辰巳用水 |
兼六園に流れこむ辰巳用水は1632年、3代目藩主前田利常が板屋兵四郎に命じて金沢城の防火のために造らせたものです。辰巳用水は全長約10kmの用水で金沢城の防火以外にも城内での生活の水や、金沢城の堀のための水にはもちろん、農業用水としても利用されていました。辰巳用水の水で最終的に城内に届く量は全体の内わずかな量で600リットル/秒程度だったとのことです。辰巳用水は東京都西多摩郡の玉川上水、静岡県裾野市の箱根用水とともに日本三大用水の1つといわれていますが、380年前もの昔に掘った隧道が現在でも残っていて使われているのは日本では辰巳用水だけとの事です。
生活用水が辰巳用水に入り込むようになったため、現在、兼六園に流れる水は、市内を流れる用水とは別に末町の犀川浄水場付近から兼六園専用ルートで取水されています。辰巳用水は造った当初は暗渠部(隧道)は4km程度でしたが、現在は大部分は地下に隠れています。現在、金沢市制100周年に大道割~錦町の約2km区間を整備した辰巳用水遊歩道沿いや紫錦台中学から金沢医療センターまでは外から見ることができます。 金沢市役所前の広坂通りに流れる辰巳用水は明治以後に造られたものです。 辰巳用水遊歩道の場所はこちら |
辰巳用水の工事について |
辰巳用水は全長約10kmで暗渠部(隧道)が約4,8kmもある大規模な土木工事だったのですが、わずか9ヶ月で造られたそうです。そのために辰巳用水の工事では、のべ14万人以上の人数(毎日500人以上の人)で同時に工事を行いました。そのために辰巳用水の工事では大人数の人が同時に工事をするためのいろんな工夫がなされています。辰巳用水は、その精密かつ短期での工事を実現するため、川の流れに沿った場所や丘の斜面の近くの崖っぷち約30mごとに139箇所の横穴をあけて横穴から上流・下流に向けて約15m隧道掘削を行い各横穴間を貫通していったそうです。その時には上流から下流へ掘る場合より下流から上流へ掘る場合の方が太く掘り必ず水が流れるようしたようです。そうすることによって工事の誤差を少なくかつ多くの場所で工事の同時進行が行うことができたそうです。横穴を掘る事によって掘った土砂を運び出したり、光を採ったり、中での照明を菜種油の灯の煙の換気など多くの利点があったそうです。辰巳用水の横穴は工事の時には約139箇所の横穴があったのですが現在でも約30程度残っており、辰巳用水の点検用に利用されています。辰巳用水の隧道の中には壁面に灯りを灯すためのタンコロ穴という溝があちこちに設置されています。辰巳用水のタンコロ穴は掘削時に必要な灯りが空気の流れで消えないように工夫されたもので、現在でも残っています。当時はツルハシやタガネを使って掘ったそうです。 辰巳用水は全長約10kmで高低差が約50mなので勾配は1/200くらいになりますが、夜に横穴に取り付けた蝋燭の灯を対岸から見て傾斜を調べたり、隊道の中で細いたらいのようなものに水を入れて水平より少し傾斜して掘るという工夫をしていたそうです。 辰巳用水完成2年後の1634年には城下町から30mも高所にある城内まで「伏越しの理」逆サイフォンの原理を利用して兼六園から石川橋を通して金沢城まで辰巳用水の水を引くことに成功したそうです。 上辰巳と辰巳町の山裾260mの三段石垣が造られているのですが,このあたりの斜面は地盤が弱く土砂崩れ防止のために三段石垣を造られたそうです。石垣の石は,そのあたりの河原にあった大きな石を使って造られたそうです。 |
辰巳用水の取水口について |
辰巳用水は現在、兼六園の10km上流で犀川の東岩(ひがしいわ)取水口から取水しています。辰巳用水を造った時には金沢城の上流約9kmの犀川上辰巳町地内に取水口を設置しました。辰巳用水の取水口は200年後にがけ崩れのため約150m上流に急遽付けかえられたのですが、その後、兼六園ができるなど、より多くの水が必要になったため約600m上流の場所に1855年現在の東岩取水口が3代目の辰巳用水取水口として造られました。東岩取水口は川の流れが曲がっている地形の角にあり流れが取水口にぶつかる位置になっており取水には好都合の場所になっています。その後昭和42年に東岩取水口の少し下流に堰を設置して、東岩取水口への取水がよりしやすくしています。 辰巳用水の東岩取水口は地図にも掲載されていなくて現場に表示も無いので探すのには苦労します。駒帰へ向かって上辰巳バス停(鷹の巣トンネル手前)のところで鴛原町方面への標識に従い細い坂道を自動車で下っていきます。あおたに橋を渡る手前右側を入って下流に向かって100m行ったところに辰巳用水の東岩取水口があります。辰巳用水の東岩取水口近辺はがけ崩れがあり落石があるので近くには近寄らないようにということです。 辰巳用水の東岩取水口の場所はこちら |
