金沢の葬儀事情

父親が亡くなった事から、金沢の葬儀の事情に興味を持って情報を集めました

義理の父親が亡くなられた

2011年8月15日

義理の父親(妻の父親)が急死しました。
倶利伽羅不動尊の万灯会から帰ると,妻と息子が妻の実家から里帰りを終えて帰って来てました。
21:40頃,電話があって,病院から,義理の父親が亡くなって,義理の母親の動揺が大きいので,病院にすぐに来て欲しいという内容でした。電話に出たのが母親だったので,気が動転していたこともあり,義理の父親が亡くなったのか危篤状況なのかもあやふやな状況でした。
さっきまで妻や息子が妻の実家にいて,前日には,一緒にいろんな場所に墓参りに出かけてきて,当日も体調が思わしくはなかったものの,亡くなられるとかそういう事をよきさせるようなものは何もなかったのでびっくりしました。
取り急ぎ家族5人で1台の自動車に乗って病院に向いました。
移動の途中で県外に住んでいる妻の兄(長男)に連絡して,病院についてから改めて連絡するということにしました。
病院に着いて救急治療室に入ると,医師がいて,詳しい状況を話してくださいました。
死因ははっきりしないのですが,吐いた嘔吐物に胃液と一緒に出血が多く見られたということです。胃からの出血に関する症状は命に直接関係するものではなく,嘔吐物による窒息が考えられるということでした。急死の場合は死因を確認する必要があるということで,CTや心臓の検査もしたということでしたが,脳の異常は見当たらず,その他にも死因となるはっきりとした所見は見当たらず,心臓が弱っていた兆候があるので,心不全が死因ということになったそうです。
看護婦さんから,病院から自宅に遺体を運ぶ葬儀社の手配をして下さいと言われ,義理の母親がいる霊安所前の廊下に案内されました。霊安所前の廊下では義理の母親が警察の聴取を受けていました。病院以外で亡くなった急死の場合は,事件性がないか必ず警察による取り調べがあるのです。
当日は妻も義理の父親と一緒に過ごしたということで,一緒に警察の聴取を受けることにしました。
いろいろな手配をするのは自分以外に無かったので,とりあえず妻の兄(長男)に電話で状況を説明し翌日の朝一番にこちらに来るということになりました。
病院にいたため妻の母方の親戚の電話番号が判らなかったので,電話帳で調べて,妻の母の姉妹の1人に電話をしました。状況の説明と妻の母の残りの姉妹に連絡してもらうように頼みました。
義理の父親側の親戚は近しい人はみんな亡くなられているので連絡は朝にすることにしました。
時間が深夜(22:40)ということで,お坊さんに早めに連絡しないといけないということで,檀家になっているお寺の名前を聞いて電話帖で電話を調べて電話をしました。まだ病院にいるということで,実家に戻ってから再び電話するということになりました。
義母に頼みたい葬儀社はあるかと聞くと,祖母が亡くなった時にお願いした葬儀社が天祥閣だというので,電話帖で電話を調べて連絡しました。看護婦さんに葬儀屋が何時に来れば良いか確認してから改めて連絡して欲しいということでした。

検視に数人の警察の専門家が来て,遺体を調べることになりました。
妻と義理の母が警察の聴取をうけていたのですが,両者の言う内容の時間の食い違いが多く,経過の整理がつかなかったのですが,検視の結果からも事件性が感じられないということだったので,そのあたりはうやむやにして終わりました。
父親の亡くなられた現場検証もしたいということだったので,誰かが警察と一緒に実家に行かなくてはいけなくなりました。警察の自動車には1人しか乗れないということだったので,誰が行くか迷ったのですが,義理の母親は父と一緒にいたほうが良いということで,鍵のある場所などを知っている妻が警察と一緒に行くという提案もあったのですが,普段飲んでいる薬の処方の書類などをしまってある場所とかが判らないということで義理の母親が警察に同行することになりました。義理の母親が1人だと不安だろうし義理の母親の姉妹に電話して,実家の方に来てくれないかと頼んだのですが,時間も遅いし,都合悪く朝にならないと行けないということだったので諦めました。

霊安所での検視が終わって,看護婦さんが遺体を綺麗にしてくれました。看護婦さんに葬儀屋が何時に来れ遺体を綺麗ば良いか聞くと24:00に来て欲しいということだったので葬儀社に連絡しました。
遺体が綺麗になったので,みんなでお参りをしに霊安所に入室しました。
死亡診断書を看護婦さんから受取って,住所などに間違いは無いか聞かれたので,確認すると住所に間違いがあったので,訂正してもらいました。
死亡診断書は葬儀社の担当者に渡しました。
看護婦さんに病院の支払いはどうなりますかと聞くと,請求書を送るので後で支払いをお願いしますということでした。
葬儀社が,絹っぽい布で作った衣装と布団で遺体を包んで,遺体を移動させる準備をしました。
葬儀社と一緒に,遺体を霊安車に運び,実家に運ぶことになりました。
義理の母が検察の検視が終わってから警察と再び病院に戻るということだったので,実家に病院に戻らなくても良い旨の連絡しようと電話したのですが,話中でつながりません。仕方が無いので妻と母親が2人で霊安車にのって実家に行き,子供達と病院に残ることにしました。

