時国家 |
平安時代の末期の壇ノ浦の合戦後、平清盛の義弟である平時忠が能登に流されることになり,ました。その子である
平時国は平家であることを捨て、時国を姓として時国家が興されたそうです。時国家12代の次男が分家して下時国家を名乗り農業,塩業,回船業を営み繁栄しました。現在は時国家と名乗っています。
時国家の邸宅は木造平屋建て,間口13間,奥行き8間,総面積108坪,茅葺き入母屋造りです。時国家の庭園は2千坪の山水回遊式庭園で国指定の名勝に指定されています。
来館した時には囲炉裏に火をくべていただき中を案内してくれました。建物自体に豪華さはありませんでしたが,造りがしっかりしていて見事なものでした。庭園も見事でよく手入れされていました。時国家では当時のままの庭園を再現させるべく研究と努力を続けているそうです。 本家である上時国家も近くにあり、時国家同様、建物は国の重要文化財に、庭園は国指定の名勝に指定されています。 珠洲市大谷町に平時忠一族の墓群があります。 石川県輪島市町野町西時国2-1 時国家の場所はこちら |