金沢の葬儀事情

父親が亡くなった事から、金沢の葬儀の事情に興味を持って情報を集めました

通夜と告別式に関わって

2007年1月15日

夕方お風呂が沸いたということで父親が事務所で「もう上がるよ」って声をかけてお風呂のある2回に上がっていった。
父親がお風呂から上がると夕食なので、そろそろかなと思い事務所を閉めて茶の間に上がりました。
食事の用意ができてたんだけど、父親がまだお風呂からあがってこなくて、最近父親のお風呂が長いねって話をしながら待っていました。
しばらく、そのまま待ってたんだけど、あまりにも遅いので母親が見にいきました。突然大声が聞こえて、あわてて行ったら尋常な様子ではなくて、とりあえず父親をお風呂の湯船から出して、人工呼吸をしながら、父親の体を拭いて毛布をかけて息子に救急車を呼ぶように指示しました。父親を見ると無表情で動かなくて、とても生きてるようには見えなかったので脈を診ると頻脈があったので、まだ生きてると思い、息子と2人で人工呼吸を続けて救急車の来るのを待ちました。
ほどなく救急車がきて人工呼吸や除細動器などの処置をしてたんだけど、心停止状況だと言われました。それでも人工呼吸を続けて状況を聞かれたりしたんですが、母親の説明してるのを聞いて初めて父親が浴槽に沈んでいたことを知りました。
病院に運ぶということで1人同行してほしいと言われ俊が救急車に同行しました。
娘が学校から帰宅してなくて携帯電話でも連絡がつかず妻は所用で県外から戻る途中で連絡がつかないので母親は息子と一緒に娘が帰宅するまで自宅で待機することにしました。
救急車の中では人工呼吸が続けられお腹の水の吸引をしたんだけど、そんなに水を飲み込んでなかったようで、少量の水しか吸引できませんでした。
病院の救急部に運ばれて待合室で待機するようにということでした。とりあえず弟にすぐに病院に来るように連絡しました。

看護婦さんから、身内の者を呼んでおいたほうが良いとのことでしたので、自宅に連絡し母親に病院に来るように連絡しました。娘がまだ帰宅してなく連絡もつかなかったので、1人でタクシーで病院に来ることになりました。

救急部の看護士に呼ばれて中に入ると父は人工呼吸器がつけられていて、脈は回復したけど、体が回復する見込みは無いと言われました。モニターの心臓の波形は人工的な波形で、呼吸も人工呼吸での波形で自発的な呼吸ではなく血圧が下がってきているとのことでした。

血圧が下がって、医師から延命治療はどうするか聞かれたので、母親と弟が来るまでは息があって欲しいけど、不自然な延命処置は希望していないと答えました。

母親が病院に来たので今までの詳しい状況を説明しました。
母親が父方の親戚に連絡をとりました。

かなりしてから弟が来て、母親と弟と相談して、最終的に延命処置をしないことに決めました。

しばらくして、親戚のおばさんが来ました。

娘が帰宅したということなので、弟が息子と娘を迎えに行ってくれました。

父が亡くなった原因がはっきりしないということで、頭部のCT検査をしました。

CT検査の時に、弟が息子と娘を連れてきました。

その後集中治療室に運ばれました。

ほどなく父は意識が回復することなく家族に看取られて亡くなりました。

2007年1月16日

看護婦さんから、葬儀屋をどうするか相談されました。
病院の病室ごとに契約した葬儀屋さん(一休さんの米永)が決まっているけど、遺族の方でどこの葬儀屋を使うか希望があれば別にこだわらないとのことでした。
ただ病室と契約した葬儀屋以外の葬儀屋を使う場合は自分で連絡する必要があるということでした。
ちなみに父が亡くなった県立中央病院では各病室ごとに定期的に順番に葬儀社が入れ替わって公平を保っているそうです。

父親の死が急死で原因がはっきりしないということなので警察の検証が必要という事で警察の検死が行われました。死亡した浴槽の検証も必要ということで母親と警察が先に自宅に帰ることになりました。警察の事情聴取は結構時間が長かったようです。

警察の検死が終わって病院で父親の遺体をきれいにしてもらい裸で運ばれたので病院の浴衣を着せてもらいました。看護婦さんという仕事は本当に大変な仕事です。ちなみに亡くなった人の体を綺麗にしたり、つめものをしてくれたり最後のお世話をする役目をエンゼルというそうです。

病室と契約した葬儀屋は自宅から一番近い葬儀屋ではなかったのでどうしようか、かなり迷いました。
葬儀屋は、あくまでも病院から自宅に遺体を運ぶだけの請負で必ずしもその葬儀屋の式場を使わなくてはいけないという訳ではないようでしたが、やっぱり遺体を運んでいただいた葬儀屋に葬式を任せたいと思ったのです。米永さんはリーズナブルに葬儀をしてくれるというのは聞いていましたが、米永さんの葬儀場の場所も知らなかったし場所だけいえば金沢駅近くの葬儀社のほうが交通の便が良いと思っていたので、すぐには決めることが出来ませんでした。

母親が母方の親戚に連絡してから再び病院に戻ってきました。

父方の親戚が全員、病院に揃いました。

弟が自宅で遺体を迎える準備のため息子と娘を自宅に連れて行きました。

親戚と母親で相談して、最終的には、葬儀屋を病室と契約した米永さんに頼むことにしました。
病院から連絡をとってもらいました。

ほどなく米永さん(葬儀屋)が病院に到着しました。葬儀屋から宗派の確認がありました。一応、浄土真宗の東ですと答えました。
葬儀屋は絹っぽい化繊の布団をかぶせてくれて遺体をストレッチャーで車へ運びました。俊は救急車で病院に来たので葬儀屋の自動車に乗って遺体と一緒に自宅へ帰りました。

自宅について、葬儀屋が葬儀はどこでされますかと聞かれたので葬儀もお願いしますと答えました。

葬儀屋は遺体を3階の座敷まで運んでくださり、その後南無阿弥陀仏の掛け軸も持ってきてくださり、人形のケースに大きい紙を貼り人形を隠し、布団の配置をしてくれました。絹のような化繊の白装束を着せられ、ドライアイスで冷やされました。祭壇の組み立てをして、ろうそくと線香の用意もしてくださり、焼香しました。

親戚が続々と集まり、今後どういうふうにするかを相談しました。

父親の実家のお世話で、僧侶の手配をしていただきました。僧侶は夜中にもかかわらず、おいでになってくださることになりました。

葬儀屋から布団の処分をどうするかと、受付を誰に頼むかなどを考えておいてくださいと言われました。
葬儀屋から葬式の祭壇のクラス(料金など)、参列者の予定人数と葬儀の部屋の大きさ(100人、200人、それ以上)、花の種類などの相談がありました。
また棺おけに入れる故人の思い入れのある品を選んでおくよう、また、おくやみの言葉を考えておくように言われました。祭壇に飾る写真も選んでおくように言われました。病院で渡された死亡証明書を葬儀屋へ渡しました。
それから親戚名簿を渡され、親戚の通夜・葬式・火葬場・中陰の食事での出欠の記入の依頼をされました。会場の大きさとかは、何人の人が参列されるか想像もつかないので、途方にくれましたが、まずは親戚の人がどれくらい参列されるかという事から数えていかないと前に進まないという感じみたいです。

しばらくたって僧侶がおいでになり、葬儀屋の布団の位置が間違っていたので直して、お経をあげてくださり焼香しました。

親戚の方に通夜・葬式・火葬場・中陰の食事での出欠の記入をお願いしました。

とりあえず、当日は親戚は帰宅しました。

亡くなったのが夜なので翌日に通夜は無理ということで、お日柄も考えて通夜は亡くなった2日後の17日にすることになりました。

親戚が帰ってから、祭壇に飾る父の写真を選びました。写真を選んでいると父親が元気なころの事が思い出されて初めて悲しみを感じました。父が亡くなったのは、あまりにも突然で次から次へと決めなければいけないことがあって全く気持ちの余裕が無かったんです。

父親はあまり写真を撮られることが好きでは無かったようで、最近撮った父親の写真が少なくてなかなか良い写真が見つかりませんでした。親戚の結婚式での写真で良い顔の写真があったんだけど、顔が小さくしか写ってないしネクタイも白だし無理だろうと思っていたんですが、写真はくっきりと写っていれば、小さくても大丈夫なんだそうです。背景はコンピューターで消しますし、ネクタイの色も修正できるので、おめでたい席での写真でも対応できるということでした。おかげで良い表情の写真を使えることになりました。

ちなみに写真代は葬儀の基本料に含まれています。

父親が亡くなった日、母親は一睡もしないで父親を見守っていたようです。

俊は、疲れてしまっていて、ぐっすり眠りました。

翌朝、普通に会社の事務所をあけて、まずは、仕事上の関係が深い会社に社長である父親が亡くなったことを、通夜と葬式の予定も含めてFAXで連絡しました。

町会の会長にも父親が亡くなった事を連絡し、通夜と葬式の予定を伝えました。

急ぎの仕事も済ませました。

父親が亡くなった翌朝、親戚からの助言もあって、朝一番に銀行と郵便局の父親の預貯金をおろしに行きました。最初に銀行に行って普通貯金のほぼ全額をおろしました。父親の実印と通帳と保険証と自分の印鑑と身分証明書を用意していきました。

郵便局は定額貯金、定期貯金の全額と普通貯金のほとんどをおろしました。最近法律が変わって、キャッシュカードで1日におろせる金額の上限が決まってしまったので、窓口で特別な手続きが必要でした。

郵便局は結構甘いので、本人が亡くなっても、すぐには口座をロックされることは無いんですが、銀行の場合は、本人が亡くなったのを感知するのが早く、すぐに口座をロックされるので、葬儀にかかる費用を故人の口座のお金で賄う場合は、いち早く口座のお金をおろしておかなければ、葬儀に使うお金を工面できないということになりかねません。

父親が亡くなった夜に、親戚といろいろ相談してたのですが、親戚に仏壇屋さんの知り合いがいて、製造元で誠実な人なので、安くて良い仏壇を世話してくれるということなので、来てもらうように頼んであったのですが、翌朝に来てて、俊が銀行や郵便局に行っている間に買う事に決まってました。その時には、仏壇屋さんを紹介してくださった親戚の人も来てくれてました。
最初200万円ということのようでしたが母親が仏壇には150万円しか予定していないと言ったようで、結局150万円で納めていただけるようになりました。

仏壇は当日中に届きました。俊には仏壇の良し悪しは分からないのですが、葬儀屋も含めてみんなが、りっぱな仏壇だと驚いていたので、りっぱな仏壇なのだと思います。
それを仏壇屋さんに言ったら、興奮して、「そうでしょう、これは横安江町のお店だと500万円で売っているくらいの、りっぱな仏壇なんです」と胸をはって言ってました。なんでも、この仏壇はお店を開店するときに飾るため誠心誠意つっくったもので、どこに出しても恥ずかしくない仏壇やと言ってました。

仏壇が届いたので、さっそく僧侶に連絡して仏壇の仏入れをお願いしました。僧侶から花と赤い蝋燭を用意するように言われました。赤い和蝋燭(白い和蝋燭も)は仏壇屋さんが用意してくださっていたので、花屋さんに行って仏壇用の花を買ってきました。

祭壇には普通の蝋燭を使いますが、仏壇には和蝋燭しか使わないようです。

飯椀に盛るご飯ですが、お銚子などを使って山盛りでしっかりぎゅうぎゅう詰めにして盛ります。

僧侶が来て仏壇を見て、配置がちょっと違っていたので、並び替えてくださり、花も普通の仏壇の花ではなく樒(シキミ)か、青木の枝(榊でも可)のことだったようで祭壇に飾ってあった樒(シキミ)を半分仏壇にお供えしました。樒(シキミ)は毒性のある植物で劇薬に指定されているそうです。
仏壇に上卓が不足してると僧侶から指摘がありました。
上卓って何であるか全然わからず、仏壇屋さんに聞いてもわからなかったので、後日再び僧侶に聞いたのですが、飯椀を乗せる小さい卓のことでした。後日仏壇屋さんが無料でくださいました。

結局、仮通夜と仏壇の仏入れが一緒になったのですが、当然のことながら、仏入れは葬儀のお布施とは別ということで、仏壇の仏入れのお布施2万円を包みました。.

