました。
基本的には法務局でもらった説明書で把握できたのですが、インターネットで必要書類名で検索することによって大まかなことは調べることができました。
基本的には、そんなに難しい作業ではないようです。

まずは相続対象の土地、建物、有価証券(株式)、預貯金、手持ち現金、国民年金や国税還付などの未収金、貸付金、死亡退職金、借金などを確認特定しないといけません。

不動産は市もしくは町村役場の税務課で調べることができます。(固定資産評価証明書、固定資産価格通知書等)。固定資産評価証明書は有料ですが、固定資産価格通知書は無料なので、固定資産価格通知書を請求するのが良いでしょう。相続人でしたら印鑑だけで請求できます。市や役場から送られてくる固定資産税・都市計画税の納付書などに整理番号が記入してありますので、その番号を控えておくか、納付書のコピーもしくは原本を持って行くとスムーズに請求できます。

法務局で上記の不動産の表示などを登記事項証明書又は登記事項要約書で確認
(登記する土地・建物の所在、地番、地籍及び家屋番号、種類、構造、床面積などが登記簿の表示と一致してしているか、また故人の住所・氏名を確認。

2007年5月28日

相続の手続きについて、いろいろ書類を揃えないといけないので、いろいろ問い合わせをしました。

相続人の印鑑証明書、住民票、戸籍謄本などが必要なのに加えて、故人の原戸籍(全部)や住民票も必要ですが、故人の原(はら)戸籍も市役所だけではなくて保健所などの市民センターでも入手可能のようです。

相続の登記申請書に添付する書類としては、登記原因証明情報と住所証明書が必要なのですが住所証明書とは相続する人の住民票で良いようです。登記原因証明情報とは、いろんなケースがあるようですが、一般的には故人の原戸籍(生まれてから結婚して子供が生まれて子供が独立して、本人が無くなるまでの記載の全てがあるもの)と原戸籍に掲載されている住所と故人の現住所の両方が記載されている書類(住民票など)を揃えると事足りるようです。

原戸籍は生まれてから、結婚して子供が生まれて子供が独立して、今までの記載の全てがあるものが必要です。戸籍の戸主が変わる度に新しい原戸籍が出来るのですが、途中抜けることなく全部の原戸籍が必要です。なんで、そんなものが必要なのかと聞いたのですが、12才以後は子供を作ることが可能で、外で子供を作った事(つまり遺産相続の対象になる人がいないか)がないか確認しないといけないからだそうです。

登記に必要な印鑑証明書、住民票、戸籍謄本、原戸籍などはコピーではなくて原本が必要だそうです。相続の土地や建物が複数あると、もしその土地や建物の管轄が違う(金沢市内でも管轄が違う場合あり)と、おのおのの法務局ごとに書類を揃えないといけんません。
相続関係説明図を作成して添付すると、印鑑証明書、住民票、戸籍謄本、原戸籍は登記が終了(通常3日前後かかる)してから返却してもらえますので、法務局の管轄の違う土地・建物がある場合は、一緒に手続きしないで、片方が終わって、書類が返却されてから、別の手続きをすると書類を重複して入手しなくても良いです。

金沢市役所の市民税課で故人名義の土地と家屋の固定資産価値通知書をもらってきました。固定資産評価証明書は有料ですが、固定資産価値通知書は無料で請求できるのです。市や役場から送られてくる固定資産税・都市計画税の納付書のコピーを持っていきました。印鑑も必要です。
固定資産価値通知書には土地及び家屋の評価額が記載されています。
固定資産価値通知書の土地・家屋の所在・地番は実際の住所とは違います。

金沢市でも戸籍とかの書類をとることができますが、時間がかかり駐車料もかかったりするので、保健所とかにある市民センターで書類をとりました。
父親(故人)の原戸籍全部をとりしました。全部で4通ありました。1通750円なので全部で3000円かかりました。
父親の住民票をとりました。300円です。父親の住民票は自分の住民票と母親の住民票と共通なので重複してはとらなくても良いみたいです。
父親の全事項証明戸籍をとりました。450円です。母親は父親の全事項証明戸籍中に記載されているので母親の戸籍はとらなくても良いみたいです。
自分の全事項証明戸籍をとりました。450円です。
自分の印鑑証明書をとりました。300円でした。
母親の印鑑証明書をとりました。300円です。印鑑証明書をとるには印鑑手帳が必ず必要です。
自分以外の印鑑証明書をとる場合は、自分の印鑑のほかに、その人の認印が必要です。

金沢地方法務局と金沢地方法務局金沢西出張所へ行って、相続対象の土地及び家屋の登記事項要約書をとりました。土地と建物は同一の場所でも別途に請求しないといけません。1件について500円です。登記事項証明書でも良いのですが登記事項要約書より高いので登記事項要約書で良いでしょう。
登記事項要約書には、対象の土地や家屋が誰の名義であるか、複数の人の名義であれば、おのおのの人の持分の割合が記載されています。
登記事項要約書の土地・家屋の所在・地番は実際の住所とは違います。家屋については家屋の種類、構造、床面積なども記載されています。