その後,何度,電話してもつながらないので受話器がはずれたままになっているのではないかと思って,妻に電話したのですが,そちらのほうも,電話に出ないので,とにかく待つことにしました。そうこうしてると義理の母親が病院に来て,一緒に実家に行くことにしました。実家の電話機の受話器はやっぱり外れたままになっていました。気が動転していたのだと思います。
実家には,さきほど連絡した義理の母親の姉妹のご夫婦も来てくれていました。
祭壇の用意もすでにされていました。
ただ,男手が足りなく,遺体は霊安車に乗せられたままだったので,手伝って自宅内に移動しました。ちょっと頼りない葬儀社です。
神棚の前に紙を貼って神棚の神を隠しました。

実家に帰ってからお寺に電話して,しばらくして僧侶が来てくれることになりました。
実家の整理をして,葬儀社といろいろな打ち合わせをしました。
夜中だったので,亡くなられた翌日にお通夜をする事ができないので,亡くなられた翌々日に通夜をして,その翌日11:00に告別式をすることにしました。
式場の大きさは,妻の祖母の時と一緒の大きさの部屋ですることにしました。
喪主を誰にするか聞かれたので,妻の兄に電話して喪主になってもらうことを了解していただきました。
北国新聞社と北陸中日新聞社のおくやみ欄に掲載することの連絡をしてもらうにあたり了解のサインをしました。最近は個人情報の保護がらみで,いろいろと気を使っているようです。
有料の死亡広告を出すか聞かれたので,見る人は,おくやみ欄だけでも見るし,おくやみ欄をみない人は死亡広告も見ないので,有料の死亡広告は出さないことにしました。

葬儀社の天祥閣の会員かどうか,JA(農協)の会員かどうかも聞かれました。天祥閣の会員かどうかは知らなかったのですが,義祖母の葬儀は天祥閣だった事を伝えました。JAについては義父が役員をしていたということで調べてみるということになりました。

そうこうしてると僧侶が来て,通夜と告別式の予定をつげると他に頼む僧侶の都合もあるので,ちょっと待って欲しいと言われました。でも,なんとか都合をやりくりしてくれるということで日程が決まりました。

葬儀社の人に最近は頼む僧侶の人数は,どういう状況であるのか聞くと,最近は通夜は1人で,告別式が2人の場合が多いようですということでした。

僧侶から,法名の提案があり,金銭的な説明も有り,提案どおりでお願いしました。法名は8万円で,月命日のお布施で支払っている年額との差額分だけお支払いしていただければ良いということでした。

お坊さんは通夜は1人で告別式は2人を予定しているが,もしもっと多くのお坊さんを希望される場合は,近所のお寺さんに直接頼んで欲しいということでした。
義理の母親は,多くの僧侶を呼んで葬儀をしたいということでしたが,僧侶は,最近のこの地域の葬儀では,ほとんど全部が通夜は1人で告別式は2人で執り行っているとの説明をしていました。

位牌に法名を記入し,準備が終わったので,お経をあげてもらいました。
義理の母親1人だとさびしいと思いましたが,妻が運転する自動車が無いので,とりあえず家族全員で帰って,必要なものを揃えて,妻1人が自分の自動車で実家に戻ることにしました。

故人名義の貯金は可能な限り引き出しておいて,義母の口座に移しておくように義母と妻に提案しました。当然,引き落とした金額は義兄に知らせておくように伝えました。

自宅に帰ったのは3:00を過ぎていました。

2011年8月16日

13:00に葬儀社(天祥閣)との打ち合わせがあるというので出かけました。

玄関には義父が亡くなった事を知らせる貼り紙と,送迎バスの時刻の告知の貼り紙が掲示されていました。
喪主の義兄も少し遅れて到着するということでした。
喪主がいないと重要なことを決められないということで,喪主の到着を待ちました。

祭壇に飾る写真は決めてありました。

銀行口座や郵便貯金の引き降ろしは順調に進んだようです。
義兄には銀行口座や郵便貯金の引き降ろしについては報告しました。

最初に何人が入れる会場にするかを決めました。以前,嫁の実家の祖母が亡くなられた時のデータを葬儀社が保存していたので,それを参考に決めました。祖母も義父と同じ職業だったので,そういう意味でも参考になりました。葬儀の情報は保存しておかなくてはいけないものだと再認識しました。

次は香典の数を決めるのですが,それも葬儀社に前回の記録が残っていたので参考にしました。前回は半分以上余らしたので前回の半分にしようとしたのですが,女性と男性の違いがあるので半分よりは多めにすることにしました。

祭壇が3つのクラスがあるということなので,中くらいのクラスの祭壇にしようということに決まりそうだったのですが,祭壇を安いクラスのものにして,花を多めに飾るという方法もあるということを話して,その線で検討することにしました。
3つのクラスがあると,真ん中のクラスにしようというのが人間の心理ですが,ある意味では葬儀屋の作戦です。
結果的に祭壇を安いクラスのものにして,追加の花は3段階の一番高いものにしようということになったのですが,一番高いものと中ぐらいのものでは,目だたない場所の花が増えるだけなので,結果的に見栄えは変わらないとの葬儀社の助言があったので,中くらいのものにすることになりました。それでも結構な金額になります。

生花の籠は,親戚の方の費用で飾られるのですが,クラスが3段階あるのですが親戚の負担を大きくしないという事と,一番リーズナブルの生花籠でも12600円もするということなので,12600円の生花籠に統一することにしました。

菓子籠は10500円でした。

香典返しの品目については,商品券を希望したのですが,天祥閣では商品券をやっていないということで,とても困りました。カタログで各自好みの物を選ぶのはあったのですが,葬儀に出席した時にそういうのを受け取る機会が多く,その割には,魅力的な商品が少ないので,何も頼まないという場合が多いので避けたかったのですが,他に適当なものが無かったので,食べ物で自分で好きなものを選んで申し込むというものにしました。料金は3種類あったのですが,一番高いものにしました。商品券だと利益がでないので扱わないのだと思います。