葬儀社がお昼に来て、打ち合わせにきました。最初に決めるのは、会場の大きさと、葬儀の祭壇や花をどの程度のものをするかです。前日はどれくらいの人が参列されるのか検討もつかなかったのですが、親戚の人の人数を調べてみただけで、そこそこの人数が参列することがわかり、100人の会場では狭いということで200人の会場にしました。米永の葬儀場は1日に1組しか葬儀を行わないので、1つの大きな会場を仕切って小さな会場にしたり大きな会場にしたりするようです。そういう訳で中くらいの200人の会場にすることにしました。米永の葬儀場の場合は会場の大きさによって、そんなに料金が違うということでも無いようです。
親戚と相談して、祭壇はそんなにりっぱなものにする必要はないけど、花は多少りっぱにしたほが見栄えが良いということなので、祭壇は最低クラスの80万円のものにしました。
米永さんの場合は会員制(入会金1000円で会費無料)をとっていて俊は会員になっていなかったのですが、最初から会員価格でさせていただきますということでした。ちなみに80万円の祭壇というのは会員価格で一般価格は130万円ということでした。

米永さんの場合は祭壇の料金80万円というのは葬祭の基本料ということで祭壇の貸出料の他に霊柩車、寝台車、棺おけ、額入り写真(標準は白黒だけどカラーにしてくれた)、枕飾り、後飾り。ドライアイス(1回分)、高級仏衣、祭壇盛物、御供え蝋燭、檀花、お別れ花、消耗品セット、司会(通夜・葬儀)、式場看板、案内立て看板、役所手続き代行、式場奉仕係、駐車場係、町会の送迎バスが含まれます。

会館使用料は別途かかり会員価格15万円(一般価格25万円)です。

祭壇生花は30万円のをお願いしました。30万円の生花はクラスとしてはそんなに高いクラスではないんですが、米永さんが30万円のでも結構りっぱだというのでそのようにお願いしました。花は白色と黄色だけの花にするか、華やかな色の花も混ぜるか聞かれたのですが、華やかな色の花を使うことも多いというので、華やかな色の花をお願いしました。

通夜や告別式の僧侶は3人で勤めていただくことにしました。金沢では3人が一般的ということのようです。

火葬場へのバス往復の料金は別途47250円かかります。

追加のドライアイス料も別途5000円程度かかる場合もあります。

葬儀のほとんどの費用は、後ほど葬儀社から請求書がきてから支払いするのですが、斎場の費用は先に葬儀社に支払わないといけません。斎場の費用は地域によって料金が違いますが、金沢の場合は、火葬炉使用許可申請書5000円、斎場待合室使用許可申請料5000円、霊柩車運転手寸志5000円、寝台車運転手寸志、バス運転手寸志3000円(タクシーを使う場合はタクシー運転手寸志2000円、納棺係寸志10000円、布団を処分する場合は布団処分料5000円の合計33000円を葬儀社に預けました。
その他に、斎場で骨壷の料金10000円程度、斎場のロビーでの飲み物代は、火葬の際に自分で支払わなければいけません。

死亡広告を北国新聞に掲載するということで葬儀屋さんが各新聞社と広告会社に連絡をとりました。

当日のうちに北国新聞の死亡広告担当の広告会社がきました。
死亡広告は行数によって料金が決まるということでした。
文章と掲載する名前を決めたのですが、俊と弟と会社名だけを掲載することにしました。一般的には親戚一同というので1行入れることが多いということでしたが、親戚一同の掲載をしなくても苦情言う親戚はいないだろうし、親戚一同を入れることによって何かを伝えられるものがあるとは思えないので、無理言って省いてもらいました。

最近、会葬御礼の広告を目にするけど、新聞社の儲けになるだけで、あまり意味があるとも思えないので、掲載を依頼されたら断ろうと思っていたのですが、それについて何も言われなかったので断る手間が省けたとホッとしました。
ちなみに北国新聞の死亡広告は高さ6cm(12段)で約38万円でした。死亡広告が高いのは聞いていましたが、あまりにも高額です。

死亡広告って一般の人は見ない人がほとんどです。死亡広告を見る人は、おくやみの欄も見るので、仕事関係で営業を休まないといけない場合以外は出すだけの効果は少ないです。仕事関係で営業を休まないといけない場合でも、死亡広告を見る人が少なくて効果は少ないけど、一応出しておいたという気休めにしかなりません。

仮通夜は、平服で行います。もちろん仮通夜の日の食事は精進料理です。寿司屋に魚無しの寿司を頼み、お菓子とおつまみを用意しました。

仮通夜にも親戚が大勢きてくださり、いろんな事を相談しました。

中陰の食事まで残ってくださる人の確認し、親戚が出してくださる生花の籠、お菓子の籠、果物の籠の数を確認しました。ちなみに果物の籠盛りは10500円、菓子の籠盛りも10500円、生花の籠は12600円でした。生花の籠はもっと大きな高いのもありましたが統一することにしました。

受付や会計をしてくれる人の分担も決めました。

お通夜と告別式の挨拶を誰がするかも相談しました。お通夜と告別式の挨拶を誰がするかはなかなか決まらず、結局、お通夜の挨拶は弟が、告別式の挨拶は俊がすることになりました。
中陰の挨拶は必ず喪主が行うのですが、通夜と告別式の挨拶は喪主でも良いし、その他の親族、親戚でも良いのです。

仮通夜には、もちろん僧侶のお経もあり全員での正信偈の唱和もしました。

巻き線香と蝋燭の火は常時つけておき、焼香の種火も絶やさない様にしておかなければいけません。

2007年1月17日

仮通夜から朝まで、母親が遺体につきそっていたのですが、やっぱり、ほとんど寝れなかったようです。俊は、ぐすり眠れました。

通夜の日の朝には、告別式の挨拶の言葉と中陰の言葉を考えました。通夜の挨拶、告別式の挨拶、中陰の挨拶については、葬儀屋さんから例文が渡されていたのですが、中陰の挨拶は例文通りで良いと思うけど、告別式の挨拶については通り一遍の挨拶で済ますのもどうかと思うので自分で文を考える事にしました。

朝から親戚の方が来てくださり、棺おけに入れるものを決めたりしました。父親が釣りが好きなので釣り道具を入れようと思ったのですが、釣り竿はカーボン製なので焼却ができないということで、いろいろ探して釣りの時にかぶる傘帽子と釣りの糸を入れることにしました。最近買ったカーディガンも入れました。父親はお酒が好きだったので、紙パックのお酒も入れました。

お通夜の祭壇には父親が浮きなので箱入りのお酒と釣り竿を飾ることにしました。

生花の籠と、菓子折りの籠と、果物の籠を誰のをどの位置に置くかを決めました。
中陰の食事のテーブルの座席について誰がどの位置に座るかも決めました。中陰の食事には僧侶も席に着きますので、忘れないようにしないといけません。

葬儀屋さんが午前中に来て、菓子籠、生花籠、果物籠の数を注文しました。
菓子籠より果物籠のほうが多かったのですが、果物は中陰の後に、中陰の出席者に配るくらいしか用途がなく4つくらいで良く、菓子籠は告別式に出席した参列者に配るので、菓子籠の数を増やして、果物籠の数を増やしました。また会社関係から生花籠が多く届いたので、親戚の生花籠の数を減らして菓子籠の数を増やしました。

葬儀屋さんから、金沢市の市役所に提出する葬祭費請求用紙を受け取りました。葬祭費請求用紙を提出すると金沢市から5万円の支給があるそうです。

通夜当日も出棺までは平服で良いです。

通夜当日も仕事の電話があり、急用は対応しました。

食事は、もちろん精進料理です。

自宅からの出棺予定は16:30ということでした。

父が亡くなった翌日である昨日、葬儀屋さんから新聞のお悔み欄に掲載するため各新聞社に連絡するから最終的な確認の電話があると言われました。
昨日、最初に北陸中日新聞社から電話がありました。丁寧な応対の電話でした。
それからしばらくして読売新聞社からも電話がありました。こちらも丁寧な応対の電話でした。
夜になって、北国新聞社から電話がありました。電話で、いきなり死亡広告は出していただけましたかと言われてびっくりしました。「申し込みしました」と言うと、ありがとうございましたと言って、最終的な確認になりました。夕刊に鎮魂歌というのがあるのですが、死亡広告を出していただいた人には掲載しますからということで、その文の内容についての打ち合わせもしました。
朝日新聞社からは今日になってやっと連絡がありました。朝日新聞社は葬儀社からの連絡ではなくて、市役所からの連絡だったのかもしれません。朝日新聞社の地方版は、お悔やみ欄に関わらず、他の新聞社より記事になるのは1日遅れになるようです。
北陸中日新聞と北国新聞と読売新聞のお悔やみの欄はお通夜の朝刊に掲載されました。
北国新聞の死亡広告もお通夜の朝刊に掲載されました。

中陰の挨拶は米永さんの例文通りにおこなうことにしました。

告別式の挨拶の内容は自分の気持ちを正直に伝えるものにしようと、いろいろ考えました。
精神状態が正常では無く、1行の言葉すら覚えることができないので、文書化して当日は文を読むことにしました。

告別式の挨拶文を考えていると父とのいろんなことが思い出され自然と涙が流れてきました。子供の頃にいろんなところに連れて行ってもらった時の楽しかった事や感謝の気持ち。父親という存在は息子にとっては、いつも尊敬できる存在でいて欲しいという気持ちがあって、年老いてから酒ばっかり飲んでいる父親を見てついイライラして冷たく接したことについての後悔の気持ちなど、次から次へといろんな気持ちが溢れてきました。

礼服に着替えて、出棺の時間を待ちます。自宅から葬儀場への出棺の予定は16:30だったんですが葬儀社の人が来たのは16:50でした。
棺おけやお供え物は全部、葬儀社の人が運んでくださいました。俊の家の座敷は3階なので結構大変なのです。

葬儀場へついて、葬儀社の式場担当の方から、僧侶さんへの挨拶や、焼香の仕方など、いろいろ説明を受けました。葬儀式場を見てみると仕事関係の花輪がいくつか飾られていました。後からお礼をしないといけないので写真を撮っておきました。

17:30から受付を始めました。18:00には最初の参列者がおいでになりました。
18:00から司会者との打ち合わせが始まりました。

18:30には葬儀式場に着席しなければいけないということですが、参列者が早めにおいでになりましたので早めに着席してました。

金沢のお通夜はお経が始まる前にお焼香を済ませ、遺族に挨拶を済ませておくのが通例なのです。

電報は控え室に届けられ、香典は金銭の管理者である叔父さんのところ(こちらも控え室)に届けられます。届けられた香典は香典記帳用紙に住所、氏名、金額を記入してもらいます。金銭の管理者は実際にある金額と香典記帳用紙の金額の合計が合っているか確認しないといけません。香典とかのお金は葬儀社で管理してくれるわけではなくて、自分たちで管理しなくてはいけません。お通夜の香典は控え室の金庫にいれて保管することになりました。

予定通り19:00からお通夜がはじまりました。僧侶の入場の祭には遺族は立ってお迎えしなくてはいけません。もちろんお辞儀が必要です。

お通夜でのお経について、仏説阿弥陀経と正信偈を唱えるのですが続けて唱える場合や、仏説阿弥陀経と正信偈の途中に僧侶の休憩をとって、その間に、焼香を済ませる場合があります。正信偈は参列者で唱和できる人は一緒に唱和してもらうのですが、正信偈の本を参列者にお預けする場合やそうでない場合があったり、まちまちです。

今回は、仏説阿弥陀経と正信偈を連続して唱えて、正信偈の時には正信偈の本を参列者にお預けして全員で唱和しました。

仏説阿弥陀経と正信偈が終わってから、焼香の終わってない人の焼香がありました。

お通夜が終わって、挨拶とかしてて落ち着くのは20:00過ぎになります。
香典の集計とか香典帳への記帳は、なかなか大変で夜遅くまでかかります。

お通夜が終わると棺おけは控え室に運ばれます。控え室には祭壇が用意されています。蝋燭や線香は火を絶やさないようにしなければいけません。

通夜の日には親戚の多くが控え室に一緒に泊まってくれました。

米永には15畳くらいの和室の控え室が3つあって、1日に1組しか葬儀をしないので全部の部屋を自由に使えます。お風呂もあるし、無料の飲み物自動販売機もあります。歯ブラシもタオルも用意されています。

