金沢の葬儀事情

父親が亡くなった事から、金沢の葬儀の事情に興味を持って情報を集めました

四十九日の法要

2007年1月20日

2007年1月15日に父親が亡くなり、2007年1月15日に新聞におくやみの欄への掲載や死亡広告が出たのですが、すでに墓石や四十九日の法要の料理などのダイレクトメールがいっぱい届きました。あまり気持ちの良いものではありません。

四十九日は葬式後に行われる法要の中では大きな行事です。
親戚の人が集まってお経をあげて、精進明けの食事をします。亡くなった父親の兄弟と、父親の配偶者である母親の兄弟、それと父親の子供の家族と、父親の子供の配偶者の実家あたりが対象です。
料理の場所の確保も必要なので、予約は早いほうが良いということで今日(父親が亡くなった5日後に)近所で美味しいと評判の料理屋に下見に行きました。法事の料理に対応できるということだったのですが、座敷が2階にあり階段が狭く急だったので断念しました。
親戚に足の具合が悪い人が多く四十九日の法要はバリアフリー対策が整った施設でないと対応できなく、お経自体も自宅ではできないということに気づきました。

2007年1月21日

今日は初七日の法要がありました。
葬儀社から、葬儀以外の月忌(毎月の命日)などのお布施は2000円で良いと聞いていたので、お布施は2000円包みました。

後ほど、いろいろの人に聞いたら、月忌などのお布施は3000円というのが多いようです。
四十九日や一周忌など大きな法要のお布施の金額は、それなりに高額になります。

2007年1月25日

四十九日の場所をいろいろ検討したのですが、親戚に足の不自由な方が多いので自宅での法要はできません。それで仏壇があって、なおかつバリアフリーの会場で判りやすい場所という選択になるので、対象が限られてしまいます。
葬儀をお願いした米永さんも四十九日などの法事を行う会場をもっているということだったので、場所が松任ということで少し遠かったのですがお願いしようかということになりました。米永さんにお願いすれば、引き出物の心配もいらないし、全部取り仕切っていただけるので安心かなと思ったんです。
松任と言っても国道8号線で場所が判りやすいし、金沢に近い位置にあるんです。昔、サントスというレストランがあった場所です。
そういう訳で、米永さんに、相談したいので1度寄って欲しいと連絡しました。

他に会場の申し込みがあると具合悪いということで、とりあえず会場をおさえておいていただけるということになりました。

米永さんは葬儀だけではなく、仏壇(こっちが本職?)や墓、法事もやっています。そういう事業もやっていますとは言いますが、営業がそんなに強引ではなく、こちらのほうから相談すれば親身に相談にのってくれるという感じで、とても好感が持てます。

2007年1月29日

今日、米永さんと四十九日の会場の打ち合わせをしました。

仏壇の確認をしたら仏壇が2階にあるということで、それでは都合が悪いと言うと、その日は仏壇を1階に降ろしておいてくださるということになりました。

足の不自由な親戚が多いので食事はテーブルでしていただくことにしました。
また、同じ理由で、法要の時には座椅子をあるだけ用意していただくように頼みました。

一応、11:30から四十九日の法要をする予定にして、最終的な時間は僧侶の予定を聞いてからということにしました。

僧侶が食事の時に列席されるかとか、親戚の出席者数がはっきりわからなかったので、正式な人数は直前でも良いということでした。

四十九日の法要には骨壷と、遺影(故人の写真)と白木の位牌を持参するのだそうです。

四十九日の服装は礼服です。

四十九日の日に墓ができていれば納骨も一緒の日にする場合も多いそうです。

法事の料理の料金はどこでも結構が高いです。料理は7000円、お土産の籠3000円、お土産の豆のおこわ1000円のをお願いしました。

米永さんに聞いたら、僧侶が食事の時に列席さえれない場合は布施とは別に御膳料として5000から10000円を包むそうです。
四十九日のお布施は30000円だということです。

2007年2月4日

午前中に、三七日の法要がありましたが、主要な法要以外はお手つぎのお寺の住職以外のお坊さんがおいでているので、お寺の住職に電話で四十九日の予定をお伺いしました。

法要の時間と住職が食事にもおいでいただけるのかの確認です。
法要は11:00からで食事の席にもつくけど、当日は他に法事があるので途中で退席されるということでした。
墓が出来てないので、納骨はできないのですが、分骨の小さい骨壷はどうするのかも聞きましたが、墓ができていないので、四九日に分骨しないで、また別の日に分骨するということでした。

