お墓、葬式、戒名は本当に必要か/ひろさちや著 を読んでみました。
現在における冠婚葬祭といった習慣は一種の流行で、定着したのは戦後になってからだそうです。
2014年の調査によると、関東地方では22.3%が火葬場での直葬になっているそうです。
平安時代末期から鎌倉時代の法然や親鸞は、「南無阿弥陀仏」と称えるだけで、誰もが極楽世界にできると教えています。ちなみに親鸞は自分が死んだら賀茂川に流して魚の餌とせよと遺言しているそうです。
つまり仏教においてはお葬式ははしなくてもよく、それが仏教の教えなんだそうです。
仏教においては、元々、葬式という概念は無く、神道においての行事だったのだそうです。神道について、葬式は死者の霊魂をホトケにするためのものだったそうです。
33回忌、50回忌という概念も神道のもので、この世に対する執念をもった霊魂は荒御霊(ホトケ)であり、荒御霊に鎮魂儀礼を施すことにより、落ち着いた柔和な和御霊(カミ)になるそうですが、荒御霊が和御霊になるためには33年から50年かかるといところから来ているそうです。つまり仏教とはなんの関係も無いそうです。
四十九日は、インドにおいて、輪廻転生の考え方から、死者は四十九日で再生するので死者への追悼を四十九日で打ち切るという風習から、神道が影響を受けて四十九日が特別な日になったそうです。そういう訳で、インドにおいては四十九日が過ぎると、死者への追悼はしないそうです。
3回忌は儒教では父母のために子は3年間(足掛け3年なので25ヶ月)喪に服さねばならないとされるところからきているそうです。
お盆も神道の行事で、1960年ごろまでは浄土真宗においてはお盆の行事は行わなかったそうです。
ちなみに、お盆に帰ってくるのはカミになっていないホトケの段階での霊だけだそうです。
火葬が普及したのは1980年代以降 火葬は元々インド人がやっていたもので、焼け残った骨すべてをガンジス河に流していて、火葬をして骨を墓に埋葬するのは日本だけの特異な葬法ということです。
墓は、死体を埋葬したあと、そこに大きな石を重しとして置いて、死体が墓穴から出てこないようにしたものが起源だそうです。
現在のように、仏教が葬式仏教になってしまったのは、キリシタン対策のために江戸時代に導入された寺請制度(檀家制度)の影響だということです。寺請制度(檀家制度)によって、檀家のお布施が義務になって、信仰の布教が必要なくなり、菩提寺を粗末に扱っていると宗門人別改帳に請印捺さないと圧力をかけたりすることになったりしたそうです。しまいには、仏教寺院が「御条目宗門檀那請合之掟」を偽作して、寺の行寺に参加すること、寺の雑役・修理・建立をつとめること、葬式には檀那寺の差図を受けること、死者に剃刀を与え、戒名をつける際は、住持が死相をよく見届けた上で引導を渡すこと、中陰・年忌・命日あるいは先祖供養を怠らないことなどの「掟」を細々と規定して、お寺の収入を増やしていったそうです。
もともと江戸時代以前の庶民は、年忌法要はやっていなかったそうです。このようにして、年忌法要は江戸時代に寺院が金儲けのために始まったそうです。
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