葬儀式場に頼んでおいた夜食のお寿司とオードブルが用意されてました。お通夜の前には食事をする時間が無いので軽くしておいて、基本的には食事は通夜後になります。お寿司やオードブルはほとんど残ってしまいました。お葬式場の案内の人は遅くまで本当に親身にお世話をしてくださいました。お葬式場の案内の人はその式場専属というわけではなく、葬儀のある米永の各地の式場に、いろいろ周っているのです。毎日通う職場が違い朝早くから夜遅くまでお世話して大変な仕事です。子供は深夜保育のある保育所に預かってもらっているそうですが、式場と保育所の場所が離れている場合など大変みたいです。お寿司やオードブルがたくさん余ったので案内の方に持ち帰っていただきました。

親戚の生け花の費用は金銭の管理者である叔父さんが回収していただいたのですが、そのお金とか香典のお金は控え室の金庫に保管します。金庫といっても小さくて持ち運びできそうな大きさで、誰もいないところに放置しておくのは、ちょっと不用心です。葬儀の間には、葬儀式場で預かってもらうことにしました。

お通夜が終わってから、いろいろ決めないといけない事があります。香典帳の記入が終わってから、それをもとに焼香の順番を決めないといけません。名前と住所見てもどういう関係の人か判らない人もいたりしますが、親戚の多くが残っていたので、親戚の人に聞いて、参列者全員がどういう関係の人であるか確認できました。後々のため、どういう関係かわからないひとについては、どういう関係の人か記入しておくと良いです。

その他にも、電報の順番をどうするかとを決めないといけないです。特に政治家(議員)の電報の扱いをどうするかは、いろんな意見があって揉めます。俊は政治家(議員)の電報は無視したかったのですが、反対意見が多くて困りました。

2007年1月18日

夜中にも告別式の挨拶の文を修正してたりしたのですが、あちこち修正したら原稿がぐちゃくちゃになってきたので、自宅に帰って、パソコンで原稿をつくりなおすことにしました。

家に帰って自分の部屋に一人でパソコンに向かって原稿を考えていると、今までの緊張がぷっつり切れたようで、急に涙がでて止まらなくなりました。自分にこんなに涙があったのかと思うくらいです。永い間、涙なんて流すことが無かったので自分の事ながらびっくりしました。

そうこうして告別式の挨拶の文を修正し、プリントして葬儀式場へ戻りました。

結局、お通夜の夜は一睡もせずに朝を迎えました。
母親から今夜は兄弟で見守りなさいって言われえたので寝てはいけないのかなと思っていたのですが、そいういう意味では無かったようです。見守りなさいと言われて、ただ近くで起きていれば良いのかなと思っていたんですが、線香の種が消えかかっているのを気づかずにいて、親戚が見に来て火種を追加してもらったりして、なんのために起きていたのかって感じだったんですけど。

告別式の挨拶は以下のようなものにしました。
「本日はご多忙のところ故人のために御会葬くださいまして、誠にありがとうございました。

故人生前中は皆様より格別な御厚情、御愛顧をいただきまして誠にありがとうございます。

父は、負けん気が強くて仕事熱心な人だったという印象が強いのですが、思い返してみると、若いときはスキーが好きで、よくスキーに連れていってくれました。
その他にも、子供の頃、旅行や遊園地などいろんなところに連れて行ってくれた父でした。
また佐藤先生からアユ釣りを教えていただいてから、アユ釣りに行くのが楽しみになって
アユ釣りの季節には岐阜の宮川や富山の神通川、福井の九頭竜川によく出かけていました。
でも体力に自信が無くなりアユ釣りに行かなくなってから、急に気力が衰え元気でなくなりました。
ここ数年は朝に掃除をして日中には事務所の横の和室で寝ていて、夜にはひとりでお酒を飲んでいる事が多かったです。時々元気なさそうな表情を見せる事もあり、家族として、もっと優しく接してあげられれば良かったのにと思います。

15日月曜日の夕方、父はお風呂に入るため、いつものように、事務所で「あがるよ」って声をかけて
2階にあがり、母親には「はいるよ」って声をかけ、寝室で夫婦の布団を敷いてからお風呂に入りました。いつものように食事の準備をして父がお風呂から上がるのを待っていたのですが、なかなか上がってこないので母がお風呂場に見に行ったところ、父は浴槽のなかですでに心臓が止まっており意識のない状態でした。
救急車で病院に運ばれ一旦蘇生したものの、そのまま意識が戻らず、15日20時28分79歳で、永眠いたしました。
本日、かように盛大なお見送りを受けまして、故人もさぞ満足していることと存じます。
皆様方の故人に対する御厚意を重ねて御礼申し上げますと共に、残された遺族一同にも同様の御厚意を賜りますよう、ひとえにお願い申し上げます。
誠に「そじ」ではございますが、遺族感激の胸中を皆様に「ひれき」して、御礼の挨拶とさせて頂きます」

告別式は葬儀式場で親戚の方々と宿泊したので、葬儀社に朝食を用意してもらいました。
朝食を終えてから告別式までの時間は、することが多く大変です。

朝8:30から司会者との打ち合わせがありました。
前日から電報を預かっていたのですが、電報の名前を読み上げる順番を詳しく決めいなかったので、ちょっと焦りました。結局、政治家の電報の名前は読まないで無視するという俊の希望は受け入られなったのですが、仕事関係の電報の名前を先に読むという事と、政治家も実際に関係のある政治家から読み上げて国会議員の電報は後に読むという事で妥協しました。他の人の告別式で、政治家の電報は名前を読まなく、他の電報も一部だけしか読み上げないという例が結構あるのですが、今回は最初から全部読むのが当然という感じになっていたのが、ちょっと残念でした。
それから、焼香順の確認もありました。こちらのほうは前日に決めておいたので問題無かったのですが、電報と違って香典袋には読み仮名が書いてないので漢字の読み方がわからない人もあったりして、親戚に聞いて周ったりしてました。焼香順は基本となる順番は、お通夜の香典を記入した香典帳をもとに順番を決めるのですが、お通夜においでなくて、告別式においでる方もいますので、告別の受付で香典をいただいた人をどの順番に焼香してもらうか、その都度、司会者に指示しないといけません。その都度司会者は読み上げる台本に付箋をつけたりして読む順番をわかるようにします。
焼香の人を読み上げるのも、お通夜においでた人も、香典を預けて届けてもらった人も、全部名前を読み上げるのが当たり前というような感じで打ち合わせがあったのですが、他の人の告別式では、親戚は全員の名前を、そのほかの人は一部の方だけ読み上げて残りは座席順に焼香してもらう方式をとる例もあります。全員の名前を読み上げると途中参列していない人が続き間延びした感じになってしまうので、親戚以外は一部だけ名前を読み上げるほうが良いと思いました。

告別式には遺族は、早めに待機してないといけないのですが、お通夜と違い、告別式へは、そんなに早くおいでになる方はいません。

前日の通夜での香典は早めに葬儀式場の事務所で預かっていただきました。
当日の告別式の香典も、事務所で預かってもらいました。

告別式の30分前には僧侶がおいでますので、僧侶がおいでた時に会場の案内の方が呼びにこられます。葬儀社の方に案内されて、僧侶控え室に行き、3人分のお布施と院号法名料を僧侶に渡します。導師のお布施は15万円で、その他の僧侶にはその半額ずつだと葬儀社の方に聞いていたのですが前日に僧侶から導師に15万円から20万円、その他の僧侶には6万円ずつだということでしたので、導師に17万円、その他の僧侶に6万円ずつ包みました。
この時のお布施は、亡くなってから最初のお経である枕経から仮通夜、通夜、告別式、斎場での法要、告別式の日に行われる中陰の法要までのお布施です。
院号法名料は8万円と僧侶から聞いていたので8万円を包みました。法名料は通常の法名の場合は3万円、院号法名の場合は8万円のようです。
院号法名は白木の位牌に名前を書いてもらって祭壇に飾ります。
浄土真宗の場合は後日に、院号法名を書いた札(紙)をいただけるのですが、その札を掛け軸に装飾して仏壇に掛けておきます。浄土真宗ではその掛け軸(院号法名軸)が位牌となります。

告別式は10:00からはじまりました。親戚以外でお通夜と告別式の両方に列席される方は少ないのですが、それだけにお通夜と告別式の両方に列席していただける人というのはありがたく感じるものです。
僧侶入場の際には親族は起立して一礼をしてお迎えします。
読経、僧侶による焼香の後で、弔辞をする場合は、弔辞が行われ、その次に弔電を読み上げます。弔電は普通は数件だけ内容を読み上げ残りは弔電の差出人の名前だけを読み上げます。弔電の差出人の名前の読み上げは省略する場合もあります。
その後に、焼香が行われます。焼香は喪主から始めてその後、親族、親戚、その他の会葬者の順番に焼香します。焼香の順序は名前を呼ばれてから焼香する場合と座った席順に焼香する場合があります。
焼香の時には左手で数珠をもち最初に僧侶に一礼し、2,3歩前で遺影を正視してから一礼し、焼香台の前に進み出て、数珠を両手にかけて、合掌したあと、右手の親指と人差し指、中指の三本で、香箱の香をつまみ、そのまま、香炉におとします。浄土真宗大谷派(東)の焼香は2回で香を額にかざすことはしません。終わって、ふたたび遺影に合掌し、うしろ下がりに三歩ほどさがってから、席に戻ります。
一般の会葬者は席に戻る際には遺族に一礼します。遺族は会葬者の一礼の際には座ったまま応じます。
焼香が終わると僧侶は退席します。僧侶の退席の際にも遺族は起立して一礼します。
僧侶退席後に遺族からの挨拶があり、閉会の辞が行われ告別式は終わります。

告別式が終わると、会葬者のお帰りの際に菓子盛りのお菓子を会葬者に配ります。
会葬者の人で出棺を見送っていただける方はロビーに待機しています。
出棺する際には、親戚が祭壇の花を棺おけに入れます。この時が遺体を見る最後の時になります。
出棺の時には涙が出て止まりませんでした。本当にどうにかしてしまったような感じです。
棺おけを霊柩車に乗せて、喪主ほか近親者が一緒に乗ります。他の親戚はバスもしくはタクシーに乗って火葬場に同行します。一部の会葬者は残って、出棺を見送っていただきました。出棺を見送っていただいた会葬者は、やっぱり遺族にとっては印象が残るものです。

斎場につくと棺おけを斎場の待合室に運び、僧侶による読経があり、棺おけの周りを右回りに周って最後のお別れをします。
それからいくつか並んでいる火葬炉の中で自分の苗字の書いた火葬炉のほうに運び、火葬します。

火葬が終わるまで70分程度かかりますので、まず骨壷を選びます。大きさや袋のデザインに何種類かのものがあります。あまり大きな骨壷を選ぶと納骨の関係で支障があるということなので、ごく一般的な大きさの骨壷を選びました。骨壷は大きい骨壷と、小さい骨壷がセットになっています。骨壷のお金はその場で支払います。1万円でした。

控え室(ロビー)で火葬が終わるのを待ちます。その間、飲み物を注文し、持参したお菓子をひろげたりしてました。お腹がすくということで葬儀社でおにぎりを用意してくれました(後で請求されてました)。
火葬が終わると、連絡があり、飲み物の会計を済まし(料金は喪主が一括して支払います)、火葬炉の中に入ります。

当然ですが、身体の各部分の骨は、その位置に置かれていますので、焼かれた骨はどの部分の骨か一目瞭然です。

最初に、喪主が喉仏の骨を小さい骨壷に入れます。喉仏の骨の入った小さい骨壷は分納する場合に、その小さい骨壷を寺に預けることになります。必ずしも分骨しなければいけないということではなくて、大きい骨壷と一緒に墓に入れてもかまいません。

喉仏の骨を小さい骨壷に入れた後は、全員で上半身の骨を中心に大きな骨壷に入れます。大きい骨は割って骨壷に入れます。最期に頭蓋骨の綺麗な部分で蓋をします。

遺影と骨壷をもってバスで葬儀場に戻ります。

斎場から葬儀場へ戻ると、今度は中陰の法要があります。中陰の法要は近しい親族と、生前故人と特に親しかった人とで執り行われます。お経があげられご焼香をしました。

中陰の法要が終わって中陰の宴席があります。中陰の宴席の最初に喪主の挨拶があります。
中陰の食事は当然精進料理です。
適当な時間に僧侶の席から挨拶に周ります。
中陰の時には締めの挨拶はないので、適当な時間に、親戚に帰るきっかけをつくって貰います。
中陰の食事が終わったら帰るときに中陰の列席者に残った花や籠盛りの果物を分けて持ち帰ってもらいます。その他にもお土産品を用意しました。
タクシーで帰られる人には、タクシーの運転手にタクシーチケットを配るように葬儀社の人に頼んでおきました。