四十九日の時間が決まったので、親戚に時間を電話連絡をしました。

一応、出席できるかどうかの確認もしました。当初出席予定の人で、出席できなくなった人もおいでました。参列する人のほうも、いろいろ考えると思いますが、執り行う側としても、参列をお願いしてよいものか、お願いしないほうが良いのか、どのあたりの関係の親戚まで呼ぶのかとかいろいろ考えて大変なんです。なかには遠慮して出席を控えたいと言う親戚もおいでるんで、そういう場合は無理強いもできないです。

とにかく僧侶も含めた最終的な人数を米永さんに連絡しました。
仏壇を1階におろしていただく件も、間違いの無いよう確認しました。

2007年2月23日

四十九日が近づいてきたので、出欠の確認と、場所の確認の電話をしました。

お坊さんに四十九日に行われる事の確認もしました。
お寺さんに預ける小さいほうの骨壷は、四十九日とは別の日(四十九日以降)に納骨の日を設定して納めるということでした。お坊さんも四十九日の法要の後の食事にも出ていただけるということでした。

だいたいの人数も決まったし、席順と、食事の数とお土産の数を決めて米永さんに連絡しないといけないです。

2007年3月4日

四十九日は故人の霊が来世でどこに行くかが決まる日ということで重要な日だそうです。四十九日の当日行うのが良いようです。当日行えない場合は、どうすればよいのか、いろんな人に聞くと早めにするのが良いという意見が多かったのですが、お坊さんはできるだけ当日にして下さい、どうしても無理ということでしたら、四十九日の週末にして下さいということでした。四十九日だけは早めに行うと良くないそうです。

四十九日は家族や親族が集まり法要を営み、忌明け(きあけ)の会食を開きます。
四十九日は、喪に服していた遺族が日常生活にもどる日で、忌中の張り紙を外します。
四十九日までは結婚式の出席や神社への参拝はいけないようです。

親戚に、足の不自由な方が多かったので、自宅での法要はやめにして、法要も食事も米永の会館を利用することにしました。仏壇でのお参りや法要、食事も全部1階でできるようにしていただきました。

結構早くから、親戚の方がおいでていたのですが、ぎりぎりの時間においでる親戚もおられて、僧侶を待たせることになりやしないかと気をもみました。当日、人数の変更(増えた)が必要になって、焦ったのですが、米永さんはなんとか対応して下さって助かりました。当日は大人は、皆さん礼服でした。

米永の会館は国道8号線のレストラン「サントス」を利用して改装した会館で、美しい庭にはびっくりしました。僧侶の控え室から見える庭の景色は見事です。米永の会館には、ほかにもう1つ庭があるそうです。

親戚の何人かは、お供えするお菓子を持参されました。
親戚の方が、1人当たり10000から15000円程度を包んでこられました。そういう風習も知らなかったのでびっくりもしましたし、親戚に負担をかけて申し訳ないと恐縮もしました。親戚づきあいも大変だなと思ってしまいました。

庭の見えるロビーで、いろんなことを話しながら僧侶のおいでになるのを待ちました。家から持参したお菓子を出したりもしました。お茶とかは会館で出してくれました。

白木の位牌は仮のものなので、四十九日の法要までに本位牌を準備しないといけないのですが、院号法名の札(紙)ををまだ受け取ってなかったので祭壇に飾ってあった白木の位牌を持っていきました。でもお坊さんが、そうされるくらいですから、それでも問題ないのだと思います。遺影の写真と骨壷も持って行きました。

僧侶がおいでになったのでお迎えに玄関に出ました。
僧侶より、骨壷を僧侶控え室に持ってくるように言われて持っていきました。
お布施をいつ渡せば良いのかわからなかったので、僧侶控え室に入ってからすぐに渡しました。30000円を包みました。
骨壷を袋から取り出して、骨壷に院号法名を記入なさいました。記入の後、骨壷の袋に戻すよう言われましたが、これが結構難しくて、危なっかしかったので、結局、お坊さんが戻してくださいました。
院号法名の札が届いたということで、受け取りました。院号法名料の領収書も渡されました。
院号法名の札は掛け軸にして本位牌として仏壇の中に仏様に向かって右側に掛けておくのだそうです。