その他に,中陰の料理と中陰のお土産,仮通夜の料理・オードブル,通夜振る舞いの料理・オードブル・飲物,斎場での軽食,受付などをしていただく人のお弁当,写真の額などを決めました。
義母の心情を最優先に決めました。

選んでいる最中にも来客が結構あり,選ぶのに時間がかかりました。

途中で簡易保険の手続きに郵便局の人が来ました。玄関の貼り紙で義父が亡くなられたことを知られてしまいました。結果的に遺族3人の捺印で手続きが完了したようです。

僧侶については,告別式の際には義父の生家がある地域の僧侶にもきていただき3人でお願いすることにしました。義父の生家は白山麓の奥に位置する地域で,葬儀には僧侶が大勢で弔うのが通常だということで義母の希望に沿いました。

告別式の日の僧侶への挨拶の時に,お布施を払うのが普通だと思うので,それまでに檀家をしている僧侶(導師)に費用について聞いておくように義母と義兄に依頼しました。義父の生家がある地域の僧侶については葬儀社に相場を聞きました。

一番大変だったのは中陰の人数確認でした。こちらも前回の記録を参考にしました。前回の出席者を参考に,祖母の孫にあたる人を外して,義父の孫にあたる人を入れました。この時点ではあくまでも予想ということなので,実際には中陰に出席いただくつもりのご本人にご本人の都合と一緒に出席される家族の人数を確認しないといけないです。夜に仮通夜を行うので,その時に確認できる人には確認するということにしました。中陰に僧侶が出席できる場合は僧侶も人数に加えておかなければいけません。

親戚関係の生花や菓子籠の数の確認もしないといけないので,それも前回の記録を参考に,仮通夜の時に確認するということにしました。

葬儀の際の,受付,会計責任者を決めないといけません。受付は町内の人が通夜と葬式で3人ずつ出ていただけるということで助かりました。
会計責任者を誰がするか,なかなか思いつかなかったのですが,親戚の中で,葬儀に詳しく世話好きの人がいたので,その人にお願いする事にしました。

通夜と告別式の親族の挨拶を誰がするのか決めないといけなかったのですが,どうしても避けたかったので,触れないようにしていたのですが,結局,通夜の挨拶を引き受けざるを得なくなってしまいました。本当に苦手でしたくないんです。

朝日新聞社と読売新聞社からお悔やみの欄に掲載するにあたって確認の電話があったそうです。役場からの連絡の早さにびっくりしました。

とりあえず決めないといけない事は決めたので,1度帰ることにしました。最後に棺おけに入れるものも決めておくように依頼しました。

仮通夜には近しい親戚の人が20人程度集まり19:00から始まりました。
掛け軸が普通の掛け軸がかけられていて,あれっと思っていたのですが,他の人も同様だったようで,お経が終わってから,親戚の人から,指摘があって,南無阿弥陀仏の掛け軸に変えました。こういうのは葬儀社の人が指摘してくれると助かるのですけど・・・。

仮通夜に出ていただいた親戚に人に生花と菓子籠の確認と,中陰に出てくださる人数の確認をしました。会計責任者も引き受けていただけました。
会計責任者も引き受けていただいた親戚の人と会計の役割分担や香典の会計処理順序のおおまかなものも相談しました。

仮通夜の料理はかなり余ったのですが,多分翌日の朝食になったのだと思います。

通夜の挨拶の文面ができたので,喪主と義母にチェックしてもらって,一部訂正しました。

天祥閣は会員になっていたようでした。俊の父親の葬儀をお願いした米永さんの場合は最初でも会員扱いにしてくれたので良かったのですが,天祥閣の場合は初めて利用して会員登録もしてない場合に,どういう扱いになるのか不明ですが,天祥閣への入会は1万円で永久会員ということなので,多分誰もがいつでも(実際に葬儀が必要になってからでも)入会できるのだと思います。

JAについては義父が会員になっていたようです。

2011年8月17日

通夜の日は,通夜が始まるまでは,比較的決める事が少ないので,仕事をしました。
なんか頭がぼーっとしていて,通夜の挨拶の原稿も,仕事のメモ帖も持って出るのを忘れました。これで通夜の挨拶を覚えるのは不可能になりました。

妻と連絡をとると16:00前に遺体を葬儀場に運ぶけど,運ぶ人手は足りているので17:00に会場に来てくれれば良いということだったので,そのようにしました。

通夜の日の日中は,それほど決める事がなかったようですが,それなりに決める事があったようです。

通夜・葬式の日には他に会場利用者はなくて,貸切状態で会場を使えました。大きな和室と,洗面台,冷蔵庫,風呂場,小さい和室があり,小さい和室には大きな金庫がありました。これだけ大きな金庫だと持ち去られる心配がないので安心して預けられます。
来場者が自由に飲める給茶機はありましたが,ジュースなどを飲める無料の自販機は設置されていませんでした。

生花籠と菓子籠の名前が妻の名や息子の名前になっていたので,びっくりしました。自分の名前は正面に立てられていました。なんでだろうと不思議に思っていたのですが,特に指摘しなかったのですが,なんでも葬儀社の提案で,できるだけ多くの人の名前を出そうという事でそうなったようです。
生花籠と菓子籠を出した他の親戚の人もびっくりして,頼んでいた分の費用以外の費用を負担しないといけないのではと思ったようです。