中陰の参列者が全員帰ったら、葬儀社の事務室に預かっていただいた香典のお金をいただいて帰ります。もちろん遺骨と遺影も持ち帰ります。

葬儀社の人は、余った花や、余った果物、お菓子、香典袋、香典帳などを持ってきてくれます。それから自宅の祭壇の飾りつけもしてくれます。

忌中の紙を玄関に貼ります。

中陰の食事は、なかなか美味しかったです。

葬儀が終わって、とりあえず近所の会葬者に挨拶周りをすることにしました。挨拶の際に残った花も配りました。全員の分の花が無かったので適当に配分しました。夕方なので在宅の人も多く、効率よく周れました。
明日からの仕事関係の挨拶回りをしないといけないので香典帳を見ながら予定をたてました。

香典を見ると、近所や遠い縁の人は5000円ですが1万円というのが多く、近しい親戚は5万円でした。
親戚以外で5万円とか3万円とかいう高額な香典もあってびっくりしました。

2007年1月19日

今日の朝刊に会葬御礼の広告が掲載されました。
広告代理店との打ち合わせで、全く話が出なかったので、会葬御礼の広告を断る手間が省けたと思ってたのに、なんの断りも無く広告を出されてしまいました。38万円ってめちゃくちゃ高いと思ってたのですが、会葬御礼の広告代も含まれていたと思うと悔しいです。
広告代理店の説明不足なのか、北国新聞社が死亡広告と会葬御礼の広告をセットでしか受け付けなくしてるのかわからないけど、広告主になんの説明も無く勝手に両方の広告を掲載するのは不公正だと思いました。

昨日、近所の挨拶を済ませたので、今日は仕事関係の挨拶回りをしてきました。仕事柄、礼服で行くのは差しさわりがあるところがほとんどなので、紺色のスーツで周りました。
親戚以外で花篭を送っていただいた方や、通夜と告別式の両方に会葬していただいた方や、特に普段お世話になっている方を中心に周りました。
普段お世話になっている方のところに周ることは仕事の内容と重なるので実質的に告別式の翌日から仕事したようなものかもしれません。

葬儀屋さんに死亡届を出していただいて火葬許可をとってもらっていたのですが、その他に自分で手続きしないといけないことは、いろいろあります。
それで、さっそく市役所へ行ってきました。
生命保険の手続きをするため、死亡証明書(350円)と父親の戸籍(全部事項証明450円)の書類を請求しました。葬祭料5万円の小切手もいただいてきました。市役所内の北國銀行だとすぐに現金に換金できます。

挨拶回りをして、いろいろ話をしたんですが、米永さんにお願いした葬儀は、とても評判が良かったです。家族や親戚も、本当に職員の人が親切だったと感謝の気持ちでいっぱいで満足していたのですが、列席者の人も、真心の行き届いた対応だったという意見が多かったです。
弔旗なども、ちゃんと片付けて届けていただいたり、葬儀当日は少し雨が降っていたりしていたのですが、参列者が帰る際には自動車のところまで傘を差していただいたり、他では経験したことのない事だったということでした。
祭壇も、そんなに高い料金の祭壇で無かったのに、りっぱな祭壇だと言っていただいたり。
本当に米永さんにお願いして良かったと思いました。

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2011年8月15日

義理の父親(妻の父親)が急死しました。
倶利伽羅不動尊の万灯会から帰ると,妻と息子が妻の実家から里帰りを終えて帰って来てました。
21:40頃,電話があって,病院から,義理の父親が亡くなって,義理の母親の動揺が大きいので,病院にすぐに来て欲しいという内容でした。電話に出たのが母親だったので,気が動転していたこともあり,義理の父親が亡くなったのか危篤状況なのかもあやふやな状況でした。
さっきまで妻や息子が妻の実家にいて,前日には,一緒にいろんな場所に墓参りに出かけてきて,当日も体調が思わしくはなかったものの,亡くなられるとかそういう事をよきさせるようなものは何もなかったのでびっくりしました。
取り急ぎ家族5人で1台の自動車に乗って病院に向いました。
移動の途中で県外に住んでいる妻の兄(長男)に連絡して,病院についてから改めて連絡するということにしました。
病院に着いて救急治療室に入ると,医師がいて,詳しい状況を話してくださいました。
死因ははっきりしないのですが,吐いた嘔吐物に胃液と一緒に出血が多く見られたということです。胃からの出血に関する症状は命に直接関係するものではなく,嘔吐物による窒息が考えられるということでした。急死の場合は死因を確認する必要があるということで,CTや心臓の検査もしたということでしたが,脳の異常は見当たらず,その他にも死因となるはっきりとした所見は見当たらず,心臓が弱っていた兆候があるので,心不全が死因ということになったそうです。
看護婦さんから,病院から自宅に遺体を運ぶ葬儀社の手配をして下さいと言われ,義理の母親がいる霊安所前の廊下に案内されました。霊安所前の廊下では義理の母親が警察の聴取を受けていました。病院以外で亡くなった急死の場合は,事件性がないか必ず警察による取り調べがあるのです。
当日は妻も義理の父親と一緒に過ごしたということで,一緒に警察の聴取を受けることにしました。
いろいろな手配をするのは自分以外に無かったので,とりあえず妻の兄(長男)に電話で状況を説明し翌日の朝一番にこちらに来るということになりました。
病院にいたため妻の母方の親戚の電話番号が判らなかったので,電話帳で調べて,妻の母の姉妹の1人に電話をしました。状況の説明と妻の母の残りの姉妹に連絡してもらうように頼みました。
義理の父親側の親戚は近しい人はみんな亡くなられているので連絡は朝にすることにしました。
時間が深夜(22:40)ということで,お坊さんに早めに連絡しないといけないということで,檀家になっているお寺の名前を聞いて電話帖で電話を調べて電話をしました。まだ病院にいるということで,実家に戻ってから再び電話するということになりました。
義母に頼みたい葬儀社はあるかと聞くと,祖母が亡くなった時にお願いした葬儀社が天祥閣だというので,電話帖で電話を調べて連絡しました。看護婦さんに葬儀屋が何時に来れば良いか確認してから改めて連絡して欲しいということでした。

検視に数人の警察の専門家が来て,遺体を調べることになりました。
妻と義理の母が警察の聴取をうけていたのですが,両者の言う内容の時間の食い違いが多く,経過の整理がつかなかったのですが,検視の結果からも事件性が感じられないということだったので,そのあたりはうやむやにして終わりました。
父親の亡くなられた現場検証もしたいということだったので,誰かが警察と一緒に実家に行かなくてはいけなくなりました。警察の自動車には1人しか乗れないということだったので,誰が行くか迷ったのですが,義理の母親は父と一緒にいたほうが良いということで,鍵のある場所などを知っている妻が警察と一緒に行くという提案もあったのですが,普段飲んでいる薬の処方の書類などをしまってある場所とかが判らないということで義理の母親が警察に同行することになりました。義理の母親が1人だと不安だろうし義理の母親の姉妹に電話して,実家の方に来てくれないかと頼んだのですが,時間も遅いし,都合悪く朝にならないと行けないということだったので諦めました。

霊安所での検視が終わって,看護婦さんが遺体を綺麗にしてくれました。看護婦さんに葬儀屋が何時に来れ遺体を綺麗ば良いか聞くと24:00に来て欲しいということだったので葬儀社に連絡しました。
遺体が綺麗になったので,みんなでお参りをしに霊安所に入室しました。
死亡診断書を看護婦さんから受取って,住所などに間違いは無いか聞かれたので,確認すると住所に間違いがあったので,訂正してもらいました。
死亡診断書は葬儀社の担当者に渡しました。
看護婦さんに病院の支払いはどうなりますかと聞くと,請求書を送るので後で支払いをお願いしますということでした。
葬儀社が,絹っぽい布で作った衣装と布団で遺体を包んで,遺体を移動させる準備をしました。
葬儀社と一緒に,遺体を霊安車に運び,実家に運ぶことになりました。
義理の母が検察の検視が終わってから警察と再び病院に戻るということだったので,実家に病院に戻らなくても良い旨の連絡しようと電話したのですが,話中でつながりません。仕方が無いので妻と母親が2人で霊安車にのって実家に行き,子供達と病院に残ることにしました。

その後,何度,電話してもつながらないので受話器がはずれたままになっているのではないかと思って,妻に電話したのですが,そちらのほうも,電話に出ないので,とにかく待つことにしました。そうこうしてると義理の母親が病院に来て,一緒に実家に行くことにしました。実家の電話機の受話器はやっぱり外れたままになっていました。気が動転していたのだと思います。
実家には,さきほど連絡した義理の母親の姉妹のご夫婦も来てくれていました。
祭壇の用意もすでにされていました。
ただ,男手が足りなく,遺体は霊安車に乗せられたままだったので,手伝って自宅内に移動しました。ちょっと頼りない葬儀社です。
神棚の前に紙を貼って神棚の神を隠しました。

実家に帰ってからお寺に電話して,しばらくして僧侶が来てくれることになりました。
実家の整理をして,葬儀社といろいろな打ち合わせをしました。
夜中だったので,亡くなられた翌日にお通夜をする事ができないので,亡くなられた翌々日に通夜をして,その翌日11:00に告別式をすることにしました。
式場の大きさは,妻の祖母の時と一緒の大きさの部屋ですることにしました。
喪主を誰にするか聞かれたので,妻の兄に電話して喪主になってもらうことを了解していただきました。
北国新聞社と北陸中日新聞社のおくやみ欄に掲載することの連絡をしてもらうにあたり了解のサインをしました。最近は個人情報の保護がらみで,いろいろと気を使っているようです。
有料の死亡広告を出すか聞かれたので,見る人は,おくやみ欄だけでも見るし,おくやみ欄をみない人は死亡広告も見ないので,有料の死亡広告は出さないことにしました。

葬儀社の天祥閣の会員かどうか,JA(農協)の会員かどうかも聞かれました。天祥閣の会員かどうかは知らなかったのですが,義祖母の葬儀は天祥閣だった事を伝えました。JAについては義父が役員をしていたということで調べてみるということになりました。

そうこうしてると僧侶が来て,通夜と告別式の予定をつげると他に頼む僧侶の都合もあるので,ちょっと待って欲しいと言われました。でも,なんとか都合をやりくりしてくれるということで日程が決まりました。

葬儀社の人に最近は頼む僧侶の人数は,どういう状況であるのか聞くと,最近は通夜は1人で,告別式が2人の場合が多いようですということでした。

僧侶から,法名の提案があり,金銭的な説明も有り,提案どおりでお願いしました。法名は8万円で,月命日のお布施で支払っている年額との差額分だけお支払いしていただければ良いということでした。

お坊さんは通夜は1人で告別式は2人を予定しているが,もしもっと多くのお坊さんを希望される場合は,近所のお寺さんに直接頼んで欲しいということでした。
義理の母親は,多くの僧侶を呼んで葬儀をしたいということでしたが,僧侶は,最近のこの地域の葬儀では,ほとんど全部が通夜は1人で告別式は2人で執り行っているとの説明をしていました。

位牌に法名を記入し,準備が終わったので,お経をあげてもらいました。
義理の母親1人だとさびしいと思いましたが,妻が運転する自動車が無いので,とりあえず家族全員で帰って,必要なものを揃えて,妻1人が自分の自動車で実家に戻ることにしました。

故人名義の貯金は可能な限り引き出しておいて,義母の口座に移しておくように義母と妻に提案しました。当然,引き落とした金額は義兄に知らせておくように伝えました。

自宅に帰ったのは3:00を過ぎていました。

2011年8月16日

13:00に葬儀社(天祥閣)との打ち合わせがあるというので出かけました。

玄関には義父が亡くなった事を知らせる貼り紙と,送迎バスの時刻の告知の貼り紙が掲示されていました。
喪主の義兄も少し遅れて到着するということでした。
喪主がいないと重要なことを決められないということで,喪主の到着を待ちました。

祭壇に飾る写真は決めてありました。

銀行口座や郵便貯金の引き降ろしは順調に進んだようです。
義兄には銀行口座や郵便貯金の引き降ろしについては報告しました。

最初に何人が入れる会場にするかを決めました。以前,嫁の実家の祖母が亡くなられた時のデータを葬儀社が保存していたので,それを参考に決めました。祖母も義父と同じ職業だったので,そういう意味でも参考になりました。葬儀の情報は保存しておかなくてはいけないものだと再認識しました。

