上時国家 |
平安時代の末期の源平壇ノ浦の合戦後、平清盛の義弟の平時忠が能登に流されることになりました。その子である平時国は平家であることを捨て、時国を姓として時国家が興されたそうです。時国は300石を統治し江戸時代には天領の大庄屋を務め繁栄したそうです。現在の建物は21代当主が江戸時代に28年の年月を要し建てられたもので間口21.6m、奥行き13.3m、棟の高さ18mの茅葺入母屋の平屋建です。上時国家の建物は国指定の重要文化財に指定されています。
上時国家の庭園は鎌倉時代の様式とされ、滝がある山水回遊型の庭園で見事なものでした。上時国家の庭園は国指定の名勝に指定されています。 池一面に藻が生えていて池と苔との区別がつきにくかったのは心残りでした。 上時国家は,内装が豪華な感じで寺院を見学しているような感じでした。上時国家は録音したテープで説明するようなシステムになってました。 分家である時国家も近くにあり、上時国家同様、建物は国の重要文化財に、庭園は国指定の名勝に指定されています。 珠洲市大谷町に平時忠一族の墓群があります。 石川県輪島市町野町南時国2-1 上時国家の場所はこちら 2024年1月1日の能登半島地震で倒壊しました。 |