通夜の日は早めにおいでる列席者がいるのは通例ですが,当日は1時間40分前からおいでになりました。その後ぼちぼちと列席者が訪れまたので,当初受付は18:00からの予定でしたが,町内から受付の手伝いに来てくれた人や会計の管轄をお願いした人も早めに出てきていただいたので,受付を早めに始めました。通夜の受付は1時間30分前からしたほうが良いようです。
当初,香典帖への記入は,通夜後にする予定でしたが,香典の外袋に記入されている名前及び住所は,会計責任者が記入することになりました。香典袋には番号を記入して,香典帳にも香典袋に記入した番号も記入します。
香典帖に記入した香典袋は番号順に糸で綴ってもらいました。つまり,受付3人,香典帖への記入1人,糸を綴ったりする人1人の5人で担当したことになります。
結果的に,最初に氏名・住所を記入しておいたお陰で,集計が随分楽になりました。
でも受付で香典帖へ記入するのは,結果的に通夜が終わる間際までかかってしまったようです。本当にお世話になりました。

通夜では遺族の席に座らないといけなかったので,50分前には席に着きました。
石川県では葬儀場に入ると同時に焼香をして遺族に挨拶をするのが通例になっているので,通夜が始まるまでに列席者がおいでるたびに立って挨拶をすることになります。
親戚以外で中陰に出席していただきたい人については,来場時に,中陰の出席をお願いして最終的な出席人数を確認しました。
僧侶が中陰に出席するかの確認をしたのか妻に聞くと,葬儀社のほうから僧侶は都合が悪く中陰に出席できないという事を聞きました。
僧侶が中陰に出席できない場合のお土産などをどうすれば良いのか,葬儀社に相談しておくように依頼しました。

列席者の希望者に正信偈の本が貸し出され,定刻の19;00に通夜がはじまりました。正信偈を唱えることのできる人は一緒に唱和するのです。
通夜では香典袋は飾られません。
仏説阿弥陀経と正信偈が続けて行なわれ,僧侶の説教がありました。説教の内容に通夜の挨拶に重なる事があり,急遽,通夜の挨拶の内容の一部を省くことにしました。
いよいよ親族の挨拶の時になりました。紹介は名前だけで故人との関係に触れなかったので,故人との関係を言ってから挨拶に入ろうかと思ったりもしましたが,やめました。
忙しかったので,読みやすいように細長の原稿にすれば良かったのですが,気が回らず原稿を途中で何度も裏返したりみっともなかったと思います。挨拶自体もボロボロでした。

通夜が終わって通夜振る舞いになりました。通夜振る舞いは親族の休憩室に使われていた大きな和室で行なわれました。途中で棺が和室に入れられました。
生花籠と菓子籠の受取っていないお金を集めました。

しばらく飲食をした後21:00より,金庫のある小さい和室で香典の集計をすることにしました。会計責任者に何人いれば良いかと尋ねると4人居れば楽だというので,知っている親戚の2人に手伝ってもらうことにしました。

香典が200ほどあり香典帳が1冊100人分だったので,100人分と残りの分とで分担して集計することにしました。
1人は袋からお金を出して,もう1人は外袋に住所が無くて,中袋に住所がある場合の住所を香典帳に記入して,金額を記入します。
10人終わるごとに小計を出して,実際の金額と違いがないか確認します。
最終的に途中一度も間違いなく1時間で集計は終わりました。
ついでに生花籠と菓子籠のお金も間違いないか確認しました。

お金は,いくら入っているか明記して,喪主に渡して金庫に入れました。

遺骨の分骨をどうするかどうするか聞きました。義母が分骨して東本願寺に収めたいというので,分骨することにしました。
義兄に,告別式の焼香順と,電報の読み順(特に政治家の電報の扱い)などを決めるのが大変だということを伝え,焼香順は,親戚だけを決めて,あとは席順に随意焼香するのが楽だと伝えました。

もうほとんどの人が帰っていて帰宅する事にしました。
葬儀場には義母と,妻と,義兄と義兄の家族が泊まることになりました。

告別式は11:00からですが,妻と,義兄と相談したら10:00頃に来れば良いとの事なので,そうしようと思いました。

2011年8月18日

11:00に告別式が始まりますが,少し早めに9:40に葬儀場に行きました。
お布施の事を確認したら,もう支払ったということでした。
告別式の焼香順と,電報の読み順や電報の名前の読み順も決めたということでした。中陰の席順や親戚の名前の読み方の確認もしてあえりました。

告別式は,それほど早く来場する人はいないと思っていましたが1時間以上前から来場する人がいました。受付の手伝いをしてくださる方は,すでに来ていただいていて香典も受取っていてくれてました。
とりあえず,受付の記録係をすることにしました。本当は通夜の最後の番号の次の番号から記入しなければいけなかったのに,1番から記入してしまいました。
それからもかなり早い時間に受付においでる人が次から次へとおいでました。白山麓の人は時間が早いです。受付は1時間30分前からしたほうが良いです。
そうこうしていると会計の責任者が来てくれて交代しました。告別式の香典は,その日には集計せずに,そのまま喪主に渡して金庫に入れることにしました。

葬儀社から,前の席につく遺族は早めに着席するように言われたので,着席しました。告別式では僧侶入場時には立って挨拶をするが,その他の列席者が挨拶した時には座ったままでいることなど説明されました。焼香の時の簡単な注意もありました。
途中で弔辞の申し出があり,司会者に弔辞を入れるよう依頼をしました。