次は香典の数を決めるのですが,それも葬儀社に前回の記録が残っていたので参考にしました。前回は半分以上余らしたので前回の半分にしようとしたのですが,女性と男性の違いがあるので半分よりは多めにすることにしました。

祭壇が3つのクラスがあるということなので,中くらいのクラスの祭壇にしようということに決まりそうだったのですが,祭壇を安いクラスのものにして,花を多めに飾るという方法もあるということを話して,その線で検討することにしました。
3つのクラスがあると,真ん中のクラスにしようというのが人間の心理ですが,ある意味では葬儀屋の作戦です。
結果的に祭壇を安いクラスのものにして,追加の花は3段階の一番高いものにしようということになったのですが,一番高いものと中ぐらいのものでは,目だたない場所の花が増えるだけなので,結果的に見栄えは変わらないとの葬儀社の助言があったので,中くらいのものにすることになりました。それでも結構な金額になります。

生花の籠は,親戚の方の費用で飾られるのですが,クラスが3段階あるのですが親戚の負担を大きくしないという事と,一番リーズナブルの生花籠でも12600円もするということなので,12600円の生花籠に統一することにしました。

菓子籠は10500円でした。

香典返しの品目については,商品券を希望したのですが,天祥閣では商品券をやっていないということで,とても困りました。カタログで各自好みの物を選ぶのはあったのですが,葬儀に出席した時にそういうのを受け取る機会が多く,その割には,魅力的な商品が少ないので,何も頼まないという場合が多いので避けたかったのですが,他に適当なものが無かったので,食べ物で自分で好きなものを選んで申し込むというものにしました。料金は3種類あったのですが,一番高いものにしました。商品券だと利益がでないので扱わないのだと思います。

その他に,中陰の料理と中陰のお土産,仮通夜の料理・オードブル,通夜振る舞いの料理・オードブル・飲物,斎場での軽食,受付などをしていただく人のお弁当,写真の額などを決めました。
義母の心情を最優先に決めました。

選んでいる最中にも来客が結構あり,選ぶのに時間がかかりました。

僧侶については,告別式の際には義父の生家がある地域の僧侶にもきていただき3人でお願いすることにしました。義父の生家は白山麓の奥に位置する地域で,葬儀には僧侶が大勢で弔うのが通常だということで義母の希望に沿いました。

告別式の日の僧侶への挨拶の時に,お布施を払うのが普通だと思うので,それまでに檀家をしている僧侶(導師)に費用について聞いておくように義母と義兄に依頼しました。義父の生家がある地域の僧侶については葬儀社に相場を聞きました。

一番大変だったのは中陰の人数確認でした。こちらも前回の記録を参考にしました。前回の出席者を参考に,祖母の孫にあたる人を外して,義父の孫にあたる人を入れました。この時点ではあくまでも予想ということなので,実際には中陰に出席いただくつもりのご本人にご本人の都合と一緒に出席される家族の人数を確認しないといけないです。夜に仮通夜を行うので,その時に確認できる人には確認するということにしました。中陰に僧侶が出席できる場合は僧侶も人数に加えておかなければいけません。

親戚関係の生花や菓子籠の数の確認もしないといけないので,それも前回の記録を参考に,仮通夜の時に確認するということにしました。

葬儀の際の,受付,会計責任者を決めないといけません。受付は町内の人が通夜と葬式で3人ずつ出ていただけるということで助かりました。
会計責任者を誰がするか,なかなか思いつかなかったのですが,親戚の中で,葬儀に詳しく世話好きの人がいたので,その人にお願いする事にしました。

通夜と告別式の親族の挨拶を誰がするのか決めないといけなかったのですが,どうしても避けたかったので,触れないようにしていたのですが,結局,通夜の挨拶を引き受けざるを得なくなってしまいました。本当に苦手でしたくないんです。

朝日新聞社と読売新聞社からお悔やみの欄に掲載するにあたって確認の電話があったそうです。役場からの連絡の早さにびっくりしました。

とりあえず決めないといけない事は決めたので,1度帰ることにしました。最後に棺おけに入れるものも決めておくように依頼しました。

仮通夜には近しい親戚の人が20人程度集まり19:00から始まりました。
掛け軸が普通の掛け軸がかけられていて,あれっと思っていたのですが,他の人も同様だったようで,お経が終わってから,親戚の人から,指摘があって,南無阿弥陀仏の掛け軸に変えました。こういうのは葬儀社の人が指摘してくれると助かるのですけど・・・。

仮通夜に出ていただいた親戚に人に生花と菓子籠の確認と,中陰に出てくださる人数の確認をしました。会計責任者も引き受けていただけました。
会計責任者も引き受けていただいた親戚の人と会計の役割分担や香典の会計処理順序のおおまかなものも相談しました。

仮通夜の料理はかなり余ったのですが,多分翌日の朝食になったのだと思います。

通夜の挨拶の文面ができたので,喪主と義母にチェックしてもらって,一部訂正しました。

天祥閣は会員になっていたようでした。俊の父親の葬儀をお願いした米永さんの場合は最初でも会員扱いにしてくれたので良かったのですが,天祥閣の場合は初めて利用して会員登録もしてない場合に,どういう扱いになるのか不明ですが,天祥閣への入会は1万円で永久会員ということなので,多分誰もがいつでも(実際に葬儀が必要になってからでも)入会できるのだと思います。

JAについては義父が会員になっていたようです。

2011年8月17日

通夜の日は,通夜が始まるまでは,比較的決める事が少ないので,仕事をしました。
なんか頭がぼーっとしていて,通夜の挨拶の原稿も,仕事のメモ帖も持って出るのを忘れました。これで通夜の挨拶を覚えるのは不可能になりました。

妻と連絡をとると16:00前に遺体を葬儀場に運ぶけど,運ぶ人手は足りているので17:00に会場に来てくれれば良いということだったので,そのようにしました。

通夜の日の日中は,それほど決める事がなかったようですが,それなりに決める事があったようです。

通夜・葬式の日には他に会場利用者はなくて,貸切状態で会場を使えました。大きな和室と,洗面台,冷蔵庫,風呂場,小さい和室があり,小さい和室には大きな金庫がありました。これだけ大きな金庫だと持ち去られる心配がないので安心して預けられます。
来場者が自由に飲める給茶機はありましたが,ジュースなどを飲める無料の自販機は設置されていませんでした。

生花籠と菓子籠の名前が妻の名や息子の名前になっていたので,びっくりしました。自分の名前は正面に立てられていました。なんでだろうと不思議に思っていたのですが,特に指摘しなかったのですが,なんでも葬儀社の提案で,できるだけ多くの人の名前を出そうという事でそうなったようです。
生花籠と菓子籠を出した他の親戚の人もびっくりして,頼んでいた分の費用以外の費用を負担しないといけないのではと思ったようです。

通夜の日は早めにおいでる列席者がいるのは通例ですが,当日は1時間40分前からおいでになりました。その後ぼちぼちと列席者が訪れまたので,当初受付は18:00からの予定でしたが,町内から受付の手伝いに来てくれた人や会計の管轄をお願いした人も早めに出てきていただいたので,受付を早めに始めました。通夜の受付は1時間30分前からしたほうが良いようです。
当初,香典帖への記入は,通夜後にする予定でしたが,香典の外袋に記入されている名前及び住所は,会計責任者が記入することになりました。香典袋には番号を記入して,香典帳にも香典袋に記入した番号も記入します。
香典帖に記入した香典袋は番号順に糸で綴ってもらいました。つまり,受付3人,香典帖への記入1人,糸を綴ったりする人1人の5人で担当したことになります。
結果的に,最初に氏名・住所を記入しておいたお陰で,集計が随分楽になりました。
でも受付で香典帖へ記入するのは,結果的に通夜が終わる間際までかかってしまったようです。本当にお世話になりました。

通夜では遺族の席に座らないといけなかったので,50分前には席に着きました。
石川県では葬儀場に入ると同時に焼香をして遺族に挨拶をするのが通例になっているので,通夜が始まるまでに列席者がおいでるたびに立って挨拶をすることになります。
親戚以外で中陰に出席していただきたい人については,来場時に,中陰の出席をお願いして最終的な出席人数を確認しました。
僧侶が中陰に出席するかの確認をしたのか妻に聞くと,葬儀社のほうから僧侶は都合が悪く中陰に出席できないという事を聞きました。
僧侶が中陰に出席できない場合のお土産などをどうすれば良いのか,葬儀社に相談しておくように依頼しました。

列席者の希望者に正信偈の本が貸し出され,定刻の19;00に通夜がはじまりました。正信偈を唱えることのできる人は一緒に唱和するのです。
通夜では香典袋は飾られません。
仏説阿弥陀経と正信偈が続けて行なわれ,僧侶の説教がありました。説教の内容に通夜の挨拶に重なる事があり,急遽,通夜の挨拶の内容の一部を省くことにしました。
いよいよ親族の挨拶の時になりました。紹介は名前だけで故人との関係に触れなかったので,故人との関係を言ってから挨拶に入ろうかと思ったりもしましたが,やめました。
忙しかったので,読みやすいように細長の原稿にすれば良かったのですが,気が回らず原稿を途中で何度も裏返したりみっともなかったと思います。挨拶自体もボロボロでした。

通夜が終わって通夜振る舞いになりました。通夜振る舞いは親族の休憩室に使われていた大きな和室で行なわれました。途中で棺が和室に入れられました。
生花籠と菓子籠の受取っていないお金を集めました。

しばらく飲食をした後21:00より,金庫のある小さい和室で香典の集計をすることにしました。会計責任者に何人いれば良いかと尋ねると4人居れば楽だというので,知っている親戚の2人に手伝ってもらうことにしました。

香典が200ほどあり香典帳が1冊100人分だったので,100人分と残りの分とで分担して集計することにしました。
1人は袋からお金を出して,もう1人は外袋に住所が無くて,中袋に住所がある場合の住所を香典帳に記入して,金額を記入します。
10人終わるごとに小計を出して,実際の金額と違いがないか確認します。
最終的に途中一度も間違いなく1時間で集計は終わりました。
ついでに生花籠と菓子籠のお金も間違いないか確認しました。

お金は,いくら入っているか明記して,喪主に渡して金庫に入れました。

遺骨の分骨をどうするかどうするか聞きました。義母が分骨して東本願寺に収めたいというので,分骨することにしました。
義兄に,告別式の焼香順と,電報の読み順(特に政治家の電報の扱い)などを決めるのが大変だということを伝え,焼香順は,親戚だけを決めて,あとは席順に随意焼香するのが楽だと伝えました。

もうほとんどの人が帰っていて帰宅する事にしました。
葬儀場には義母と,妻と,義兄と義兄の家族が泊まることになりました。

告別式は11:00からですが,妻と,義兄と相談したら10:00頃に来れば良いとの事なので,そうしようと思いました。

2011年8月18日

11:00に告別式が始まりますが,少し早めに9:40に葬儀場に行きました。
お布施の事を確認したら,もう支払ったということでした。
告別式の焼香順と,電報の読み順や電報の名前の読み順も決めたということでした。中陰の席順や親戚の名前の読み方の確認もしてあえりました。

告別式は,それほど早く来場する人はいないと思っていましたが1時間以上前から来場する人がいました。受付の手伝いをしてくださる方は,すでに来ていただいていて香典も受取っていてくれてました。
とりあえず,受付の記録係をすることにしました。本当は通夜の最後の番号の次の番号から記入しなければいけなかったのに,1番から記入してしまいました。
それからもかなり早い時間に受付においでる人が次から次へとおいでました。白山麓の人は時間が早いです。受付は1時間30分前からしたほうが良いです。
そうこうしていると会計の責任者が来てくれて交代しました。告別式の香典は,その日には集計せずに,そのまま喪主に渡して金庫に入れることにしました。

葬儀社から,前の席につく遺族は早めに着席するように言われたので,着席しました。告別式では僧侶入場時には立って挨拶をするが,その他の列席者が挨拶した時には座ったままでいることなど説明されました。焼香の時の簡単な注意もありました。
途中で弔辞の申し出があり,司会者に弔辞を入れるよう依頼をしました。