父親の遺産について一覧表を作成しました。これは提出するものではないけど遺産を分ける場合に参考になります。
預貯金と年金未収金と手持ち現金と有価証券(自分の会社の株式)と土地・家屋がありました。
預貯金と年金未収金と手持ち現金から葬儀代(告別に行われる中陰までにかかった費用全額から香典・花代・菓子籠代を差し引いた額)を差し引いた額が現金としての相続対象額です。
墓や仏壇やその後の法要(四十九日など)の費用は控除されないので差し引けないようです。

つまり故人のための墓や仏壇やその後の法要(四十九日など)の費用は、故人の財産(遺産)から負担するというものではないということのようです。

2007年5月29日

父親の遺産の一覧表を作成したことにより父親の遺産がどれだけあったのかはっきりしたので、分配案を作成しました。

それに基づいて遺産分割協議書の下書きを作成しました。遺産分割協議書は相続人全員の実印での捺印が必要です。相続人全員が遺産分割協議書(同じもの)を各自1枚ずつ所持します。
遺産分割協議書は土地や家屋の登記の時に添付しなくてはいけません。
遺産分割協議書は相続人全員の捺印の他に、相続人おのおのの相続する物件(権利や現金なども全て)を明記しておかなければいけません。
決まった書式がありますので、法務局で見本をもらってくるか、インターネットで遺産分割協議書を検索してフォーマットを入手しましょう。

遺産分割協議書に従って、相続する土地・家屋の登記申請書を作成しました。
登記の目的  所有権移転
原因      平成19年1月15日(父が亡くなった日)相続
相続人     (被相続人  父の名前)
    相続人の住所
    相続人の名前
    相続人の電話番号

添付書類  登記原因証明情報   住所証明書

課税価格   固定資産価格通知書に記載された評価額を記入(999円以下は切り捨て)
登録免許税   評価額の0.004倍の価格

不動産の表示
  登記事項要約書を参考に土地や家屋の情報を記入

上記も決まった書式がありますので、法務局で見本をもらってくるか、インターネットで遺産分割協議書を検索してフォーマットを入手しましょう
相続する土地や家屋が複数あるようでしたら、そのおのおのに必要です。

相続関係説明図を作成しました。

相続関係説明図は土地や家屋の登記に必要です。
相続関係説明図はどうしても必要な書類ではないようですが、相続関係説明図があれば、登記が完了(通常3日くらいかかります)すれば、原戸籍、住民票、戸籍謄本を返却してもらえます。
原戸籍、住民票、戸籍謄本とかは故人の銀行の預金をおろしたり、その他の手続きに必要なので返却してもらったほうが良いでしょう。原戸籍、住民票、戸籍謄本も取得するのはお金かかるしね。

故人(被相続人)名前、住所、本籍、死亡日時や 説明図の作成者を記入します。

故人(被相続人)と相続人全員(生年月日、住所も記入)との関係の家系図を作成し、被相続人には被のマーク、相続人には相のマークをつけます。相続しない人のところには(分割)と記入します。相続人が複数の場合には複数の人に相のマークをつけます。

相続関係説明図は相続する土地や家屋ごとに作成しないといけません。

上記も決まった書式がありますので、法務局で見本をもらってくるか、インターネットで遺産分割協議書を検索してフォーマットを入手しましょう
相続する土地や家屋が複数あるようでしたら、そのおのおのに必要です。

2007年5月30日

登記の書類について判らないことの確認と、書類の不備がないかの確認に行ってきました。
金沢地方法務局西出張所の相談所に行くと、職員の対応の悪さに毎度頭にきます。

遺産分割協議書については、法務局は土地・および家屋の登記についてしかチェックしないので、現金や株式の相続については、そんなに厳密なものでなくても問題ないようです。
相続の土地や家屋の住所は現住所ではなくて登記書の表題部に掲載されている番地を記載します。

登記申請書は左側は3cm程度空白が必要で、その土地や家屋の管轄する法務局が同一ならば、土地や家屋が複数ある場合も、その土地・家屋を相続する人ごとに1枚の登記申請書で良いそうです。

相続関係説明図は故人(被相続人)の現住所・本籍の他に、登記事項要約書の所有部所有権の欄に記載された住所も記載しなければいけないそうです。登記事項要約書の所有部所有権の欄に記載された住所と現住所が同じならば、現住所だけでよろしいです。相続関係説明図も同じものを何通も出す必要はないようです。

登記事項要約書の所有部所有権の欄に記載された住所が現住所と違う場合には、改製原附票(現住所と登記事項要約書の所有部所有権の欄に記載された住所の両方が掲載された書類)を市役所もしくは市民センターで入手しないといけないです。300円でした。

登記申請書の提出を相続人以外がする場合は、委任状が必要ですし、登記申請書の添付書類の記入位置に「代理権限証書」も追加記入しておくことが必要です。

遺産分割協議書、登記申請書、相続関係説明図を全部修正しました。
登記申請書の提出の委任状も一応作っておきました。

これで相続の手続きは完了するはずです。

2007年5月31日

今日、相続の土地の登記に金沢地方法務局西出張所に行きました。登記の職員は相談の職員とは担当が違うのですが、やっぱり対応の悪さに頭にきました。
すごく横柄で、住民サービスなんてひとかけらもありません。