告別式はお経があって,弔辞があり,その後,僧侶が正信偈を唱えているなかで焼香がはじまりました。名前を読み上げるのは親戚だけにしました。
電報は内容を読むのは,内容のある電報2通だけにして,電報の名前は全部読み上げました。電報の順序を最初に読むのは国会議員にしていました。

告別式が終わって,その場でお別れの儀式が行なわれました。親戚を中心に多くの人が残っていました。外では多くの人が出発を待っていました。
喪主から順番に棺に祭壇の花を入れます。それから棺を親族が手をかけてストレッチャーから霊柩車に移し,斎場に向います。喪主は霊柩車に同乗します。斎場に同行する親族は貸切のバスに乗って斎場に向います。霊柩車からストレッチャーに棺を親族が手をかけて移します。
すでに遺族の手には骨壷がありました。自分の父親の葬儀では斎場で骨壷を選びましたが,今回は葬儀社で用意したようです。故人の写真と,大小の骨壷を遺族が持っていきました。

斎場に入って,僧侶のお経の中で焼香をして,最後のお別れをして遺体を焼却します。
遺体の焼却には時間がかなりかかるので控え室で待機します。お昼時で中陰まで時間がかかるので,おにぎりと飲み物とお菓子を用意しました。

焼却が終わると呼び出しがあり,骨を骨壷に収めます。最初に喪主が喉仏と頭の骨を1つ小さい骨壷に入れて,その後大きな骨壷に,みんなで順番に骨を骨壷に入れます。

骨壷に骨を入れてからバスに乗って,葬儀場に戻りました。葬儀場にもどって中陰のお勤めがあって,中陰の食事がありました。テーブルには名前が書かれた札が置いてあって,テーブルの下には家族に1個お土産が置いてありました。
中陰の食事は精進料理にしました。天祥閣の料理は米永さんほどでは無いですが,まあ美味しい料理でした。
周りの様子を見て,食事も終わっているようなので,喪主に,もうそろそろお開きにしたらどうですかと伝えお開きにしました。
僧侶が中陰の食事につかなかったので御膳料10000円を包んで葬儀社から渡してもらったそうです。

義兄が,明日,近所の世話になった人(町の同じ班で列席した人と,受付をしてくれた人)12軒にささやかなお礼の品を持って挨拶に周ると言っていたので,近所なら今日中に周る事を勧めました。近所ならすぐに周れるし,夜ならみんな在宅してるし,明日は明日ですることがたくさんあるので先に済ませたほうが良いです。明後日は土曜日なので手続きできないので明日は忙しいはずなんです。

実家に帰る前に役場で死亡時に必要な書類一覧表を貰ってくることにしました。手続きは喪主が翌日する予定だったので,前もって必要なものを忘れないで行った方が2度手間にならなくてすむと思ったのです。野々市の役場は親切で,名前を言ったら,その人の加入している保険や年金も前もって全部調べてあって,どういうものが必要なのか,どこに連絡すれば良いのか教えてくれました。ただ,喪主がこちらに住民票が無いので,喪主が手続きする場合,複雑になるというので自動車で待っていた義兄を呼びに行って話しを聞いてもらいました。
死亡手続きは葬儀社が済ませてあったので,役場で行なう手続きは死亡証明書などの必要書類の取得と年金,保険関係,葬祭費の請求などになります。
一覧に掲載されている年金や保険関係の事を窓口の人に聞くと,年金担当のところに案内してくれ,待たずにすぐに必要な事を確認できました。
義父は厚生年金の他に共済年金もあったのですが,共済年金の手続について役場の人は詳しいことを知らなかったので,ちょっと大変そうです。役場は国民年金は管轄なのですが,厚生年金や共済年金は担当外なのです。厚生年金は金沢南年金事務所での手続きになり,共済年金は証書に記載されている東京の事務所に連絡して書類を送ってもらわないといけないようです。

確認する事が多くなったので,思ってたよりも時間がかかってしまいました。
家に帰ると,葬儀屋の人も来ていて喪主を待っていたようです。ちょっと待たせてしまいました。

野々市役場でもらった一覧表に出ている事以外に必要な手続きについて書いたメモを義兄に渡しました。義兄に義父の原戸籍も全種類とっておくように依頼しました。原戸籍は財産関係の名義変更に必ず必要ですし,遺産対象の確定にどうしても必要なものなのです。
ついでに義兄に役場の税務課で固定資産価格通知書の請求(無料)をするように依頼しました。3人が相続対象だと遺産が8000万円までは税金がかからないので,遺産の総額を把握するためにも必要なのです。
義兄に,妻は遺産については何も欲しがらないと思うと伝えると,義兄も何も貰うつもりは無いと話していました。
住宅は義母が住んでいるし,義母の生活の事もあるので,義母が生活できるようにという事が最重要であるというのが2人の一致した考えでした。

義兄の家族は本日帰る予定だと聞いていたので,できるだけ早い時間の列車に乗るほうが良いだろうということで,すぐに金沢駅まで送ることにしました。平日の夕方だったので道が混んでいたので,ちょっと遠回りして西口に行くことにしました。なんとか無事に列車の時間に間に合う事ができました。