告別式はお経があって,弔辞があり,その後,僧侶が正信偈を唱えているなかで焼香がはじまりました。名前を読み上げるのは親戚だけにしました。
電報は内容を読むのは,内容のある電報2通だけにして,電報の名前は全部読み上げました。電報の順序を最初に読むのは国会議員にしていました。

告別式が終わって,その場でお別れの儀式が行なわれました。親戚を中心に多くの人が残っていました。外では多くの人が出発を待っていました。
喪主から順番に棺に祭壇の花を入れます。それから棺を親族が手をかけてストレッチャーから霊柩車に移し,斎場に向います。喪主は霊柩車に同乗します。斎場に同行する親族は貸切のバスに乗って斎場に向います。霊柩車からストレッチャーに棺を親族が手をかけて移します。
すでに遺族の手には骨壷がありました。自分の父親の葬儀では斎場で骨壷を選びましたが,今回は葬儀社で用意したようです。故人の写真と,大小の骨壷を遺族が持っていきました。

斎場に入って,僧侶のお経の中で焼香をして,最後のお別れをして遺体を焼却します。
遺体の焼却には時間がかなりかかるので控え室で待機します。お昼時で中陰まで時間がかかるので,おにぎりと飲み物とお菓子を用意しました。

焼却が終わると呼び出しがあり,骨を骨壷に収めます。最初に喪主が喉仏と頭の骨を1つ小さい骨壷に入れて,その後大きな骨壷に,みんなで順番に骨を骨壷に入れます。

骨壷に骨を入れてからバスに乗って,葬儀場に戻りました。葬儀場にもどって中陰のお勤めがあって,中陰の食事がありました。テーブルには名前が書かれた札が置いてあって,テーブルの下には家族に1個お土産が置いてありました。
中陰の食事は精進料理にしました。天祥閣の料理は米永さんほどでは無いですが,まあ美味しい料理でした。
周りの様子を見て,食事も終わっているようなので,喪主に,もうそろそろお開きにしたらどうですかと伝えお開きにしました。
僧侶が中陰の食事につかなかったので御膳料10000円を包んで葬儀社から渡してもらったそうです。

義兄が,明日,近所の世話になった人(町の同じ班で列席した人と,受付をしてくれた人)12軒にささやかなお礼の品を持って挨拶に周ると言っていたので,近所なら今日中に周る事を勧めました。近所ならすぐに周れるし,夜ならみんな在宅してるし,明日は明日ですることがたくさんあるので先に済ませたほうが良いです。明後日は土曜日なので手続きできないので明日は忙しいはずなんです。

実家に帰る前に役場で死亡時に必要な書類一覧表を貰ってくることにしました。手続きは喪主が翌日する予定だったので,前もって必要なものを忘れないで行った方が2度手間にならなくてすむと思ったのです。野々市の役場は親切で,名前を言ったら,その人の加入している保険や年金も前もって全部調べてあって,どういうものが必要なのか,どこに連絡すれば良いのか教えてくれました。ただ,喪主がこちらに住民票が無いので,喪主が手続きする場合,複雑になるというので自動車で待っていた義兄を呼びに行って話しを聞いてもらいました。
死亡手続きは葬儀社が済ませてあったので,役場で行なう手続きは死亡証明書などの必要書類の取得と年金,保険関係,葬祭費の請求などになります。
一覧に掲載されている年金や保険関係の事を窓口の人に聞くと,年金担当のところに案内してくれ,待たずにすぐに必要な事を確認できました。
義父は厚生年金の他に共済年金もあったのですが,共済年金の手続について役場の人は詳しいことを知らなかったので,ちょっと大変そうです。役場は国民年金は管轄なのですが,厚生年金や共済年金は担当外なのです。厚生年金は金沢南年金事務所での手続きになり,共済年金は証書に記載されている東京の事務所に連絡して書類を送ってもらわないといけないようです。

確認する事が多くなったので,思ってたよりも時間がかかってしまいました。
家に帰ると,葬儀屋の人も来ていて喪主を待っていたようです。ちょっと待たせてしまいました。

野々市役場でもらった一覧表に出ている事以外に必要な手続きについて書いたメモを義兄に渡しました。義兄に義父の原戸籍も全種類とっておくように依頼しました。原戸籍は財産関係の名義変更に必ず必要ですし,遺産対象の確定にどうしても必要なものなのです。
ついでに義兄に役場の税務課で固定資産価格通知書の請求(無料)をするように依頼しました。3人が相続対象だと遺産が8000万円までは税金がかからないので,遺産の総額を把握するためにも必要なのです。
義兄に,妻は遺産については何も欲しがらないと思うと伝えると,義兄も何も貰うつもりは無いと話していました。
住宅は義母が住んでいるし,義母の生活の事もあるので,義母が生活できるようにという事が最重要であるというのが2人の一致した考えでした。

義兄の家族は本日帰る予定だと聞いていたので,できるだけ早い時間の列車に乗るほうが良いだろうということで,すぐに金沢駅まで送ることにしました。平日の夕方だったので道が混んでいたので,ちょっと遠回りして西口に行くことにしました。なんとか無事に列車の時間に間に合う事ができました。

義兄から翌日の夜に,慰労会をするので家族全員で来て欲しいと言われたので家族に聞いてみますと答えました。

翌日は娘が早朝に泊りがけの長期実習が始まるので,見送りたいということで妻も夜に帰ってきて,朝に再び実家に行く事になりました。

自宅に帰って家族の都合を聞いて,慰労会に行くことにしました。ちなみに慰労会は,義母と,義兄と,自分の家族だけです。

家に帰ると娘が発熱したということで焦りましたが,薬を飲んで休んだら,なんとか熱が下がりました。
妻が帰ってくると,自分に慰労会の場所を一任するので良い店を紹介して欲しいということだったのですが,母親から義父の骨を残しておいて食事に出かけるのはどうかというので,松花堂弁当でもとって実家で食事会をしたほうが良いのではないかということで検討してもらうことにしました。

忙しい一日が終わりました。

2011年8月19日

朝に娘の実習のために加賀地方まで送ってあげました。帰宅すると妻がまだ居ました。
10:30に僧侶が来る予定だし,手続きをするにも妻の自動車がないと動けないので,早く行ってあげないと困るのにと思ってヤキモキしました。
妻が出かける時に,香典は義母の通帳に入金して置くようにと,玄関に忌中の貼り紙をしておくように伝えました。

今日は通常の仕事をして,夕方に電話をして慰労会はどうなったか聞くと,今野々市役場で2度目の手続きをしているということで,慰労会は実家ですることになったということでした。夕方に役場にいたというのを聞いて手続きが順調にいっていないことが伺えました。翌日は土曜日で,手続きができなく,しかも義兄が日曜日に帰るということだったので,今日出来ることは済ませておいたほうが良かったのですけど。

夜になって息子が帰ってきたので妻の実家へ行きました。

料理屋に松花堂弁当を頼んでみたのですが,どの店も当日の申し込みでは対応できないということでオードブルや寿司の弁当が用意されていました。いろんなチーズが用意されていたのは個人的には嬉しかったのです。ちゃんとした食事よりオードブル関係のほうが個人的には好きなのです。
いろんな話をして2時間半も滞在しました。

手続きについて確認したのですが,厚生年金と共済年金の手続きが終わってないということでした。年金証書はあったのですが年金手帳がみつからなかったということでした。
原戸籍は結構後のものは野々市町役場で取得できたのですが,結婚前の分は白山市役所でないと入手できないという事だったようです。

義兄から,香典とかのお金をどうするかという相談があり,土曜日でもATMなら入金できるので義母の口座に入金しておいたほうが安心だと伝えました。妻にはちゃんと入金しておくように言っておいたのですが忘れていたようです。

帰りに葬儀社からの最初のほうに出された見積書を貰いました。葬儀社ごとの費用算定の違いを調べたかったのです。

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2018年6月29(金

義理の母は高齢者施設に居住しているのですが、時々、誤嚥肺炎で危ない状態になっていました。
昨日(28日)の午前中にも、誤嚥肺炎を起こして、状態が悪いという連絡があって、近くの病院に入院しました。喪主になる妻の兄は、遠方に住んでいるのですが、翌日に金沢に来るという事でした。
妻は、職場から病院にかけつけました。

病院の対処の甲斐があって持ち直したので、安心して帰っていたのですが、夜中に病院から息が弱くなったと連絡がありました。
6月29日になったばかりの時間で、ワールドカップで日本対ポーランド戦が行われている最終の出来事でした。妻はサッカーを見てましたが、自分は寝ていました。

病院には先に妻がかけつけ、自分は着替えして準備をしてから行ったのですが、時間外に入る方法が判らず、ちょっと当惑しました。なんとか説明掲示を見て、鍵をあけてもらって入る事ができました。
病棟のナースセンターに親戚ですと伝えると、病室に案内されました。その時には、義母はすでに亡くなっていました。妻が、かけつけた時にはもう亡くなっていたとの事です。
亡くなるという実感が無かったので当惑しました。
看護婦さんから、遺体の搬送をどうしますかと聞かれました。

義母は施設に入ってから実家を処分してますし、喪主である妻の兄は遠方に住んでいる事もあり、自分の家に搬送する選択しか思いつきませんでした。
母親の了解をとって、自宅に搬送する事にしました。

自宅に搬送するにあたって、以前父親が亡くなられた時に親切にしていただいた米永さんにお願いする事以外に思いつかなかったので、ネットで電話番号を調べて搬送を頼みました。1時間程度で搬送に伺えるということでした。

葬儀は、喪主である妻の兄の考えを尊重しなくてはいけないので、以降の事については、余計な口出しをせずに、喪主の選択にゆだねる事にしました。
とりあえず、葬儀をするしないの選択、家族葬にするか普通葬にするのかの選択をする必要があったので、喪主に相談しました。
故人は交際範囲が広い人だったので家族葬という訳にはいかないということでした。
搬送は米永さんに頼んだのだけど、通夜や葬儀は、どこに頼みますかと喪主に聞くと米永さんで良いということでした。
日程の希望を聞くと、近々には友引の日に重なる事が無かったので、翌日から3日間(土・日・月曜日)の内で、できれば早めの2日間が良いという事でした。それで早めの日で葬儀社が対応できる日を確認する事にしました。

自宅を、搬送に対応できる状態にしておかなければいけないので、先に帰る事にしました。
座敷を整頓し、布団を出して、シーツをかけて、座敷の整頓など迎える準備をしていると、義母が搬送されてきました。

座敷が3階なので、棺に入れないで、おぶって搬送していただきました。
葬儀社の人が義母の身体が曲がってしまっていると言っていたので、ひょっとしたら棺に入らなかったのかもしれません。
米永さんに、普通葬をするので、お願いしますと伝えました。葬儀の希望日についても伝えました。
以前お世話になった人の名前を憶えてなかったのですが、できればその人にお世話願いたいと希望を伝えました。対応できるかはわからないけど、父親の葬儀の時の担当者は調べれば分るという事でした。
喪主が来ないと何も決まらないので、打ち合わせは金沢に到着して自宅に来る予定の13:00ということにしました。
葬儀社の受け入れ態勢について確認していただいたところ、翌日に通夜の対応が可能だということでした。
通夜は19:00からで、葬儀は10:00からが一般的ということでした。
通夜は翌日の19:00から、葬儀は翌々日の10:00で仮押さえしました。
会場は、故人が住んでいた実家が建っていた場所に近い会館でしたいという希望でしたが、ちょど良い会場がありました。
故人が住んでいた実家が建っていたのは野々市市なのですが、施設は金沢市で住民票も金沢に移してあるという事で、斎場は金沢になるという事でした。
施設は金沢で住民票も金沢に移してあり、実家の建物も処分済だけど、おくやみ欄の住所は野々市にしても良いのかと聞くと、それは大丈夫だという事でした。
おくやみ欄で、住所が金沢だと、故人と喪主の名前を見ても誰も気づかないと思ったのです。
遺影をどの写真にするかとか、通夜葬儀の規模(人数)も決めておかなければいけないとの説明を受けました。
自分の父親が亡くなられた時の資料を調べると担当者の名前が判ったので伝えると、退職なさったということでした。
時間も時間だったので、各方面への連絡は早朝にすることにしました。

一度寝てから、目が冴えると、もう眠れない質なので、結局眠れませんでした。
遺体には妻が付き添いました。

朝7:00に僧侶に電話をかけました。通夜予定の土曜日は法事が3件あって、通夜は19:30からでないと対応できないということでした。葬儀予定の日曜日も午前中は法事があって13:00からでないと対応できないということでした。
死亡後初のお参りも12:00過ぎでないと対応できないということでした。