辰巳用水遊歩道・えん硝蔵について |
平成元年より金沢市制100周年事業として大道割~錦町の約2km区間が辰巳用水遊歩道として整備されました。辰巳用水遊歩道は果樹園のオーン、森林のゾーン、竹林のゾーンに分かれています。辰巳用水遊歩道上流400メートルに展望ゾーンを含めた延長整備計画もあります。辰巳用水遊歩道では6月下旬にはホタルを見ることもできます。辰巳用水遊歩道は元々用水警護の侍が取水口を警備するための道だったそうです。 加賀藩は江戸時代には火薬の製造が日本一でだったのですが、辰巳用水遊歩道沿いには江戸時代にえん硝蔵という火薬製造所がありました。えん硝蔵では辰巳用水の水を利用した水車を使って火薬を作っていたそうです。火薬は硝酸カリウム、硫黄、炭の粉から造られますが、硝酸カリウムを五箇山で製造し、硫黄は立山で取れたものを使っていたそうです。五箇山では硝酸を蚕の糞やおしっこを使って造ったとされていますが、実際には蚕の糞やおしっこだけでは大量の硝酸が作れなく人間のおしっこでまいて土をかけ、その後葉っぱを敷き、再び人間のおしっこをまいて、また土をかけ葉っぱを敷くというようにしておしっこを発酵させて造っていたそうです。 |
辰巳用水探訪 |
2006/10/22 金沢市主催の辰巳用水探訪に行ってきました。金沢大学工学部跡に集合で、ヘルメットと軍手を支給されて、2台のバスに乗り込みました。辰巳用水探訪には子供からご年配の人まで、さまざまな年齢層の人が参加してました。バスの中では辰巳用水に関係したテレビ番組のビデオが流されて、予備知識を得ることができました。最初に辰巳用水東岩取水口のところでバスを降りてすぐ近くまで行って説明を聞きました。 再びバスに乗って、犀川小学校の少し上の下辰巳の信号から犀川の方に降りていき少し上流方向に行ったところから入って辰巳用水の隧道を探索しました。辰巳用水の隧道内は普段は水深1mくらいあるんですが、辰巳用水探訪のために,水を止めてたので数センチくらいの深さしかありません。確かに辰巳用水の隧道内は深さ1mくらいのところまで壁が濡れてました。辰巳用水は短期間に大人数で掘るため川の壁沿い30メートルごとに横穴をあけて、上下へ隧道を掘ってつないだのですが、その横穴が残っていました。辰巳用水の隧道の中には灯を灯すための小さい溝(タンコロ岩)がいくつも作られていて、そこに油を入れて火を灯し照明がわりにしてました。もちろん辰巳用水の隧道内は懐中電灯は必要です。辰巳用水の隧道を約400m探検してから外に出て、またバスに乗り込んで辰巳用水遊歩道を散策しました。辰巳用水遊歩道ではえん硝蔵の説明などがありました。 辰巳用水遊歩道の出口の錦町から工学部跡へバスに乗って戻りました。 辰巳用水探訪は貴重な体験ができましたし、とても楽しかったです。来年も同じ企画が予定されてるそうです。 問い合わせは 金沢市 都市政策局 文化財保護課 TEL 220-2906 |
辰巳用水広坂町(市役所前) | 辰巳用水広坂町(市役所前) | 兼六園取水口 |
兼六園曲水 | 辰巳用水石引町 | 辰巳用水石引町 |
辰巳用水遊歩道 | 辰巳用水遊歩道 | 辰巳用水遊歩道近辺 |
辰巳用水遊歩道のカモ | 東岩取水口 | 東岩取水口 |
辰巳用水の隧道の入口 | 辰巳用水の横穴の外観 | 辰巳用水の隧道の内部 |
辰巳用水のタンコロ穴の灯 | 辰巳用水の足元 | 辰巳用水の隧道の内部 |
辰巳用水の隧道の内部から見た横穴 | 辰巳用水の隧道の内部から見た横穴 | 横穴からの光で隧道の中にも植物が |
辰巳用水の隧道の壁面 | 辰巳用水の隧道の壁面 | 辰巳用水の隧道の内部 |
辰巳用水の隧道からの出口 | 辰巳用水から農業用水への取出水口 | 辰巳用水から農業用水への取出水口 |