義兄から翌日の夜に,慰労会をするので家族全員で来て欲しいと言われたので家族に聞いてみますと答えました。

翌日は娘が早朝に泊りがけの長期実習が始まるので,見送りたいということで妻も夜に帰ってきて,朝に再び実家に行く事になりました。

自宅に帰って家族の都合を聞いて,慰労会に行くことにしました。ちなみに慰労会は,義母と,義兄と,自分の家族だけです。

家に帰ると娘が発熱したということで焦りましたが,薬を飲んで休んだら,なんとか熱が下がりました。
妻が帰ってくると,自分に慰労会の場所を一任するので良い店を紹介して欲しいということだったのですが,母親から義父の骨を残しておいて食事に出かけるのはどうかというので,松花堂弁当でもとって実家で食事会をしたほうが良いのではないかということで検討してもらうことにしました。

忙しい一日が終わりました。

2011年8月19日

朝に娘の実習のために加賀地方まで送ってあげました。帰宅すると妻がまだ居ました。
10:30に僧侶が来る予定だし,手続きをするにも妻の自動車がないと動けないので,早く行ってあげないと困るのにと思ってヤキモキしました。
妻が出かける時に,香典は義母の通帳に入金して置くようにと,玄関に忌中の貼り紙をしておくように伝えました。

今日は通常の仕事をして,夕方に電話をして慰労会はどうなったか聞くと,今野々市役場で2度目の手続きをしているということで,慰労会は実家ですることになったということでした。夕方に役場にいたというのを聞いて手続きが順調にいっていないことが伺えました。翌日は土曜日で,手続きができなく,しかも義兄が日曜日に帰るということだったので,今日出来ることは済ませておいたほうが良かったのですけど。

夜になって息子が帰ってきたので妻の実家へ行きました。

料理屋に松花堂弁当を頼んでみたのですが,どの店も当日の申し込みでは対応できないということでオードブルや寿司の弁当が用意されていました。いろんなチーズが用意されていたのは個人的には嬉しかったのです。ちゃんとした食事よりオードブル関係のほうが個人的には好きなのです。
いろんな話をして2時間半も滞在しました。

手続きについて確認したのですが,厚生年金と共済年金の手続きが終わってないということでした。年金証書はあったのですが年金手帳がみつからなかったということでした。
原戸籍は結構後のものは野々市町役場で取得できたのですが,結婚前の分は白山市役所でないと入手できないという事だったようです。

義兄から,香典とかのお金をどうするかという相談があり,土曜日でもATMなら入金できるので義母の口座に入金しておいたほうが安心だと伝えました。妻にはちゃんと入金しておくように言っておいたのですが忘れていたようです。

帰りに葬儀社からの最初のほうに出された見積書を貰いました。葬儀社ごとの費用算定の違いを調べたかったのです。

2011年8月20日

土曜日は,手続きする事がなかったのですが,香典などのお金をATMで入金したり,家の整理整頓をしたり,いろいろな事を話し合ったりしたのではないかと思います。
本当は日曜日まで実家に居るように妻に言ったあったのですが,土曜日の夜に帰ってきました。もうすることが無くなったということでした。

義兄も帰ったようです。

日曜日の16:30に初七日の法事が行なわれるということでした。

2011年8月21日

あっという間に初七日を迎えました。

初七日は義母や2人の親戚は礼服でした。俊の家族は平服でした。初七日の勤めが終わってから,僧侶に初七日では礼服が必要だったのですかと聞くと,仏事は基本的には礼服だけど葬式が終わってから四十九日までは家族だけで行なう事が多いので平服で行なう場合が多いですということでした。

巻き線香は,遺体がある時だけ使うそうです。

位牌は,もともと仏事では必要ではなく,訪れた人に法名が判るようにしているだけなので四十九日が終われば処分すれば良いということでした。

6日目までの仏事は最初のお布施に含まれますが,初七日のお布施は月命日のお布施と同額を包むようです。

僧侶が帰ってから,四十九日をいつ,どこでするかという話が出て,ちょうど四十九日の日が日曜日だったのに,その日にしようということになりました。場所についても義母や親戚の人から数軒の提案があったのですが,送迎バスがあって,美味しいお店が良いということで,ちょっと遠いのですが親戚の提案した店でしようということになりました。

2011年8月22日

手続きが進んでないなく、平日に動けるのが自分だけということなので手続きの手伝いをしました。

まず印鑑証明書が何通も必要になるので、野々市役場に行きました。義母の印鑑カードを受け取り自分の印鑑と自分の免許証を持って手続きに行きました。義母の名前、住所、生年月日の記入が必要です。義父の戸籍にすべて掲載されていたので、なんとか印鑑証明書を入手できましたが、2度手間になるところでした。3通発行してもらいました。1通200円で600円です。

義父の原戸籍は、野々市町の分は取得してあったのですが、生まれてから結婚するまでは白山市に住んでいたので、その時期の原戸籍は白山市の市役所か支所での発行になります。
義母や息子、娘だと原戸籍、戸籍、住民票を簡単に取得できるのですが、娘の夫だと義母か妻の委任状が必要になります。義母の委任状を作成して、義母に認印を押してもらって、自分の認印と、自分の免許証、野々市での義父の原戸籍を持参して手続きに行きました。白山市の義父の原戸籍は3通あって1通750円なので2250円かかりました。

厚生年金の手続きも必要なので、金沢南年金事務所に行って、手続きの書類をもらってきました。内容は義母に記入してもらい、自分が手続きするということになるので委任状ももらってきました。それぞれの個人的事情によって必要書類が違うということなので、義母から金沢南年金事務所に電話して、必要なものを確認してから来たほうが2度手間にならないということでした。