通夜や葬儀の日程をどうするかは喪主でないと判断できないので、喪主に電話したのですが、連絡がつきません。
留守電にメッセージを入れておきました。

親戚や、義母が生前に活動していたお茶の関係者(1人)に連絡をとりました。
親戚や関係者の人から連絡があったという事で、それからは、電話がひっきりなしにかかってきて2回線ある電話が埋まっている事が多々ある状態でした。

数時間ほどして、喪主から電話があって、通夜と葬儀の時間についての希望を確認しました。おくやみ欄の住所は施設に入る前に住んでいた野々市市にすることも可能だと伝えました。
僧侶と妻の実家は昔から付き合いが深く、妻と僧侶が同級生であることもあって、他の僧侶を頼むことはせず、通夜と葬儀は僧侶の都合に合わせるということになりました。
喪主は13:00頃でないと金沢に入れないという事だったので、僧侶にお参りの時間をずらしてもらうよう頼もうかと思ったのですが、ごたごた言うのも良くないと言われて、お参りの時間についても僧侶の都合に任せることにしました。
すぐに葬儀社に時間の変更を伝えました。

とりあえず、おいでる方がいるかもしれないということで、他の部屋も可能な限り整理しました。
どうしても、当日に済ませておきたい仕事があったので、急いで用事を済ませました。

その間に、親戚の方がお参りにきてくださいました。

妻は、施設に報告に行き、遺影の写真を選ぶため写真を持って帰りました。

コンビニで弁当を買って食事をしようと思ったら、僧侶がおいでたので、お参りをしていただくことにしました。
仏壇の内敷が出ていないということで、慌てて探しました。滅多に使わないので置いてある場所を覚えていなくて、仏壇の引き出しを片っ端から調べてなんとか見つけました。

僧侶から、亡くなられるにいたった経過を聞かれて、簡単に説明しました。

お参りの途中に不備に気づいた事があったのですが、もう読教が始まっているのでしかたありません。
読教が終わってから確認しました。
前回は葬儀社の人から、人形は紙か布をかけて隠すように言われたのですけど、それは死者は穢れていて、魂を抜かれないようにお人形を隠すという意味合いがあるそうです。仏教的にはなんの意味もない事で、ある意味では故人に失礼にあたると習慣だと言えるという事でした。
「南無阿弥陀仏」の掛け軸もあるので、そのほうが良かったのかと思っていたのですが、仏壇の中に「南無阿弥陀仏」の掛軸があるので2つはいらないということでした。

僧侶と通夜葬儀の場所日程を確認しました。
僧侶のほうから、通夜は僧侶が1人で行い、告別式は僧侶と伴僧の2人で行い、葬場でのお参りは伴僧が、中陰は僧侶が行うと言われました。
法名も決めてこられていて、それはさすがに喪主の了解が無いと返答できなと言うと、大丈夫ですよと言われました。故人と親交の深い僧侶なので、まあそんなもんかなと思いました。

僧侶が帰って、食事をしていると喪主が着きました。食事は済ませたという事なので、ちょっと休んでもらって自分たちの食事をすませました。

誰に連絡をとったかの報告をして、お参りに来た親戚についても報告しました。ついさっき僧侶のお参りがあって、僧侶の人数や法名の件も報告しました。

喪主にお参りしてもらって、話をしていると、葬儀社の方がおいでました。
搬送時においでた人は、夜間だけの担当者で、以降の事については自分が担当するとの事でした。
前回の担当者には随分よくしていただいたと言うと、その方は退職されて今は不動産の仕事をしているとの事でした。その方とは同期だという事でした。

お葬儀の進行について、詳細な日程表を渡されました。
下記の物をご用意くださいという書類を渡されました。とりあえず必ず用意しないといけないものの説明書です。
斎場使用料のリストが渡されました。金沢の場合は、火葬炉使用料は5000円です。近隣の市町村では最も安いです。ただし、待合室使用料は5140円と近隣の使用料では最も高いです。斎場暖房費がかかる市町村もありますが金沢市は無料です。
焼香順位の参考例のリストが渡されました。
中陰のテーブルの席表、親戚リストを記入する紙も渡されました。

最初に、葬儀場の規模(会葬者の人数)を把握しないといけないし、その他に受付や会計をする人なども決めないといけないと言われました。

葬儀の費用については、基本となるセットが50万円で、その他に会場費15万円やオプションの花などがかかります。その他にも、バス料金や香典返し、通夜振る舞い、斎場での費用、中陰などいろいろとかかります。
花の追加はそれほど華美にせず、親戚などからの花飾りなどを祭壇に並べる事にしました。
納棺量15000円、ドライアイス追加分8000円、写真をカラーにするので差額10000円、通夜ふるまいの寿司が1桶が5000円、オードブル1桶が5000円、通夜ふるまいや中陰時の飲み物の1本あたりの料金も明記されていました。会葬礼状は何枚であろうと1枚100円です。明瞭会計です。
斎場への往復に使うバスの大きさも決めました。

参考に、父親の葬儀に頼んだ内容のリストを見せられました。とても参考になりました。気が利く対応に関心しました。

香典返しは、カタログなどはどこも一緒で、参列者にとっては飽きがきてるのではという事で、酒屋やドラックストアで買い物ができるビール券にしました。
香典返しの令状に入れる文面と誰の名前を掲載するかも決めました。

中陰の時のお土産は、海苔が多いということでしたが、聞いたことのないメーカーの海苔は美味しく無さそうなので、稲庭うどんにしました。
通夜と葬儀の挨拶は喪主がすることになりました。
決めるのに一番頭を痛める葬儀の焼香順については、故人の直系の親戚と故人の姉妹以外は、親戚の方については順々にということで名前を読み上げない事にしました。その他の参列者についても名前は読み上げないということにしました。
電報については、来てから考えるという事にしました。

おくやみ欄には、故人が長年住んでいた野々市市にすることにしました。詳しい住所は入れなくて、丁目まで掲載する事にしました。北国新聞と北陸中日新聞と読売新聞に掲載を依頼する事にいました。こちらは無料で掲載していただけます。
北陸中日新聞には、言葉も入るようで、故人がどんな人だったか電話取材があるそうです。

そこで、故人が生前に自分の法名の希望を喪主に伝えていたという話がでました。4年前の事だというのですが、そこは故人の希望が最優先という事で、慌てて僧侶に電話しました。
僧侶は不在でしたが、僧侶の奥さんに伝えました。
葬儀社に人が、お寺に、法名を書いた位牌(白木の仮の物)を届けてくれるということでした。

写真はまだ決まっていないと言うと、通夜当日の朝までに決まっていれば対応可能という事でした。

翌日の10:00に葬儀社の担当者が打ち合わせに来るということになりました。

故人の搬送は16:10頃にという事でした。

なにより、葬儀のお金を確保しないと具合が悪いということで、故人の銀行口座からお金をおろしておかないといけないと話していたのですが、15:00を過ぎてしまったので、窓口での出金ができなくなりました。
ネット振り込みが出来る手続きもしてなかったのでATMで出金できる範囲内しか出金できません。
大きな金額を預けてあった口座は、郵貯と北国銀行があったので、おのおのからATM限度額を引き出せます。
北国銀行のATMでは1日に100万円まで引き出せます。ゆうちょのATMでは1日に50万円までしか引きだせません。
金曜日なので、銀行は土曜日曜日が休みのため、お金を引き出すチャンスは、新聞のお悔やみ欄に掲載される土曜日の午前中(何時でシャットアウトされるかは不明です)までだと思います。
今日と明日と明後日とで、引き出せるだけのお金を引きだそうという事にしました。
ちなみに、その他に銀行通帳が2冊あるのですが、そちらは数万円程度の残金でしたがキャッシュカードがないのでATMでは引き出せません。
小額であっても、出金をストップされた口座からお金を引き出す場合の手続きの煩雑さは変わりません。

喪主がお世話になった施設にお礼と挨拶をしたいというので、妻と喪主が施設行くことにしました。施設からは写真と棺に入れる物を持ち帰り、銀行でお金を引き出しました。

最初に写真を決めようという事で、施設から持ち帰った写真を全部チェックして、遺影になりそうな写真をピックアップしました。故人は写真を撮られることが好きでは無かったようで、単独で顔がはっきり写っている写真がとても少なくて苦労しました。
体調を崩して施設に入ってからは、入れ歯を外した事もあり、顔が別人のように変わっていたので、それ以降の写真では昔からの知り合いが写真を見てもぴんとこないです。
施設に入る前の写真で、それほど昔でない写真から選ぶという事になると、本当に対象になる写真が少なかったです。
結局、施設に飾ってあった紙にプリントしたものが一番適しているという事になりましたが、画像が荒くてそれを拡大して遺影に使うのは難しそうです。
多分、写真は自分で撮ったものだと思うで、結婚してから撮った自分のアルバムを全部チェックしてみましたが見つかりません。
それで、画像は荒いけど、施設に飾ってあった紙にプリントしたものを第一候補にして、もう一度適した写真を探してみるという事にしました。

とりあえず、親戚の把握ができないと葬儀への出席人数などが決められないので、自分側の親戚で、中陰まで出席してくれそうな人のリストは喪主に渡しました。
故人の夫の法事への出席者を思い出したり、故人への年賀状や、個人の夫が持っていた名刺ホルダー、妻への年賀状を参考に親戚リストの作成をしました。
故人の親戚筋の中院出席者については喪主が考えるということになりました。

受付をする人を決めました。本当は近い親族ではなく、少し離れた立場の人に頼むのが良いのですが、気軽に頼める人も思いつかなかったので、親戚から1人頼んで、後は自分の家族3人と娘夫婦、喪主の娘で対応する事にしました。やっぱり親戚の顔を知っている人が受付にいたほうが安心です。
喪主は親戚の顔をよく把握していないので、中陰の出席をお願いする親戚がおいでると、喪主に伝えて紹介するという事で母親も受付を担当する事にしたのです。
さっそく、受付・会計を頼む人に電話で頼みました。

夕食は自宅で喪主を交えてしました。そういえば、自宅で喪主と食事をするのは初めてです。
喪主に、自宅に泊まるように勧めたのですが、ホテルを予約してあるのでそちらで泊まるということでした。

通夜の日は、葬儀会場で、喪主一人が泊まるという事になりました。

明朝は葬儀関係者が10:00に自宅に来るという事なので、喪主は8:30に来るということになりました。

夜に、故人の遺影に使える画像を探すため、過去に撮ったデジカメの画像を全てチェックしました。「きまっし金沢」を運営し始めてから撮った画像の数は半端ないのですが、分かりやすくフォルダに分けてインデックスも作ってあったので助かりました。
それでも探していた画像は見つかりませんでした。
いろいろ探して、10年前の父親の法事の時に撮ったデジカメの画像の中に、顔が大きく映っていて笑顔の素敵な画像が見つかりました。
翌日にその画像ではどうか提案する事にしました。

過去の葬儀で会計を担当した際のやりかたを確認してプリントアウトしました。

2018年6月30日

喪主の家族を自動車に乗せないといけないので、洗車しなければいけない事に気づきました。
喪主が訪れた後だと、洗車する時間がないので慌てて洗車しました。
洗車を怠っていたので車内の清掃から始めないといけません。外装は、最近購入した高圧洗浄機で洗車しました。
気温が朝から30度を超えていたので暑くて汗びっしょりになりました。

8:30に喪主が訪れたので、新たに見つけた故人の画像を見せました。とても気に入ってくれて、その画像を使う事にしました。
今日の朝刊のおくやみ欄に掲載されるので、銀行の口座が凍結される前にということで、早朝に銀行にお金を引き出しに行きました。無事引き落としができました。
これで、とりあえずは葬儀に必要なお金は確保できました。

中陰への参加をお願いする親戚を決めました。

10:00に葬儀社の担当者が来ました。
遺影のための画像を渡しました。遺影の背景を決めました。
細かい不明点を確認しました。
遺体を寝かせた布団をどうするか聞かれたので、自分で処分すると答えました。葬儀社に頼むと5000円ほどかかるけど、金沢市に引き取ってもらうと500円で済むのです。
それに別に処分する必要も感じないし。