隣の席の人が相談してたんですが、必要な書類の説明のコピー(俊は貰いましたが)を元に説明してたんですが、相談者は一生懸命、手帳に写してました。必要書類の説明書くらいコピーしてあげればどうかと思う。この説明書も何年前に作ったかわからないような、読みにくい説明書で、ちゃんとワープロ打って新しい判りやすい説明書を作ればと思う。作ろうと思ったらすぐにできるのに。

相続関係説明図を添付すればは、登記が完了(通常3日くらいかかります)すれば、原戸籍、住民票、戸籍謄本、遺産分割協議書、印鑑証明書、改製原附票を返却してもらえるんですが、返却してもらう為には、自分でコピーして原本と一緒に提出しないといけません。原戸籍や戸籍謄本はコピー無しでも返却してもらえます。

そうこうしながらも、なんとか登記が完了しました。4日後に登記が完了し、返却可能な書類も返してくれるようです。
返却された書類を利用して今度は神田の金沢地方法務局金沢で登記手続きをしないといけません。

2007年6月4日

法務局から電話があって、登記済みの書類を受け取りに行きました。

登記済証は大切なものなので、無くさないようにと言われました。

所有者が、町名変更で実際の住所と違っていたので、手続きすることにしました。
通常、所有者の住所変更の手続きは1000円かかるのですが、町名変更の場合は無料で手続きできます。
ただし、登録内容を確認しなければいけないので登記事項要約書をとらないといけないし住民票と、町名が変更になったことを証明する書類(改製原附票など)や住民票も必要なので、単に所有者の住所を変更するだけだと、町名変更の場合でも登記事項要約書をとるのに1100円かかります。

住民票と改製原附票は原本とコピーを持っていけば、登記が済めば、原本のほうは返却されます。
申請の印鑑は認印で良いです。

手続きの書類の下書きを持っていったのですが、訂正がいっぱいありました。登記に関する文は定型化されているので、決まったて定形文に1字でも違うと、訂正させられます。
自分で勝手に文を考えて記入しても、そのままでは受け付けられません。
インターネットとかでちゃんと調べても、1度に完璧な書類というのはできないようです。

2007年6月5日

所有権登記名義人住所変更の登記申請書を提出しました。明後日、完了予定だそうです。

2007年6月7日

法務局から登記完了の電話があって行ってきましたが、今日は、びっくりするほど良い応対でした。
書類が戻ってきたので、弟の登記書類を揃えて弟に渡しました。
自分で手続きも出来るのですが、委任状とか余計な書類を作成しないといけないので、面倒なので、書類だけ作成してあげて手続きは弟にさせることにしました。

2007年6月11日

今日、父親の19年度(今年)の市民税と県民税の通知が来ました。

なんで亡くなったのに税金を払わないといけないのかと思って、問い合わせしました。

18年中の所得にかかる税金ということなので、そうなのかなあって、1度納得したんですが、よく聞くと去年の12月31日に亡くなった場合は19年度の市民税と県民税は払わなくても良いけど、今年の1月2日に亡くなったら19年度の市民税と県民税は払わないといけないそうです。
1月1日に存在するかしないかを基準として市民税と県民税を払う義務があるかないかが決まるようです。
なんか、おかしいですよね。亡くなった日が1日違うだけで、1年分の市民税と県民税を払わなくてよかったり、払わなければいけなかったりするのは、どう考えても不公平で不合理だと思うけどね。

2007年6月21日

火災保険の名義が父親になっていたのを名義変更するのを忘れてました。
自宅の火災保険の名義の変更については問題ないのですが、弟が相続した土地建物についても、父親名義で火災保険をかけていたので、それをどうするか母親が迷っています。あと2年で満期になってお金が返ってくるそうで途中解約になると損だというのです。
JA共済に途中解約した場合に返ってくる金額を聞いておくように言っておきました。

コメント(3)

五十嵐恭子 返信

初めまして、今年7月16日に肺炎で父を亡くした、金沢生まれ金沢育ち金沢で嫁いで2児の母親の恭子と申します。
 まだ3週間しか経っていないので、余りいろいろな事を客観的に考えることが出来ていませんが。
あなた様の「父親が亡くなって,なにも知らないなかで葬儀に関わった記録です」に触発されて、自分も記録を残したいと思って今までの出来事を記録して、後々考える時の参考にしたいと思った次第です。

返信

親が亡くなるって事は言葉で言い表せない悲しみです。漠然と,親はずっと生きているものだと思ってました。

五十嵐恭子 返信

私も同じです。
父は約3年前に脳梗塞で倒れたのですが、その前から少し悪い兆候はあったようなのです。
でも、それからはずっとほとんど話すこともなく、食べ物も鼻からや胃ろうでとっていました。
今回の肺炎も微熱程度で今までも何回となく、乗り越えてきた父だっただけに余り気にすることもなく、危篤の知らせが病院から来てから、駆け付けたという情けなさです。
 でも、何度か話せない父が私の心に直接言葉を伝えていたような気がします。親子ですね。

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