義母が住んでいる土地・建物の名義が誰のものか知らないと言うので、新神田町の金沢地方法務局で調べないといけません。

火災保険の名義変更も必要だと相談されたので、1つ1つ片付けていきましょうと言いました。

妻が共済年金(東京)のほうに連絡したのですが,手続の書類を送ってもらうのに1週間から2週間かかるそうです。

義母から,四十九日を行なうお店への連絡は義母がしないといけないのですかと聞かれたので,そのほうが良いですと答えました。どちらにせよ,四十九日の日時は僧侶の都合を聞いてからでないと具合悪いので,僧侶の都合を確認してもらうように依頼しました。

僧侶に連絡すると,当日の午前中は都合が悪かったようで13:30から四十九日の法要を行なうことにしました。一緒に納骨も行なうことにしたようで,結局,四十九日の食事は夕食ということになるようです。
食事は1人7000円,お土産は4000円の予算ですることにしたそうです。

2011年8月23日

義母が住んでいる土地建物の名義が誰になっているのか知らないということなので,新神田の地方法務局に行って調べてきました。金沢周辺だと地域によって駅西の管轄と新神田の管轄があるので,前もって調べる土地がどちらの管轄か調べてから行く必要があります。
野々市市は新神田の地方法務局の管轄でした。
土地建物の名義は誰もが調べることができます。費用は1500円かかりました。

2011年8月24日

あんまり勝手に手続とかを進めるのも良くないと思い,義兄のメールアドレスを聞いて,今までの状況を逐一詳しく連絡しました。

ついでに一部が義父名義になっている義兄の住んでいる土地の名義関係と評価額を示す書類の取得も依頼しました。

2011年8月25日

今日,義母に,土地・建物の名義の書類を届けました。

厚生年金の書類については,金沢南年金事務所に電話して,助言にしたがって鉛筆で下書きしてあり,必要書類の一覧もチェックしてありました。いろいろ聞きたい事もあるようだったので,今度,金沢南年金事務所に一緒に行くことにしました。

土地建物の評価価格が判る固定資産価格通知書を居住者以外が求める場合は委任状が必要ですが,委任状を用意するのを忘れていたのと,義母が郵便局に行く用事があって雨が強かったので,役場と郵便局に同行することにしました。

葬儀社から請求書が来ていたので郵便局で支払いをしたようです。葬儀社の支払いを聞いたら260万円くらいということでした。香典の総額と葬儀社への支払いは同じくらいだったということでした。

好奇心から僧侶へのお布施の額も聞いたのですが、導師が10万円、導師が連れてきた僧侶が3万円、故人の生家に近いお寺の僧侶が4万円だったそうです。

固定資産価格通知書は役場の資産税務課へ行かないといけないのですが居住している本人だったので書類を請求するのは楽でした。

義父が加入していて義母が受取人の生命保険の手続きは,自分で保険会社に電話して,生命会社の人が来てくれて,手続き中ということでした。

火災の共済保険の会社には義母が電話したようです。火災の共済保険は3年後に満期で250万円ほど出るようです。名義を変更する場合は遺産の相続になるようです。そういう訳で遺産の相続と同様な手続きが必要になるので相続権利がある人全員の同意書などの書類が必要になるとのことでした。

2011年8月26日

今日、厚生年金の手続きに行ってきました。

前回取得した印鑑証明書を全部使ってしまったということなので、先に役場に行って、印鑑証明書、全事項の戸籍謄本と住民票を余分に取得しておきました。

共済年金がメインの年金なので、厚生年金は未収金の手続きだけということでした。

故人の年金手帳(見つからなかった)、故人の年金証書、故人の除籍住民票、残された妻の年金手帳、残された妻の印鑑証明書、残された妻の全事項の戸籍謄本、振り込んで欲しい口座の銀行の通帳、残された妻の実印が必要でした。
厚生年金の職員は親切で手続きは完了しました。厚生年金は教師退職後に3年間勤めた時のものだそうです。短い期間なのに意外と多くいただいていたようでびっくりしました。

2011年8月27日

義母が東本願寺への分骨を希望しているので,どういうシステムになっているか調べてみました。
詳しくは東本願寺のホームページに掲載されていました。
東本願寺の納骨には真宗本廟収骨と大谷祖廟への納骨の2種類あるようです。
真宗本廟収骨は12万円以上の相続講金を収めることにより収骨されます。地元のお寺を通じて相続講金を支払いし,通常は午前の部は法話10:10 収骨・本山読経11:00 終了予定11:30で午後の部は法話13:10 収骨・本山読経14:00 終了予定14:30だそうです。礼服の必要は無いようです。
自家用車で午前の部に間に合わせるのは無理っぽいです。自家用車で午後の部の分骨をすると他に観光というのは難しいようです。
大谷祖廟への納骨は永代経が年に何回あるかによって2万円から15万円以上まで志納額が違ってくるようで受付の時間は9:00から15:45の間随時のようです。

2011年9月2日

四十九日に納骨も行なうと聞いていたので,石屋さんに納骨の連絡をしてあるか聞いたら,してないというので,連絡をとるようにと義母に依頼しました。墓地が町関係のものなので手続きが必要かも石屋に確認をとるように依頼しました。

NTTは義母の口座からの引き落としなので,手続きは必要ないと思っていたのですが,名義が義父になっていたようで,やっぱり手続きが必要だったので,書類の記入をして必要書類と一緒に送るよう依頼しました。