喪主と妻で、通夜に必要な副葬品(衣類の小物)やお昼に食べるお寿司を買いに行きました。
昼は、自宅で喪主と一緒に食事をしました。

14:00に喪主の家族が自宅に着きました。

16:00に葬儀社が遺体の送迎にきました。準備をしますというので、別の部屋で待機をしてたら、母親から、ちゃんと看取らないとダメだと言われました(苦笑)
送迎の準備と同時に、骨壺の祭壇のセッテイングも行われました。

1人1人順番に遺体の手を湿ったカット綿で拭きました。

それが終わると、葬儀社の3人で、遺体をかついで3階から階段を運んでくれました。

みんなで、葬儀会場に向かいました。

会場に着いて、遺体を棺に入れました。遺族が1つずつ同葬品を棺に入れました。家を処分した時に、身の回りのものも全部処分してしまったので、適当なものは何もありませんでした。棺の蓋を閉めました。

親戚以外に花や籠が出てるかなあと思っていたのですが、ありませんでした。
故人は、生前いろんな地域活動を積極的にやっていたので意外な気がしました。

ここでデジカメを持ってくるのを忘れたことに気づきました(苦笑)

会場についての説明がありました。飲み物の自動販売機は無料で利用できるという事でした。控室ではお茶のポットが用意されていました。娘にはサンドイッチを多めに買ってきてもらいました。
お通夜が遅めだけど、受付や会計などで、夕食をとる時間の余裕が無いのでサンドイッチを用意しておいたのです。

受付と会計の部屋の確認をしました。
会計の部屋には、パソコンとプリンターが用意されていて、葬儀会計用のソフトがインストールされていました。
家族が、香典帳は紙に書いたほうが良いというので、紙の香典帳も出してもらいました。最終的にはパソコンで入力する事にしました。
受付と会計の係に、担当の割りふりと、作業の手順を指示しました。

受付を4人配置し、香典を受け取る人2人(親戚と喪主の娘)と、1人(息子)は香典返しを渡すのと香典がたまったら会計に届け、もう1人(母親)は香典返しを渡すのと中陰の出席を頼む親戚がおいでたら喪主に案内する役です。
会計は、1人(娘の夫)は香典袋と中袋に番号を記入する役目で、もう1人(自分)は金額を確認し、金額を住所氏名が記入されてる所に記入してその部分を見やすいようにして水引きを戻して入力係に渡します。3人目の入力係(娘)は住所氏名金額をパソコンで入力する係です。
金額は20万円ごとに輪ゴムで縛ります。

親戚の人は、早めに来場されて、ロビーでいろんな話をしていました。

通夜の時間が通常は19:00が多く19:30と異例だった事と、新聞のお悔やみ欄で通夜の時間が、縦書きで7時で改行し半の文字だけが次の最上段に掲載されたことで、間違って早くおいでる方が多いだろうとは思っていたのですが、予想通り、最初の方は18:15頃においでになりました。

受付に、娘夫婦の関係者がおいでたら、会計に知らせるように頼み、娘夫婦の関係者の名簿を渡しました。

通夜開始時間30分前になると、親族の人は、会場で座って下さいと言われましたが、受付と会計ができないと困るので、受付担当のうち1人だけ、席に座りました。

通夜10分前に、会計を閉めて、受付の1人を残し会場の席に座りました。受付には通夜開始後10分間だけ残ってもらうように頼みました。
香典のお金は金庫に入れて鍵をしめて葬儀社の人に渡しました。現金の合計はメモしておきました。

通夜の挨拶は喪主がしました。
通夜の式典が終わり、通夜ふるまいになりました。生前親しくしていた親戚が集まって、あちこちで、いろんな会話がされていて盛り上がっていたようです。
お寿司やオードブルもとても美味しかったです。
最後まで受付に残っていた人(親戚)から、会計をしめた後に受け取った香典を渡されました。

通夜ぶるまいの途中で、メモした金額と、パソコン上の金額の総額が合うか確認しに行きました。
そこでハプニングが起きました。パソコン上の金額の合計より現金のほうが1万円少なかったのです。
香典袋に記入した金額と、入力した金額が間違っていないかと、香典袋の中の現金が残っていないかの確認をしました。
でも入力は間違っていなかったし、香典袋に現金は残っていませんでした。
可能性としては、香典袋に金額を記入する際に、金額を間違ったという事以外はありません。明らかに自分のミスです。まあ、現金のほうが多いのなら香典を出していただいた方の意思が正確に伝わらなかったという事で申し訳ないのですが、現金のほうが少ないなら、そういう事はないのでまあいいかなって思う事にしました(笑!)
今回の最大の失敗は、途中で、現金とパソコン上の金額とで違いが無いか確認しなかった事です。

喪主に報告したら、無かった事にしようということでした。まあ、娘には、通夜ふるまいから会計に行って、なかなか戻らなかったので、何かあった事に気づかれて正直には言ったんですけど・・・。モヤモヤ感を感じさせて可哀そうな事をしたかなと思います。

通夜ふるまいを終わって、会計後に渡された香典の会計処理をして、会計結果をプリントした紙と一緒に、自分が持ち帰りました。
通夜ぶるまいの残った料理は、葬儀社にタッパーをお願いし、会場の控室で泊まる喪主の分を残して、娘夫婦とで持ち帰りました。
金庫の鍵は喪主に渡しました。

控室で、最終的な打ち合わせをして、中陰の出席者の確認もできました。

遺影は、とても評判がよく、いい写真ですねと褒めてくださった人が複数人いたそうです。

喪主は1人で葬儀会場に泊まりました。

2018年7月1日

新聞のお悔やみ欄に掲載された翌日である日曜日の今日ですが、まだATMでの貯金の引き出しができました。

斎場で出すお菓子の事が気になって葬儀社に確認すると、告別式を終えると、菓子籠の菓子は来場者に配るのですが、残ったお菓子を斎場で出すので別に用意しなくても良いとの事でした。

喪主は挨拶の内容を考えたり、最終的な打ち合わせがあるので大変ですが、告別式が13:00からと遅めな事もあって、自分たちは会場入りするまでは落ちついたひと時を過ごしました。

11:30に喪主の家族を迎えに行って、葬儀会場に向かいました。途中で通り道の近くにある、処分した実家の跡地に寄りました。
会場に着いたのは12:10でした。

もう一部の親戚も来ていて、さっそく受付業務につきました。
昨日、持って帰った香典は、本日の分と一緒にしました。
喪主に頼んでおいたのですが、金庫の中の総額に間違いがないか確認してもらっていたのですが間違いは無かったそうです。
10分前に会計を閉めて、受付1人を残して席につきました。
さすがに、日曜日とはいえ、出席者は少なかったです。

告別式の写真は少し撮ったのですが、フラッシュをたかないでオートやプログラムモードで撮ると、綺麗に撮影できなかったので、マニアルでシャッタースピード、絞り、感度を設定し撮影しました。

告別式が終わって、棺桶を祭壇から出す時に、妻が急に号泣しました。妻の泣いたところをほとんど見たことが無かったのでびっくりしました。これまで我慢していたのだと思います。

葬儀社の人が祭壇や花籠の花を切って、その花を親戚で順番に棺に入れました。
花に包まれた故人を撮影するのを忘れました。改めて見ると、とても穏やかな顔でした。
まあ、斎場で撮れば良いかなと思いました。

斎場にはバスで移動しました。
カメラを持って入ると、斎場では撮影は出来ませんと言われました。そういえば以前にも言われたような気がしました。
火葬前にお経が唱えられ、最後のお別れをしました。

斎場の待合室には食べ物は持ち込みできますが、飲み物は持ち込みできませんでした。
花籠のお菓子を葬儀社の人が持ち込んでくれました。
斎場ではロビーや控室への出前の為の喫茶店があり、ほぼ強制的に注文を求められます。控室の使用料は別途5140円請求されます。
骨壺はその場で購入しますが10000円程度します。骨壺は1個だけだったので、喪主は分骨はしないという選択をしたのだと思われます。
その他に火葬炉使用料が5000円がかかります。

葬儀が終わるまでに負担した現金は僧侶のお布施と伴僧のお布施、院号法名料の他には、斎場への運転手などへのチップ、火葬炉使用料、斎場待合室使用料、骨壺、斎場の飲み物代で38000円程度でした。その金額は前もって葬儀社に聞いていたので安心でした。
その他のお金は、後日、葬儀社から請求書が来た時に支払えばよろしいです。

火葬は70分ほどかかりました。仲の良い親戚同士だったので、控室ではいろいろな会話がされていて退屈することは全く無かったようです。

火葬後の骨を、みんなで骨壺に入れました。最初に足のほうで、最後のほうに喉仏を入れて、最後に頭骸骨でふさいで蓋をしました。

再びバスで葬祭場へ戻って、お経をあげて中陰の食事です。
通夜ふるまいの時にも感じたのですが、中陰の食事も、とても美味しかったです。「にし料理茶屋」の料理だったようです。
この時も、親戚皆さんは、いろいろな会話をされていました。
不謹慎ですが、みなさん、楽しいひと時を過ごせたようです。最近は、親戚が集まって話をする機会が無く、こういう機会って、こういう事でもないと、なかなか無いっていう話もでていました。
まあ、これはこれで良いのではないかと思います。

遺影が、とても評判がよく、同じ写真が欲しいと言われました。
その他に、とても良い写真なので、写真を撮っても良いですかと聞かれたそうです。

葬儀社から預かっていただいた金庫の中身を受け取りました。
遺影やお骨は自宅に持って帰り、祭壇に並べました。祭壇に飾る白と黄色の菊を葬儀社から渡されました。米永さんは本当に気が利きます。
葬儀社に、香典を記入したエクセルのファイルをコピーしてくれるよう頼みました。USBメモリを持ってくるのを忘れたのです。
明朝にUSBメモリにデータを入れて届けていただけるということです。USBメモリはサービスで提供するということでした。

喪主の家族は自分がホテルまで送り届けました。

遺骨は自宅で預かる事にしました。

喪主は翌日の夜に自宅においでるとの事でした。

夜に、香典袋を改めてチェックしました。でも不足の1万円はありませんでした。
中陰など葬儀で撮った画像を整理しました。失敗した画像は廃棄しました。

お金は、全額、自宅の金庫にしまいました。

ネットで収支のエクセル用テンプレートファイルを入手し、香典や銀行から引き出したお金、支払ったお金、いただいた花代などを入力しました。
自分のお金では無いので、手元にあるお金はどういうお金なのか、しっかり管理して書類化しておかないといけません。

2018年7月2日

今日も、ATMでのお金の引き落としができました。
さすがに金額が多くなってきて物騒なので、早く誰かの口座に入れてくれるよう依頼しました。

夕方に、喪主が家に来ました。
香典リストと収支表はプリントして渡しました。香典リストと収支表のデータも葬儀の画像と一緒にCDに焼いて渡しました。

最初に相続についての話し合いがありました。喪主の提案に対して、なんの異論も出ず、すんなりと話がまとまりました。

喪主は、今日一日で今後どういう手続きが必要か調べていたということでした。役所での手続き一覧は葬儀社から貰っていたのですが、生命保険の手続きにどういうものが必要かも調べていたようです。どうせなら、多少手続きを済ませてくれば良かったのにと感じました(笑!)。

施設に残っていた写真や書類などを持ってきたので、一枚ずつチェックしました。施設に残っていた写真は随分古いものが多く、喪主や妻が子供の時の写真もいっぱいあって思い出話に花が咲きました。
書類や写真で捨てるものと、お互いが持ち続けるものを決めました。
捨てるものがいっぱいになりました。
勲章の話も出ました。勲章は喪主の父親と母親(つまり今回の故人)と祖父の3人が受賞していているのです。結局、喪主と妻との話し合いで、勲章はすべて廃棄するという事になりそうでした。
あまりにも勿体ないのでヤフオクで売れないかなと調べたのですが、勲章って世間的には金銭的な価値は全く無いんですね(笑!)。ほとんどタダみたいな値段で流通していました。結局、廃棄する事になりました。

お金は新しく妻名義の口座をつくって、そこに暫定的にお金を入れておいて、全ての清算が終わってから、分ける事になりました。

49日法要と納骨についても打ち合わせしました。
49日法要はお寺でして、その後、納骨して、それから食事をすることにしました。

食事の場所の選定は難しいです。畳に座れない人もいるので椅子の席でないといけないし、送迎バスがあるか駐車場が多いお店でないといけないし、20人以上が入れるお店でないといけません。
そうなると野々市近辺では該当するお店を思いつきません。

とりあえず、葬儀社が法事専門のお店をやっていたので、そちらでする事に暫定的に決めました。

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