僧侶の準備が整い、会館の座敷で法要が始まりました。足の不自由な方が多いと伝えてあったので座椅子を4台用意していただきました。線香やろうそくの火も、会館の人がタイミング良くつけて下さいました。

お経や焼香が終わって、食事の時間になりました。
最初に喪主があいさつして食事になります。懐石風料理なので、料理は少しずつ出されます。葬儀社が経営する会館なので、食事についてはそんなに期待してなかったのですが、どの料理も珍しい食材を使ったりして凝った料理でした。味も申し分なく美味しかったです。四十九日に列席していただいた親戚の方々も美味しい美味しいと言ってくださり、誰も残さずに食べていただけました。本当に満足でした。四十九日は精進料理ではありません。

食事もだいたい終わって、お互いが様子を伺いながら、ざわざわしだし、会館の人も、もうそろそろみたいですねっていうことだったので、最後の挨拶をしようと思ったのですが、席を外している人がなかなか戻ってこなかったので挨拶ができませんでした。
そうこうしてると、やっと全員が揃ったので、お礼の挨拶をしてお開きとなりました。

お供えに、いただいたお菓子も配ってお土産と一緒に持ち帰っていただきました。

2007年3月8日

今日、四十九日の請求書が届きました。
料理代の他に室料とサービス料がかかってました。

総額25万円くらいでした。お布施とかいろいろ含めると30万円くらいかかりました。

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2011年10月2日

今日は義理の父親の四十九日の法要がありました。
礼服を着ていきました。自分の家族が人数が多かったので2万円包みました。1人の場合は多分1万円包んでいるのだと思います。
午後から自宅で法要を行って,その後納骨して,マイクロバスの送迎で食事に行きました。納骨には石屋さんを頼まずに,自分達で蓋を開いて納骨室に納骨しました。骨壷を包んだ袋から骨壷を出して,骨壷だけ納骨しました。木製の位碑も一緒に納骨室に入れました。

お布施は5万円,御膳料2万円を包んだということでした。
食事後のお土産には通常のお土産の他に1万円の商品券を包んだようです。通常1万円の商品券を包むことは無いのですが,親戚の四十九日に行った時に1万円の商品券を包んで渡されたので,同様にしたようです。
四十九日の場合は葬儀の日から,それほどたっていないので,親戚の負担が続き申し訳ないということで商品券を別に包むという形をとったのだと思いますが,こういうのが一般化すると大変だと思いました。
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2018年8月18日

2018年6月29に義理の母(妻の母親)が亡くなられたのですが、今日、49日の法要と納骨を一緒にしました。

実家が無くなっていて、自宅から墓地まで遠いので、49日の法要はお寺でしました。

法要が終わってから、全員で墓地で納骨をしました。

納骨が終わってから、全員で食事をしました。。

駐車場の問題や、移動の交通機関を考えると、幼児の場所の選択の幅はかなり限られます。

結局、法事の食事とお土産は葬儀をした米永さんに頼むことにしたのです。

葬儀の時の食事も美味しかったし、送迎もしてくれるということがポイントです。

お寺から墓地、墓地から食事の場所(にし料理茶屋)、食事の場所からお寺まで、送迎は全部面倒を見てくれました。
送迎については、別途費用を請求されませんでした。
納骨の花も米永さんで用意してくれ、請求もありませんでした。

食事も美味しかったし、米永さんに頼んで良かったです。

納骨の日は、酷暑の年にもかかわらず、気温は低めで日も当たらず雨も降らずで助かりました。
骨壺を墓に入れる作業は自分達でしました。
納骨の際には、埋葬許可証が必要だと聞いていましたが、墓地が町営で管理者もいないこともあって、誰にも提出を求められませんでした。
おかしいなあ?

僧侶には、49日の法要のお布施2万円、会場費1万円、納骨のお布施1万円、食事代1万円を含めて5万円を支払いました。
49日の法要には、ほぼ皆さん礼服を着ていました。夏にも関わらず、上着を着用していました。
参列者は、黄色と白色の水引のついた佛前ののし袋にお金を入れて、菓子折りを添えて持参されていました。
葬式も終わって、それほどたっていないのに、49日の法要に、参列者に負担をいただくのは本当に申し訳ないなあと思いました。

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