2011年10月1日

明日が四十九日の法要なので前日の今日,義母と義兄夫婦と妻とで遺産の話し合いをするために集まりました。

共済保険の名義変更のために3人の実印での捺印をして,相続者全員の印鑑証明書を添付しました。

義父の遺産一覧書(土地の評価額や預貯金など)を作成し,それをもとに相続者である3人で相談してもらいました。
最終的には,義母の希望を全面的に入れて,義兄の住んでいる土地の義父分の持分は義兄が相続し,義母が住んでいる土地・建物は義母が相続することになりました。
その他に,孫達と,妻と,義兄,義兄の配偶者,妻の配偶者(自分)に現金(数十万円)を贈与するということになりました。
義母の生活が第一だということと,義父の意思がどうだろうということを最優先して,なんの揉め事もなくすんなりと決まりました。

遺産分割協議書を作成して3人の実印を捺印しました。
相続に必要な添付書類(相続人全員の印鑑証明書や相続人全員の戸籍謄本,相続人全員の住民票,亡くなった人の住民票,亡くなった人の原戸籍,固定資産価格通知書)は,もう集めてあるので,あとは必要な書類を作成すれば名義変更の手続きができます。

相続関係説明図と登記申請書と委任状を作成しました。

2011年10月2日

今日は四十九日の法要がありました。
礼服を着ていきました。自分の家族が人数が多かったので2万円包みました。1人の場合は多分1万円包んでいるのだと思います。
午後から自宅で法要を行って,その後納骨して,マイクロバスの送迎で食事に行きました。納骨には石屋さんを頼まずに,自分達で蓋を開いて納骨室に納骨しました。骨壷を包んだ袋から骨壷を出して,骨壷だけ納骨しました。木製の位碑も一緒に納骨室に入れました。

お布施は5万円,御膳料2万円を包んだということでした。
食事後のお土産には通常のお土産の他に1万円の商品券を包んだようです。通常1万円の商品券を包むことは無いのですが,親戚の四十九日に行った時に1万円の商品券を包んで渡されたので,同様にしたようです。
四十九日の場合は葬儀の日から,それほどたっていないので,親戚の負担が続き申し訳ないということで商品券を別に包むという形をとったのだと思いますが,こういうのが一般化すると大変だと思いました。

2011年10月13日

今日、義父の土地を義母が相続することによる土地の名義変更の手続きに新神田の合同庁舎にある金沢地方法務局金沢へ行ってきました。
書類は
相続関係図       
登記申請書
相続人全員(相続するしないに関係なく相続の権利を持つ人全員)の戸籍謄本 
相続人全員(相続するしないに関係なく相続の権利を持つ人全員)の住民票    
相続人全員(相続するしないに関係なく相続の権利を持つ人全員)の印鑑証明書 
故人(被相続人)の原戸籍全部
遺産分割協議書
土地資産価格通知書
登記事項要約書
故人(被相続人)の住民票 
です。
返して貰える書類は全部返してほしいということで,相続人全員(相続するしないに関係なく相続の権利を持つ人全員)の印鑑証明書と遺産分割協議書,故人(被相続人)の住民票はコピーも提出しました。
 
書類に不備は無く、すんなり一発で受理されたのですが、登記免許税を持っていくのを忘れていました。それなりに高額で、財布の中のお金では到底及ばなかったので,合同庁舎内にあったATMで出金して手続きを完了しました。
書類について、返却してもらえるものは全て返却してもらうように頼んだので、印鑑証明書、遺産分割協議書などはコピーを添付しなければいけませんでした。コピーは近くのコンビニでしてきました。
登記は1週間で完了するそうです。
新神田の合同庁舎にある金沢地方法務局金沢の職員さんは親切でした。金沢西出張所の不親切さとは対照的でした。

2011年10月19日

今日,名義変更が完了しました。

相続人全員(相続するしないに関係なく相続の権利を持つ人全員)の戸籍謄本 
相続人全員(相続するしないに関係なく相続の権利を持つ人全員)の住民票    
相続人全員(相続するしないに関係なく相続の権利を持つ人全員)の印鑑証明書 
故人(被相続人)の原戸籍全部
遺産分割協議書
故人(被相続人)の住民票
が返却されました。
登録変更通知には新たな名義人の名前が掲載されていないので,名義が変更になっている土地・建物の登記簿も出してもらいました。
1枚700円で土地が2つに分かれていたので2枚と建物が1枚で合計3枚で2100円でした

2011年10月20日

返却された書類に,義兄が相続した土地の名義変更に必要な書類を添えて,義兄に送りました。
ついでに義母が相続した土地建物の登記簿のコピーも同封しました。
これで義兄の土地の名義変更もできるはずです。
一連のお手伝いが全て完了しました。

2011年10月21日

義母が、東本願寺に分骨することを希望していたので、調べてみました。
東本願寺の分骨には、東本願寺の真宗本廟収骨と大谷祖廟の2種類あるようで、一般的には大谷祖廟への分骨を指すようです。
大谷祖廟への分骨については、当日の読経が親族だけで行われる場合と、申し込みした人と一緒に読経が行われる場合で志納額が違いますし、納骨後の永代経を毎月するとか、年1回するとか、永代経はしないということで志納額が違ってきます。最低が2万円以上で最高は15万円以上になっています。
大谷祖廟への分骨の受付は8時45分から11時45分と午後0時45分から午後3時45分までで,受付されてから随時読経が行われ,1時間から1時間30分の時間がかかるということでした。
地元のお寺を通じて申し込みをするのが基本のようです。

2011年10月31日

義兄から土地の名義変更が完了したとの連絡がありました。

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